この世界は……
結界が揺らいだ。
大聖女は慌てて登城し、城内にある結界の中心へ要石を見に行った。
要石は問題なく、そこにある。
周囲の魔法陣にも変化はない。
ならば、聖力の大半を供給しているベネデッタに何かあったのか。
彼女を王宮側で不要と判断したなら、教会に戻せばいいではないか。
昨日の夜に魔の森に追放されたと聞き、今朝急いで救出に向かった。けれど、なぜか森に入れなかった。
昨日の馬車の轍を辿ったが、森を進んでいるはずなのに、いつの間にか街道に戻っている。
近隣の住民や冒険者たちに訊いて回り、魔の森の方から人族を拒絶する幻術をかけられているようだと報告を受けた。
数日で終わることもあれば、何年もそのままということもあるという。
どう考えても、ベネデッタをこちら側に返さないためだろう。
結界の異変を感じ取ったのは、聖国の教皇に相談するための書簡を書いている最中だった。
彼女の代わりができるだけの聖力は、この国の聖女全員を集めても足りない。
終わった――大聖女は血の気を失い、そう呟いた。
平民の光魔法を使う者を集めてもいいのだが、聖力と光魔法が同じ物だと知られることを国王は許さないだろう。
政治的に利用するために、聖力は貴族だけが持つものだと言っているのだから。
この国の人族の生活圏を覆う結界は日に日に薄くなり、小さな穴ができて、広がっていく。
王族が聖女と結婚したがるのは、城に結界の要となる石があるからだ。教会から人が来るよりも、城内に聖女が住んでいる方が効率的だろうと。
十日ほどして教皇から返事が届いた。
大聖女はため息を吐き、この国を見捨てる覚悟を決めた。
大聖女は執務室にこの国の司教と次席の聖女を呼びつけた。
この二人は権力の魅力にとりつかれ、修行を疎かにしている。おそらく正しい光と闇の関係を理解できないだろう。
そのために、この女ではなくベネデッタを後継者として育てていたのに。
この二人と、ベネデッタの継母と義妹ソフィアが、何やら画策していたことには気付いていた。
司教の名で、ソフィアに聖力があると発表した。ソフィアが王太子の婚約者の座を奪いたいなら、やればいい。
それでベネデッタが王太子の婚約者でなくなり、教会に戻ってくるなら大歓迎だ。大聖女としての教育を本格的に始められると喜んだ。
それを魔の森にわざわざ連れて行くとは……。
寿命が長い魔族は、この世界の成り立ちを知っている。
人族の王がねじ曲げた教えに惑わされることなく、ベネデッタを保護するだろう。
大聖女として、欲のために罪を犯したこの二人に反省と償いの機会を与えなくてはならない。
「次席聖女、あなたが長年執拗に求めてきた大聖女の座を譲りましょう。この法典が、大聖女しか閲覧できない奥義です」
「そのようにおっしゃられるのは、心外ですわ。ですが、ありがたくお引き受けします」
教会においては、聖力の強さの方が優先される。
それなのにこの女は、侯爵家出身の自分が、子爵家出身の私よりも大聖女に相応しいと声高に主張していた。
真面目に神に祈りを捧げて聖力を増やせば、まだ可能性があったものを……。
次席聖女は法典を受け取ると、早く消えろと言わんばかりに顎をしゃくった。
法典は読むもので、権威の飾りではないのだが――この様子では読みそうもないな、とため息が漏れる。
「私はこの国を出て、聖国の教会本部に戻ります。希望者は同行させますが、よろしいですね?」
「ええ、ええ。その方がよろしいでしょう」
私を慕う者たちなど、邪魔だと考えているのだろう。
みな、真面目に祈りを捧げる素直な者たち。つまり、この国の聖力の半分以上が、私と共に出国することになる。
結界はベネデッタが溜めた聖力を消費し続け、刻々と残りが少なくなっている。
魔族の領域から大型の魔物が入り込み、瘴気をまき散らすのも時間の問題だ。
「神は救える者を救うのです」
最後のはなむけにそう告げたが、意味を汲み取ることはなさそうだ。
大聖女は高齢になり、体力と共に聖力が減ってきている。ここに自分が残っても、この国を守るだけの力は既にない。
ベネデッタがいれば、知識を分け与え、彼女と共に対策を立てることもできただろうが。
当代の大聖女は効率重視で、やる気のない聖女たちの尻を叩くより、聖力の多いベネデッタから搾り取る方を選んだ。
少数の人間の犠牲の上に成り立つ国は、とても脆い。




