総理大臣は魔女だった
日本国第二百三代内閣総理大臣・白鷺リラは、就任以来「奇跡の改革者」と呼ばれていた。
景気は緩やかに回復し、災害対応は異例の速さ、外交交渉では相手国の頑なな態度がなぜかふっと和らぐ。
官僚たちは「総理には人の心を読む力でもあるのでは」と冗談めかして言ったが、誰も本気にはしていなかった。
ただひとり、首相秘書官の青年・朝比奈だけは気づいていた。 総理が時折、誰もいない方向に視線を向け、空気の揺らぎにそっと語りかけることを。
ある夜、官邸の執務室で、朝比奈はついに見てしまった。
総理の足元に、淡い紫色の魔法陣が静かに広がっていたのだ。
「……総理。これは……」
白鷺リラはペンを置き、静かに微笑んだ。
「気づいてしまったのね。あなたは鋭いわ、朝比奈くん」
彼女は立ち上がり、窓の外の夜空を見つめた。
その瞳は、百戦錬磨の政治家のものではなく、何百年も世界を見守ってきた者のように深かった。
「私は魔女よ。ずっと昔から、この国の行く末を見守ってきたの」
朝比奈は言葉を失った。
だが、驚きよりも先に、妙な納得が胸に広がった。
「では……これまでの政策の成功は……魔法で?」
「いいえ。魔法は“きっかけ”を与えるだけ。 人の心を動かすのは、いつだって人自身よ」
リラは机の上の資料に手をかざした。
すると、紙の上に淡い光が走り、複雑な数字の羅列が、まるで生き物のように整列していく。
「これは……未来予測……?」
「魔法で見えるのは“可能性”だけ。
どの道を選ぶかは、政治家としての私の責任」
そのとき、官邸の外で突然、空が裂けるような轟音が響いた。
窓の外に、黒い霧のようなものが渦を巻いている。
「来たわね……。あれは、この国の“絶望”が形になったものよ」
リラは深く息を吸い、朝比奈に振り返った。
「あなたはここにいなさい。これは総理としてではなく、魔女としての仕事」
そう言うと、彼女の身体はふわりと宙に浮き、夜空へと飛び出した。
黒い霧が触れたビルの窓は一瞬で曇り、街の灯りが揺らぐ。
リラは両手を広げ、夜空に巨大な魔法陣を描いた。
光が街を包み、黒い霧は悲鳴のような音を立てて消えていく。
やがて空は静けさを取り戻し、リラは官邸の屋上に降り立った。
朝比奈が駆け寄ると、彼女は少し疲れた笑みを浮かべた。
「国を守るのは、魔法だけじゃない。人の希望がある限り、絶望は必ず薄れるわ」
「総理……あなたは、本当に……」
「ええ。私は魔女で、そして総理大臣。どちらも、この国の未来のために必要な役割よ」
その夜、東京の空には、誰も知らない小さな星がひとつだけ瞬いていた。
それは、魔女が国を守った証のように、静かに光っていた。




