凍結保存と断罪の拳
領主ゲオルグの絶叫が、早朝の広場に響き渡った。
右手首を失った激痛と、状況を理解できない恐怖。だが、腐っても彼はこの悪徳都市の支配者だった。
「ひ、ひぃぃ……! 殺せ! 全員殺せぇぇ!!」
ゲオルグが残った左手で、胸元のペンダントを握りしめる。それは予備の起爆装置だ。
同時に、周囲の監視塔に設置された巨大な魔導アンテナが赤黒く発光し始めた。
『警告! 敵性体による強制起爆信号を検知! 爆発まで、あと5秒!』
アルドの脳内で、ミラノの切迫した声がカウントダウンを始まる。
三千人の首輪を物理的に外すには短すぎる。だが、彼には優秀な「目」と「脳」があった。
「カグラ! 『汚い音』はどこだ!」
「あそこです! 塔のてっぺん、赤黒い邪気が空に叫んでいます!」
カグラが屋根の上で指差す。彼女には、魔導アンテナから放たれる起爆信号が、おぞましい「声」として聞こえていた。
「ミラノ、どうにかしろ!」
ミラノが高速でキーボードを叩いていた。
『無茶苦茶言うわね! ……ええい、こうなったら信号ごと『書き換え』てやるわ! この程度の原始的な術式、古代の管理者にかかれば赤子の遊びよ!』
ブォンッ……。
アンテナの発光が一瞬、赤から青へと変わった。ミラノが強引にシステム権限を奪い取ったのだ。
カグラが祈るように手を組む。
「邪気、浄化されました! 今です、アルドさん!」
「ナイスだ、二人とも!」
起爆信号が「解除信号」へと書き換わった一瞬の隙。
アルドは広場の真上へと跳躍した。眼下に広がる三千人の民、そしてリリアーナ。
彼は両手を広げ、最大出力のイメージを展開する。
──広域収納:【対象・隷属の首輪(全3,000個)】
カシャンッ!!
広場を埋め尽くす人々から、忌まわしい鉄の輪が一斉に消失した。
爆発は起きない。首輪はアルドの中、時間の止まった空間へと隔離されたからだ。
「な、なんだと……!?」
ゲオルグが腰を抜かす。その目の前に、ボロ布を脱ぎ捨てたリリアーナが立っていた。
黄金の髪が朝日に輝き、その碧眼は氷のように冷徹に領主を見下ろしている。
「……年貢の納め時よ、ゲオルグ」
「貴様、その顔……行方不明の王女か!? なぜこんな所に……」
「私の民を返してもらうわ。……その薄汚い命と引き換えにね」
ゲオルグは悲鳴を上げ、護衛の兵士たちを呼ぼうとした。だが、すでに遅い。
リリアーナが踏み込む。
──王家一子相伝体術・崩拳『断鎖』
彼女の拳が、ゲオルグの肥満した腹部に深々とめり込む。衝撃は肉を波打たせ、背後の玉座ごと彼を吹き飛ばした。
壁に激突した領主は、白目を剥いて崩れ落ちる。二度と起き上がることはないだろう。
「……終わりだ」
アルドが広場に降り立つ。
静まり返る広場。呆然とする難民たち。
やがて、誰かが叫んだ。「首輪が……ない!」「助かったんだ!」
歓喜の声が爆発しようとしたその時、アルドが手を上げてそれを制した。
「喜ぶのはまだ早い。この街の兵士たちが騒ぎを聞きつけて集まってくる。ここから逃げるぞ」
近衛兵長が進み出る。
「し、しかし……三千人でどうやって逃げると? 足手まといになるばかりか、食料も……」
「心配いらない。お前たちには、少しの間『眠って』もらう」
アルドはリリアーナと視線を交わした。リリアーナは頷き、民衆に向かって宣言する。
「皆、聞きなさい! この男は私の信頼する『運び屋』です。彼の魔法は、貴方たちを傷つけません。次に目が覚めた時、そこは平和な新天地です。……私を信じて!」
姫の言葉に、民たちは戸惑いながらも頷いた。アルドは深呼吸をし、意識を研ぎ澄ませる。これほど大規模な「生体収納」は初めてだ。
「……定員オーバーだが、詰めるぞ」
──集団収納:【対象・リリアーナ王国の民(全3,000名)】
空間が揺らいだ。
広場を埋め尽くしていた三千人の人々が、まるで陽炎のように揺らめき――次の瞬間、完全に消滅した。
◆
【インベントリ内部】
そこは、音のない世界。
灰色の空間に、三千人の人々が整然と並んで浮かんでいる。走ろうとした姿勢、抱き合う親子、涙を流す老婆。
すべての動作、呼吸、そして心臓の鼓動さえもが、完全に停止していた。
ここには「時間」が存在しない。
彼らは老いることも、腹が減ることも、死ぬこともない。永遠の刹那の中に保存されている。
その静止した群衆の間を、光の粒子を纏った少女――ミラノだけが、パタパタと飛び回っていた。
『登録開始! ID:001から3,000まで……スキャン完了! バイタル正常、欠損なし。状態:時間凍結』
ミラノは空中にウィンドウを展開し、テキパキとリストを作成していく。
この空間で唯一、「管理者」である彼女だけが動くことができる。
『やれやれ、急に大勢押し込んできて……。家賃は高いわよ? まあ、あなたたちが目覚めるその時まで、私が完璧に管理してあげるから感謝しなさいよね』
ミラノは、時が止まった老婆(リリアーナの乳母)の頬を突こうとして、すり抜ける指を見て少しだけ寂しげに微笑んだ。
『おやすみなさい。良い夢を』
◆
【現実世界・バルカン市街】
ガランとした広場には、アルド、リリアーナ、カグラの三人が残されていた。
「……全員、入ったか?」
リリアーナが、誰もいなくなった広場を見つめて呟く。
「ああ。全員無事だ。俺の中で時を止めて眠ってる」
「そう……よかった」
リリアーナは安堵の息をつき、膝から力が抜けたようにふらついたが、すぐに立ち直った。
「姫様、あんたも中に入るか? あいつらと一緒なら安全だぞ」
リリアーナは首を横に振った。
その瞳には、かつてのような迷いはなかった。
「いいえ。私は貴方たちと行くわ。民を眠らせたのは私の決断よ。なら、彼らが目覚めるべき『新天地』を見つけ出すまで、私が先頭に立って道を開く義務がある」
彼女はアルドを真っ直ぐに見据える。
「それに……カバンの中でお茶を飲んでいるだけじゃ、退屈で死んでしまいそうだもの」
アルドは呆れたように肩をすくめ、しかし口元には笑みを浮かべた。
「違いない。……よし、ずらかるぞ! 追っ手が来る!」
遠くから警報音と兵士たちの怒号が近づいてくる。アルドはカグラを抱え上げ、リリアーナと共に走り出した。
「カグラ、次の目的地は!」
「えっと、上です! ずっとずっと上! 空の彼方から、綺麗な鐘の音が聞こえます!」
「上等だ! 地上の面倒ごとはこれでおさらばだ!」
最強の運び屋と、武闘派王女、そして天然巫女。
奇妙な三人組は、三千人の命を懐に抱え、煤煙に覆われた空の向こう──天空を目指して駆け抜けていった。




