知らずに手放したもの
ベネデッタは比較的日の当たる場所に移動し、うつらうつらとしていた。
魔の森は日陰が多く、日向ぼっこできるほどの場所は見当たらないのだ。
いつの間にかムスが戻ってきて、ベネデッタの膝の上で丸まった。
地面から寒さが伝わってくるが、昨日の騒動に比べたら、穏やかで平和な時間だ。
学園の勉強に、王太子妃教育に、聖女の務め……追い立てられる日々が終わってよかったとさえ、思えた。
どれくらい、そうしていただろうか。
昼は過ぎて、午後になった頃、ぽくりぽくりと蹄の音がした。
そちらに目を向けると、上半身は人間だが、下半身が山羊の少女が近づいてきた。
「買うてきた。まず食うか? 着替えるか?」
ムスがベネデッタの膝の上で、伸びをした。
「遅い~。お腹ぺこぺこ」
「おめぇは、まったく。礼を言うのが先じゃろが」
少女はベネデッタの隣に座ると、ムスの頭をぐりぐりとなでた。
「おら、ラモーゾだ。まず、そのキツいのを脱ぐべな」
背負っていた大きな荷物を降ろし、中からワンピースとブーツを取りだした。それから、こっそり下着も手渡してくれる。
「こ、ここで脱ぐのですか?」
周囲には囲いも何もない、森の中である。
「洞窟とか、遠いしなぁ。その服じゃ動くのも大変じゃろ」
彼女の言うことはもっともだ。パーティー用の膨らんだドレスで森の中を歩くなど、藪に引っかけて転ぶだけだと身に染みた。
「そうよね。ラモーゾさん、背中をお願いできるかしら」
木の陰に回って、背中の留め具を外してもらい、コルセットも脱いだ。
ほう、と大きなため息が出た。
貴族の生活でもこんなに長時間コルセットを着けたまま生活することはない。
「く、苦しかったわ」
急いで村娘のような服を頭から被った。ボタンが前にあり、一人でも着られる服だ。
髪飾りも取って、髪を下ろした。崩れないように整髪料をつけているのでゴワゴワだ。
手ぐしで整え、簡単にリボンでまとめる。
贅沢を言うなら髪を洗いたかった。
家で自分専用の侍女がいなくなって、身支度を自分でやらざるを得なかった。それが、今、役に立っている。皮肉なものだと、苦笑いが浮かんだ。
「えがったな(よかったね)。めんこくなった」
ラモーゾがニコニコと満足げにうなずいた。
少し照れながら木の陰から出ると、ムスが手を叩く。
「いいじゃん。似合ってる」
鏡がないので確かめられないが、継母が用意した流行遅れのドレスとは比べものにならないだろう。
買い物に行く前に、ラモーゾはどこからかベネデッタを盗み見ていたとしか思えない。落ち着いた色味でシンプルなワンピースは、ベネデッタの好みに合っていた。
落ち着いたところで、木の根っこに腰掛ける。新しい服を汚したくないが、森の中では難しい。
「んじゃ、これ食え」
ラモーゾは肉と野菜が串に刺してあるものを差し出した。
それから、革袋に入った水。
ベネデッタは水を喉を鳴らして飲んだ。
一気に半分くらい飲んで、むせてしまう。
「ほら、落ち着いて飲むだ」
と背中をさすられた。
ああ、優しく背中をさすられるのは、いつ以来だろうか。また、涙が止まらなくなった。
昨日から涙腺が緩みっぱなしで、恥ずかしい。そう思っても、止まらない。
「ごめん。先に食べていい?」
うつむいていて見えないが、ムスが串焼きを食べ始めた気配がした。
なんだか、マイペースなムスに癒やされる。
泣いてもいいし、誰かに怒られることもないのだ。
「当てつけに泣くふりをしているのですか?」――そう詰られる心配もない。
ベネデッタは泣きながら自由を噛みしめるという、奇妙な状態に陥った。
すると、このタイミングでお腹が鳴る。
ふいっと顔を上げると、ムスと目があった。
「おいしいよ」
「うん、いい匂いね」
そう答えると、ラモーゾが改めて串をくれた。
どう食べればいいかもたもたしていると、彼女が見本を見せてくれた。串を横にして食べるといいらしい。
宮廷で出されるような繊細さはないが、なかなか美味しい。濃い、はっきりした味だ。
そして、なにより食べている実感が湧く。そのことに感謝が溢れた。
ムスは二本足で立ち、二本目の串にかぶりついている。
「ベネがこういうの焼けるようになったら、毎日食べられるね」
ちらりと横目で見ながらおねだりをされた。
「え。で、できるかしら」
自信はないが、役に立てることがあるなら嬉しい。ここにいてもいいと思えるから。
「やってみたらええ。店を手伝って教えてもらうか、少し離れて観察するか。覚える手段はいろいろあるから、試せばええ」
ラモーゾも応援してくれるようだ。
「魔族はあまり料理をしないの?」
「する奴もいるけど、たいていは面倒くさがって生のまま食ってるな。魔素が多いところに行けば、食わなくても生きていけるし」
ムスは口の周りをぺろりと舐めた。
「そうなのね」
母が生きていた頃、お菓子を作るのを見たことがある。食べてもらえるなら、食事の作り方を学びたい。
新たな希望が見えてきた。
一串食べ終わった頃、ふいに体が軽いことに気がついた。いつもの気だるさが消えている。
ベネデッタは、この串焼きにとてつもない効果があるのかと驚いた。
その後、少し冷静になって、これは重責から解放された開放感かもしれないと考え直した。
実は、先ほど外した腕輪を通して、聖力を抜き取られ続けていたのだ。それがなくなり、本来の体調に戻りつつあるだけ……。
――それが国に何をもたらすのか、ベネデッタは知らない。




