公爵と娘の会話
ルクレツィアは、宰相の妻を一瞬見直した。
だが、すぐに後悔した。
長時間に渡り、泣き言を聞かされたのだ。
やっぱり、すぐ泣く女は嫌いですわ――。
ようやく客が帰ったときには、「二度と来るな」と叫びたい気分になっていた。
もちろん、そんなことはおくびにも出さず、神妙な顔で見送ったけれど。
自室に戻り、枕をぼかすか殴ってみた。イライラとモヤモヤが溜まってしまったのだ。
「あ~、もう! くどい!」
と叫んでから、呼吸を整える。落ち着いて、やるべきことを考える。
まず、父親に時間を取ってもらうよう侍女に頼んだ。
次に机に向かい、聞いた話を忘れないうちに書き出していく。
しばらくして執事が呼びに来たので、父の執務室に向かった。
ソファに座ると、さっと珈琲が置かれた。
「エンリコのお母様がいらっしゃいましたわ。
長時間、泣き言を聞かされました」
「まあ、息子を亡くされたのだから、仕方ないだろう。
それで? 本当に遺品を持ってきたのかい?」
「いいえ。こちらの一覧表です」
ルクレツィアはすっと紙をテーブルに置いた。
「家名が並んでいるが……」
公爵は何のリストだろうと、思考を巡らせた。
「領主の務めを果たさずに、王都に逃げ込んだ人たちだそうです」
「はぁ、さすがだな。この混乱した状況の中で、よく調べられたものだ。
これは、ありがたく使わせてもらおう」
公爵はその資料を見て感心し、喜んだ。
「元宰相のスピノーラ卿って、中途半端な方よね。能力はあっても決断力がないのだわ。
役立たずの国王の面子を立てたりせず、さっさと指示を出してしまえば良かったのに。
もしくは、見限るならもっと早くやらなければ。
このタイミングで父親としての情に流されて退くなんて、責任を取らずに逃げるのと一緒じゃない。
残された職員の方々から、迷惑だと恨まれているわよ、絶対に」
「お前も容赦ないな」
公爵が苦笑いする。
宰相の行動を正面切って避難する人はあまりいないだろう。だが、責任感という観点から見れば、ルクレツィアの意見も間違いではない。
「エンリコだって、平民から情報を得るつもりなら、溶け込むように努力すべきだったのよ。
馬鹿にしながら働いていたから、助けに入ってくれるような知り合いも作れなかったのでしょう。
最初の一撃が致命傷になったわけではないと、聞いたわ」
誰かが次の攻撃を防いでくれたら、死なずに済んだかもしれない。
「そうだね。
目的があったとしても、処分に納得していないエンリコを王都に残すべきじゃなかった。
落ちぶれた貴族がふてくされたまま働くなんて、平民にとっては心が安まらない状況だろう。
領地に下げておけば、少なくとも殺されなかった――。時勢を読む力と決断力がなかったのが、命取りだな」
公爵は珈琲の香りを楽しんだ。
「学園での断罪の後始末が、不公平だったのは気の毒だが……あの国王の依怙贔屓が激しいのは、もう昔からだしな。
トンマーゾは生きているけれど、魔物の王城襲撃で負傷し、もう剣も持てないらしい。だからといって、エンリコを殺したことを有耶無耶にするのは、為政者としてどうかと思う。
王太子は片方の耳をなくし、部屋に閉じこもっているそうだ」
かなり前から国王を見限っている公爵にしてみれば、「好きであの国王に仕えていたんだろう」と他人事である。
「王妃のやる気を削いだのも、国王だったんだぞ。
彼は母親である前王妃におんぶに抱っこで、いつまでも自立できない子どものままだ。
前王妃は完璧主義で潔癖だから、自分のやり方を息子の嫁に押しつけようとした。
時代と共に変わる部分もある。それに無頓着な人間に教わるのは、悲劇でしかない。
それで困っている妻を慰めたり励ましたりすることをせず、「母上に従えば間違いない」と放置したのだ」
「うわぁ、最低ですわね」
年頃の娘としては、視野が狭く独善的な姑など、嫁ぎたくない条件の上位に挙がるだろう。
「だから、お前が王太子の婚約者になる気でいたときは、内心、困っていたのだよ。
舅と姑が、あんまりだから」
公爵が大げさにため息を吐いた。
「そのときに言ってくださいませ!」
ルクレツィアは恥ずかしい過去を思い出し、語気を荒くする。
「言ったって、お前は聞かないだろう。
お前が婚約者に選ばれなかったから、それを理由に辞表を出せたのはありがたいことだったな」
はははと、公爵は軽く笑う。
「まあ……そう、ですわね。
ああ、そういえば夫人の愚痴の中に、元宰相が『国王の面子なんか無視して動けば、ここまでひどい事態にならなかった』と言っているというのがありましたわ。
それから、『エンリコを排除したくせに、トンマーゾは近衛騎士団に入れて、ルカは教会でのうのうと暮らしているなんて、理不尽だ』というのも」
公爵もルクレツィアも、同情など感じなかった。
どちらも、もう何ヶ月も前からその状態だったのだ。よく我慢できるものだと思っていた。
こんな風に突然、堪忍袋の緒が切れてしまうくらいなら、国王に訴えるなり抗議するなり、もっと方法があったはずだ。
「もう、この国の王家は滅茶苦茶だな。
国王は、王妃の兄弟を次の宰相に任命しない程度の理性はあったようだが――。
ああ、司教が『ベネデッタ嬢は生きている』と言っていたぞ。
といっても、彼の言動は怪しくなってきているので、本当かどうかわからんがね」
公爵は、陛下や殿下といった敬称をつけずに話している。
もう王族には不敬を咎めるだけの、余裕も武力もないと侮っているからだ。
「ベネデッタ様が生きていらっしゃった?
そんなことがあり得ますか? 何日も結界を張り続けることなんてできないでしょうし、食べる物だって……。
近くの村に助けを求めれば可能かしら?」
「いや、村にいるなら、教会と国王が出した捜索で見つかっているだろう。
大きな声では言えないが、魔族に保護されて、そのままこちらに戻らない人間はいるんだ」
「そうですか。
彼女にこちらに戻る気がないのか、念のために確認しておきたいですわね。
彼女が戻ってきたら解決することもあるし、逆にいないままの方が進められることもありますでしょう?」
この二人は、魔物の襲撃がなくなったとしても、元の状態に戻す必要性を感じていない。
あの無能な国王も王太子も排除する前提で、すでにその先を見据えている。
「それはそうだが、お前は学園を卒業することを優先しなさい。
欠席者は多いだろうが、学園だからこそ集められる情報もあるだろう」
「もう! すぐに子ども扱いをする。
あと少しで卒業ですし、そうしたら一人前として扱ってくださいね」
「大人扱いされたいのなら、もう少し淑女らしくなってほしいものだ」
「あら、これはわたくしの個性ですわ。
ただ、新しい縁談は難しいかもしれませんね。苛烈な性格が知れ渡っていますから」
「いや、このような非常事態にめげないというのは、美点だと思うよ」
頼もしい娘に育ったと、公爵は満足げに目を細めた。
後日、公爵は、地方を駆け巡っている王弟を王都に呼び出した。
魔物を討伐しながら治安を守る旅に指揮官たちが慣れてきて、王弟が離脱しても代行できる者が育っていたのだ。
公爵と王弟は、領地を投げ出して王都に滞在している領主のタウンハウスを訪ね歩いた。
そして言葉巧みに、領主の証である城門の鍵と印章を預かった。
それを預けなければ地元の人々に信用されず、滞在して魔物を討伐するのが困難になるからと説明して――
元宰相が提案した「委任状」ではなく、領主の証をもらい受ける。
それは、平和を取り戻せたときのための布石だ。
のこのこと領地に戻っても、そこには魔物と勇敢に戦った新しい領主がいるだろう。
困難なときに守ってくれない人間に、税を納めたい住民はいない。
どんな口約束があったとしても、領主の証を他人に譲り渡したのだから、もう領主ではない。
誰もが不安な日々を送る中で、そんな未来への種が人知れず撒かれていく――




