虚空からの神託と王家の体術
ヴァルド王子の追手から逃れ、当てのない旅を始めて数日。
アルドとリリアーナは、人里離れた山間の道を馬車で進んでいた。馬車も馬も、もちろんアルドの「宝物庫」から現地調達(という名の在庫処分)したものだ。
御者台で手綱を握るアルドは、習慣である朝の「在庫確認」を行っていた。
脳内に展開される膨大なアイテムリスト。食料、水、武器、防具、建築資材、そしていつか使うかもしれないガラクタの山。
それらが完璧な秩序で整列している様を見るのが、彼の密かな楽しみだった。
だが今朝、その完璧な秩序に異変が生じていた。
(……なんだ、これは?)
リストの最上段、最も目立つ場所に、見覚えのないアイテムが鎮座していたのだ。
【虚空神の石板(未鑑定・重要アイテム)】
アルドは戦慄した。彼の「アイテムボックス」は、彼が認識し、触れたものしか収納できないはずだ。それがいつの間にか、勝手に入り込んでいる。
これは、この能力の根源に関わる何者かが干渉してきたことを意味する。
彼が意識をその石板に向けると、頭の中に直接、重々しい声が響き渡った。
『我が器よ。北の山間、カガリビの村へ向かえ。其処の封じられた祠に、我が愛し子が囚われている。これを解放せよ』
一方的な命令だった。声が止むと同時に、石板はリストから跡形もなく消滅した。
「……どうやら、長期休暇とはいかないらしい」
「あら、どうしたの? 難しい顔をして」
荷台から顔を出したリリアーナが、不思議そうに首をかしげる。
彼女は旅装束に着替えているが、その身のこなしは相変わらず優雅そのものだ。
「新しい依頼だ。依頼主は……まあ、俺にアイテムボックスをくれた『大家さん』みたいなもんだ」
アルドは神託の内容をかいつまんで説明した。カガリビ村の祠に囚われた巫女の救出。
「危険な仕事になりそうだ。姫様、アンタは俺の『中』で紅茶でも飲んで待っていてくれ。安全は保証す――」
「お断りよ」
リリアーナは即答した。
「言ったでしょう? 私はこの世界の全てを見てみたいの。カバンの中に引きこもっているだけじゃ、何も見えないわ」
「……怪我をしても知らないぞ。ごっこじゃ済まないかもしれない」
「ふふっ。私の護衛は世界一の運び屋なんでしょう? 信頼しているわ」
アルドは溜息をついた。この元姫君、意外と頑固だ。
まあいい、本当に危険になれば、問答無用で収納すれば済む話だ。
二人がカガリビ村へ向かう山道に差し掛かった時だった。突如、両側の茂みから数匹の魔物が飛び出してきた。
ゴブリンの上位種、ホブゴブリンだ。しかも武装しており、連携も取れている。野良の魔物ではない、何者かに使役されている動きだ。
「チッ、収納な……!」
アルドが馬車を止め、迎撃のために手を前に突き出す。いつものように、触れた端から収納してやろうと身構えた。
だが、それより早く、隣の影が動いた。
「──邪魔よ」
涼やかな声と共に、リリアーナが御者台から舞い降りた。
彼女は襲いかかるホブゴブリンの錆びた剣を素手で受け流すと、流れるような動作でその懐に入り込む。
──王家一子相伝体術・式ノ型『落花』
彼女の掌底が、ホブゴブリンの胸板に軽く触れたように見えた。
次の瞬間。
「ゴガァッ!?」
鈍い衝撃音が響き、ホブゴブリンの巨体が後方へ吹き飛んだ。胸の革鎧は砕け散り、肋骨が陥没しているのが見て取れる。
魔法による強化もない、純粋な体術による破壊力。
「な……」
アルドが呆気にとられている間に、リリアーナは残りの二匹に向かっていた。
一匹の攻撃を最小限の動きで回避し、その勢いを利用して背後を取り、首筋に鋭い手刀を叩き込む。もう一匹が怯んだ隙に、優雅な回し蹴りが側頭部を捉えた。
数秒も経っていなかった。
三匹のホブゴブリンは、一度もリリアーナに触れることすらできず、地面に伏していた。
リリアーナは乱れた髪を指先で整え、軽く息を吐いた。
「久しぶりに身体を動かしたから、少し勘が鈍っているわね」
「……姫様?」
「あら、ごめんなさい。驚かせたかしら?」
彼女は微笑む。
「我が国の王族は、有事の際に自らの身を守るため、幼少より独自の体術を叩き込まれるのよ。ドレスを着てお茶を飲んでいるだけが、姫の仕事ではないの」
アルドは、自分の「荷物」の認識を改めざるを得なかった。
どうやら自分が運んでいたのは、可憐な宝石ではなく、切れ味鋭い名刀でもあったらしい。
「……大家からの依頼、少しは楽ができそうだ」
アルドはニヤリと笑い、再び馬車を走らせた。
目指すカガリビ村は、不穏な空気を纏う霧の向こうに見え始めていた。
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