王太子の婚約者
ああ、なんということでしょう。わたくしが婚約者に選ばれてしまいました。
わたくしが特別優れていたというわけではないのです。他の候補者たちがひどかった……。
ご自分が最有力候補だと宣言された令嬢がいらっしゃいました。よほど自信があるようで、すでに王妃であるかのごとく振る舞われます。
席順に文句を言い、お茶菓子を変えろと給仕のトレイを叩き落とし、傍若無人なお振る舞い――。
筆頭公爵家のご令嬢で、王太子にとっては従姉妹に当たるはずです。
まずは子どもたちだけでと言われ、国王や親たちは退席しています。
まさか、こんな事態になるとは誰も想定していないでしょう。
止められるのは王太子だけ――それなのに泣きそうな顔で逃げ出しそうなご様子です。
誰かが怪我をしたら、わたくしが「聖女のくせに」と叱られるやもしれません。
わたくしは教会で催しをお手伝いした経験から、参考になりそうな場面を思い出します。
野良犬が食べ物の匂いに誘われて、よだれを垂らしてこちらを見ていたときのことを……。
王太子は護衛が守るでしょう。大人である使用人たちは自己責任です。
泣いて座り込んだ女の子を立たせ、壁の方に避難させました。
他の女の子たちは、自主的にわたくしの後ろについてきます。
一緒に壁際に来ようとした使用人に「国王陛下をお呼びして」と耳打ちしました。
きっと、この場にいても役に立たないでしょうから。
そうして、暴れている女の子の方に戻り、カーテシーを披露しました。
「未来の王妃殿下にご挨拶いたします」
わたくしの言葉に驚いて、動きが止まりました。いい感じです。
これくらいの女の子だったら、ぶたれても怖くありません。ただ、ナイフやフォークを使われたら困りますね、そんなことを考えていました。
「わたくしが嫌いな干しぶどうを使うなんて、ひどいわ」
泣いているので途切れ途切れですが、このようなことを主張していました。
たくさんあるお菓子の一つなのですから、それを選ばなければいいだけのことでしょうに――。
呆れてしまう心を隠し、「それが悲しかったのですね」と相槌を打ちました。
まるで孤児院でかんしゃくを起こす子どもと同じです。善し悪しはさておき、言いたいことを聞き出せたので、次はうっぷんを吐き出させれば落ち着くでしょう。
その頃になってようやく保護者たちが駆けつけてきました。
わたくしは落ち着いて対処したことで、お褒めの言葉を頂戴しました。
あのご令嬢より継母の方が恐ろしいくらいだったので、動揺せずに行動できただけなのですが。
それを評価されて、婚約者に選ばれてしまったと後で聞きました。
父が外国に行っているため、わたくしを選んでも、国内でのパワーバランスを崩さないですむことも利点としてあったそうです。
教会には、王室が聖女を取り込もうとしていると嫌な顔をされました。
断れるものなら、教会からお断りしていただいて構いませんのに。
ある日、廊下で継母と執事が口づけを交わしているのを見てしまいました。
ああ、そういうこと……ですか。
いろいろなことが腑に落ちました。
王太子の婚約者に決まってすぐに、閨教育の座学を受けました。万が一のことがないよう、身を慎みなさいということです。
父が滅多に帰らないこの家は、継母と執事が好きなようにできる世界でした。
このことを父に告げるべき? 家にいないのだから、言うだけ無駄かしら。
浮気をしていても継母は家政のことをやっているので、父は黙認するかもしれない。
その場合、わたくしの生活環境が悪くなるだけね……。
わたくしは沈黙を選びました。
ところが、その頃から父が頻繁に帰国するようになりました。
王太子妃になるわたくしのことを、気にかけるようになったのかと思いましたが、深夜、義姉の部屋から出てくる父を見かけてしまいました。
今のわたくしの部屋とは離れていますが、同じ階ですので……。
もう、この家は滅茶苦茶です。
わたくしはより一層教会に救いを求め、真剣に学び、熱心に祈りを捧げました。
少しずつ聖力が増え、大聖女様からお褒めの言葉をいただくこともあったくらいです。
この頃は月に一度、王宮に呼ばれて王太子とお茶をするくらいでした。
たわいない話をして交流を深めるように言われましたが、わたくしは勉強と教会のことしか知りません。
一緒に学園に通うのが楽しみだというくらいしか、共通の話題がなくて困りました。
孤児院の話をしてみましたが、王太子は貧困問題に取り組むおつもりはないようで、詰まらなそうに窓の外をご覧になっていました。
「ご令嬢はもっとドレスや宝飾品の話題を好むのだと思っていた」
そう言われても、縁遠くなってしまったので……昔は、お母様が夜会に行く支度を見て、憧れたものです。
どんなに考えても望む物を与えられなければ、悲しくて考えること自体をやめてしまうのですよ。
継母が選んだ家庭教師はできの悪い義姉を褒め、わたくしのことを貶しました。
義姉はまだ貴族の子どもが学ぶような内容を終えておらず、褒めてやる気を出させようとしていたのかもしれません。
一方で、わたくしは学園を卒業できるレベルを求められていました。まだ入学前ですが、王太子の婚約者として授業を欠席することがあっても困らないようにと言われたのです。
わたくしが間違うと、義姉は指を指して笑います。それが、恥ずかしくて悲しくて……。
義姉は学園に入学する十五歳の時点で、貴族の令嬢とはとても言えない状態でした。継母の出身国は学園に通わない貴族女性もいるので、通わせないことを選んだのかと思いました。
わたくしが学園に通う年齢になっても、彼女は下位貴族ならば辛うじて通用するけれど上位貴族には足りないという状況でした。
さらに翌年、家庭教師と継母は、義姉をわたくしの「妹」とすることに決めました。年齢詐称です。
元々、彼女は他国の平民でした。あちらの国で書類にミスがあったとして、ごり押しして書類を改ざんさせたらしいのですが……そんなことが可能なのですね。
なんて恐ろしいことを……。
「弱みを握って、書類をすり替えさせるだけだわ。あなたもちゃんと話を合わせなさいね」
継母は、わたくしに隠そうともせず、得意げに犯行の手口をしゃべりました。
罪の意識を全く持っていない人たちに、わたくしは無力で……戦慄するだけでした。
「これからは『お義姉さま』と呼ぶから、返事しなさいよ」
「では、わたくしは貴方をなんと呼べばいいのかしら?」
「……仕方ないわね。本当は嫌だけど、ソフィアと呼びなさい」
義姉は、鼻の穴を広げてふんぞり返りました。
「かしこまりました」
そう、答えるしかなかったのです。




