宰相の決断
国王の執務室で、連日話し合いをしている。
関係部署の者が入れ替わり立ち替わり入ってきて、被害を訴える。
宰相はその順番を整理し、時に口添えをし、時に練り直すように突き返した。
その時にできる最善を提案するが、国王は決断できず「様子を見るように」と繰り返す。
次にその者たちが来たときには、状況は悪化している。取れる策もどんどん少なくなる。
そんな中で、息子の凶報がもたらされた。
「エンリコが殺された?」
宰相は顔色を失って、書類を落とした。宰相の補佐官が足元に散らばった書類を拾い集める。
「容疑者はトンマーゾ・コロンナ。数ヶ月前に魔の森で行方不明となった近衛騎士です」
報告に来た者が、宰相の顔をちらりとうかがいながら告げた。
「トンマーゾが生きていたのか!」
国王の後ろで護衛についていた近衛騎士団長は、無神経に喜びの声を上げた。
「よかったな」
国王が近衛騎士団長を振り返り、優しく声をかけた。
そのとき――宰相は拳を握りしめ、唾を鳴らした。
「息子の遺体と共に領地に戻り、葬儀を行いたいと思います。
これを機に宰相の職を返上させてください」
目の前で喜んでしまった手前、気まずい雰囲気が漂う。
「いや、それは困る。葬儀が終わったら戻ってきてくれ」
国王はそう留意した。
「ですが、ここ一ヶ月ほど、私の提案は全て却下されています。
お役に立てる者に、席を譲りますよ。はははは」
宰相は乾いた笑いで、会話を打ち切った。
補佐官が拾って宰相に渡した書類を、室内にいる男に押しつけた。
王妃の兄弟で、国王に媚びを売るだけの無能な男。
喜んでそれを受け取ると「お任せください」と、いらやしい笑顔で、宰相を送り出す。
補佐官は宰相について部屋を出た。
「辞める人間について来るより、あの場に残った方がいいのではないか」
宰相は、こんなときでも部下のことを考えて意見した。
「あの男は内容を理解できず、話し合いについて来られなくて、適当に相槌を打っていただけです。あの資料を手に入れたところで、ろくな話し合いはできませんよ」
と後任者をこき下ろした。
補佐官は、「この宰相だから、徹夜もきつい交渉も頑張れたのだ」と改めて思う。
「国が滅びますね」
「滅べばいいさ。災厄を招き、対処もできないような王家は退場すべきだ」
我慢の限界を迎えた男に、忠誠心は残っていなかった。
宰相室に戻り、大きく息を吐いた。
室内にいる選りすぐりの者たちは、いつもと違う宰相の雰囲気に書類から顔を上げた。
「君たちには、『この国をなんとか支えよう、一緒に頑張ろう』と声をかけてきた。
申し訳ないが、旗振りをしていた私が……私の心が折れてしまった」
宰相の息子が殺されたことを先ほど聞いたので、職員たちはそのせいかと考えた。
「国王陛下は、加害者である騎士団長の息子の生存を喜び、被害者のエンリコの死を悼んではくれなかった」
その説明に、室内に動揺が走る。
「国王陛下は小言を言わざるを得ない私より、前向きで調子のいい言葉を言う近衛騎士団長を昔から好んでいた。
この宰相室の人間は、私と同類で真面目な者ばかりだ。言わないといけないことは、黙っていられないだろう。
防波堤になっていた私がいなくなったら、居心地が悪くなると思う」
宰相として言ってはいけないと胸にしまっていたことを、告げなければと決意した。
「もし故郷があるなら、王都を見捨てて帰りなさい。
王都の罪もない人々のためにここで踏ん張るならば、それは素晴らしいことだと思う。
だが、評価されることはない。使い潰され、失敗をなすりつけられる危険性を常に孕んでいる。
……国のトップが代わったら必要とされる日も来るかもしれない」
宰相は、意味深な言葉を挨拶に紛れさせた。
緊張した空気が更に張り詰めて、息ができないくらいだ。
「その日まで、どこかに隠れて生きていてほしいと、個人的には思う。
あのソフィアという娘のように、裁判もなしに殺される可能性があるのだ」
誰かがペンを落とし、カツン、カラカラと転がる音がした。
宰相は一度目を閉じ、短く息をついた。
「……さて。最後の結果報告をしないといけないな」
宰相はいつもの口調に戻した。
「まず、疫病対策で二つの提案をした。
教会本部へ疫病対策の聖女を頼む。
もしくは、平民の光魔法の使い手で、治癒か浄化が得意な人を集めて診療所を開設する。
これらは二つとも却下された。
教会に借りを作りたくないし、平民に大きな顔をさせたくないそうだ」
失望のため息があちらこちらから聞こえてくる。
司教が本部へ連絡するのを嫌がっていたのを、ようやく説得したのに……という落胆だ。
教会の本部に増援を頼むということは、司教がこの国で失敗したと言うに等しい。
「国王からの依頼があれば」という譲歩を引き出したときには、この部屋に歓声が上がった。
「水質の悪化について、沸騰させて冷ます方法を周知させる。
――この提案は、魔法大国として恥ずかしいから採らないそうだ。
国王の名前で頒布しないというから、君たちが知り合いに伝えていってくれ。
できたら濾過装置の研究と発表まで辿り着きたかったな」
誰かが「なにが魔法大国だ。水魔法で飲み水を解決できないくせに」と嘲笑った。
軍事利用できる攻撃魔法を優先したため、生活魔法が発達していない。
桶に水を出そうとして桶を破壊する――王城ではそんな光景が見られた。
「外国から援助が来ない件に関しては……。
一番友好的だった西の国は、ヴィットリオ侯爵の処分が先だと言っている。
西の国が満足するような処罰を提案したが、国王は『検討する』と言うばかりだった。
今日、催促したら、愛娘を亡くして傷心の侯爵をいたわる心がないのかと怒鳴られたよ」
くたびれたような宰相の声に、職員たちは複雑な顔を向けた。
その「愛娘」というのは、王太子に断罪されたベネデッタのことか、王太子が刑死させたソフィアのことか……。赴任先で浮気を繰り返し、どちらも愛しているようには思えなかった。
それに比べて、宰相は息子を大切に育ててきた。
エンリコは学生時代に生徒会で活躍し、卒業と同時にここに勤務する予定だった。
彼だけがパーティーの断罪劇の責任を取らされ、近衛騎士団長の息子トンマーゾは近衛騎士になった。そのことを、この部屋の職員は誰も納得していなかった。
エンリコは少々荒れはしたが、下町で集めた情報をこちらに提供してくれた。
十年後に登城禁止が解かれたら、王城に勤めることができるかもしれない。そんな望みが叶う可能性は低いだろうけれど――それでも希望に縋ることはできた。
それも、生きていたらの話だ……。
古参の職員が静かに拳を震わせ、数少ない女性職員がハンカチを目にあてた。
「この王家は救いようがない」と、誰もが思った。




