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もう戻らない令嬢の話――偽物の聖女と断罪されて、魔族に拾われました  作者: 紡里


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7/13

魔の森、一日目の朝

 朝日が昇ったのだろうか。

 うっそうとした暗い森の中で、物の見分けがつくようになってきた。


 木の根元で寝ていたせいで、体が痛む。

 うつらうつらと仮眠を取ったようなもので、疲れが残っている。


 地面や下草は朝露に濡れ、露出した木の根が肌に跡をつけた。

 そして、コルセットの締め付けがキツい。金具の一部が肌に食い込み、息も浅くなっている。


「お姉さん、よく眠れた?」

 胴体の長い、鼠のような動物が木の根元から顔を出した。


「きゃ」

 思わず声が出る。

 そして、昨日の声の主だと気付いた。

「あ、昨晩はありがとう」


「お姉さん、お名前は?」


 ベネデッタは慌てて立ち上がった。

「ベネデッタ・ディ・ヴィットリオと申します。昨日は過分な……」

「やだやだ、そういうの、やめて!」

 挨拶を途中で遮られる。


「ベネって呼んでいい? 僕はムス。

 お腹空いてない? ついてきて」


 地面を這うように進む小さな姿を、必死で追いかけた。

 ヒールが土に刺さったり、膨らんだドレスが藪に引っかかったり、少し移動するだけでも一苦労だ。息が上がってしまう。


「これ、人間も食べられるはず」

 そこには、黒紫の小さな粒が房になって垂れていた。


 グローブを外し、教えてもらった小さな実を摘まむ。

 甘酸っぱい。つぶつぶが口に残るが、それでも体が水分を欲している。

 一つ、もう一つと夢中で口に入れていく。

 ぽろぽろと涙がこぼれた。


 昨日からまともに食べていないし、水さえ飲んでいなかった。

 乾いた体は、小さな果実を貪欲に吸収していく。


 そして、久しぶりに自分のことを気にかけてくれる存在が現れた。ひび割れた心が、何かで潤されていく。たとえ、それが甘い罠だとしても……。




 ようやく人心地ついた頃、ムスが膝に乗って見上げてきた。

「よかった。少し顔色が良くなったね。まだまだだけど」


「ムス……さん? ありがとうございます。助かりましたわ」

「ムスでいいってば。

 あのさ、人間は木の実だけじゃ足りないんでしょ?」


 正直に言うと、一時しのぎにはなったが、お腹は減ったままだ。

 喉の渇きも癒やされたのは最初だけで、今は水が飲みたくてしかたない。


「じゃあさ、人間の領域の結界に小さな穴を空けてくれたら、調達してくるよ」

 ムスはさらりととんでもないことを言い出した。


「結界を解くなんて、そんなことできないわ!」

 聖女の大切な役目の一つだ。

 ベネデッタは自分でも驚くほど大きな声を出したことに驚いた。果物を口にして回復したからだ。


「昨日の馬車だって、結界を通り抜けて来たんでしょ?

 大聖女の結界だって、薄いところがあったよ。光と闇は、共存共栄の関係なんだもん。」


「光と闇の……それは、大聖女様もおっしゃっていたわ」

「でしょ?」

 ニンマリとムスが笑みを作った。


「大聖女の代わりにお姉さんが結界を張るようになったら、隙がなくなっちゃって困ってたんだ」


 それは、教会の関係者も知らない秘密だ。なぜ、こんな……使い魔のような存在が知っているのか。


「近々、大聖女はお姉さ……ベネに大聖女だけに引き継がれた奥義を伝える予定だったでしょ」

「どうしてそこまで……」

「僕の主は、魔族を代表して大聖女とお話しするくらい偉い人なんだ。

 大聖女に困ってるって訴えたら、『近いうちに後継者にこの世の真理を伝えて結界の調整をする』って約束してくれたんだ」


「嘘。なに、それ……」

 そういえば、何か伝授するので、学園を卒業したら精進潔斎しなさいと言われていたが……。


「人に近い姿の子が、代表で買いに行ってくれるよ。

 服も楽なのに着替えたいでしょ? あと人間の食べ物と、手ぬぐいと……靴もかな。他にほしいものは?」


 喉から手が出るほど欲しい物……。理解と共感を示され、魔物に対する警戒心が霧散していく。


「わたくしお金を持っていないわ」

「生活が安定してから、お役に立ってくれればいいよ」


 魔物と取引するのは禁忌とされている。

 けれど大聖女様が交渉しているなら、いいのかもしれない。


 疲れて、うたた寝しかできず、お腹も空いたまま。

 ろくな判断ができるわけがない。


「この腕輪、結界と繋がってるんだよね。外して、壊していい?」

 ムスがふわふわの尻尾で手首を撫でた。その可愛さにほだされないのは、至難の技だった。


「……どうぞ」

 するりと外された腕輪は、ベネデッタのグローブで包んでムスに手渡された。

 二人は黒い木苺の前で、微笑みあう。


「じゃあ、行ってくるから。待っててね」

 ムスはグローブの上から咥えると、四つ足で走り出した。カサカサと葉を揺らす姿は、あっという間に見えなくなった。



 結界の一部に人が通れるくらいの穴を開けるはずが、結界へ膨大な聖力を注ぐための聖具を壊すことにすり替えられた。


 大聖女の力が衰え、その後継者として見込まれていた聖女。

 彼女を魔の森に捨てた翌日から、静かに、しかし確実に王国の崩壊は始まっていた。


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― 新着の感想 ―
ムスは胴の長いハムスターのようなイメージでしょうか。 さすが魔族だけあって、理解と共感から不安な心の隙間に付け入るのが上手いと思いましたが、あっという間に教会と王宮を掌握した義妹は、それ以上の悪魔なん…
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