王太子の側近たち
気がついたら、王都の下町に立っていた。
俺は学園を卒業し、父の率いる近衛騎士団に入団した。
その数日後に、魔の森へ追放した令嬢の捜索に駆り出された。
捨てておけばいいのに、なぜだ?
可愛いソフィアをいじめるような、性悪なベネデッタなんかを。
国王が捜せと言っているらしい。
しかたなく、捜索を始めた。
霧が濃くなり騎士たちとはぐれたと思ってから、記憶が曖昧だ。
女と激しく情を交していたような気もする。初めは気持ちいいのだが、「もう、これ以上は無理だ」と訴えても、やめてくれず、苦痛に苛まれる。
女には黒い翼があった。夢か、魔族に襲われているのか……。
ベネデッタに「助けてくれ」と頼んだ気もする。何と言われたか思い出せないが、助けてくれなかったんだろう。
そのあと、女に「本当にやめてくれ」と懇願したら、毛むくじゃらの男に引き渡された。腐敗臭の漂う、それに、抱かれたような気もした。
背筋が凍り、別の意味で「やめてくれ」と泣き叫ぶ。だが、容赦してくれるはずもない。
そんな悪夢を延々と見続けていた。
ふと気がつくと、王都の平民たちが出入りする役所の前にいた。
傷んだブーツの底に、石畳を感じる。
行き交う人。生活の雑多な音が耳に入る。
先ほどまで感じていたものは悪夢で、すべてが、遠く霞となって消えた。
ここは現実だ。俺は戻って来られたんだ。
そう思ったら、体から力みが抜け、膝から崩れ落ちそうになる。
「お前、トンマーゾじゃないか。今までどこにいたんだ?」
そんな声でハッと目が覚めた。
久しぶりに聞く宰相の息子、エンリコの声だ。
「久しぶり……だな? ここは? 気がついたらここに立ってた」
間抜けな話だが、そうとしか言いようがない。
俺は近衛の上着をなくして、薄汚れた格好になっている。剣は下げているが、とても騎士とは名乗れない風情だ。
「私の勤め先だ。就業時間になったから、今から帰るところだよ」
エンリコの声が、なぜか投げやりに聞こえた。
服装も絹のしゃれた服ではなく、麻の庶民のような服を着ている。
「お前の勤務先……王城のはずだろう? 宰相の側で勉強して、王太子が卒業したらすぐに側近として働けるようにって――」
「何ヶ月も前に言っていた夢を、まだ語るつもりか。
王太子がいつか王座に就くどころか、この国の未来は暗いぞ」
「なんで、お前はそんなひどいことを言うんだ」
「本物の聖女だったベネデッタ様を害したから、王都の結界に綻びができた。
水も悪くなったし、疫病も流行った。時々、魔物が王都に出て、被害が出る。
何を今さら……」
「ソフィアは? 無事なのか?」
華奢で泣き虫な彼女は、不安に怯えているだろう。
王太子がちゃんと守ってやらないなら、俺が……婚約者を捨てて、彼女を選んでもいいんだ。
「偽物のことを心配しているのか。笑えるな。
西の国からの工作員だとしたら、優秀なハニートラップ要員だな。骨抜きにしただけじゃなく、洗脳に近いと褒めてやりたいよ」
エンリコは見たこともないほど、顔を歪めている。
「彼女は無事なんだろな?」
何よりも大事なことだから、再度確認する。
「お前、今までどこにいたんだ? ソフィアなら、王太子殿下が処刑したぞ」
処刑? ベネデッタでなく、ソフィアと言ったか?
彼女が、もういない? 会えない。声を聞いて…… 俺に笑いかけて――
「嘘だ!」
俺の大声に、数人が振り返った。生気のない顔で、すぐに生活の続きに戻っていく。野次馬をする気力もないように思えた。
「本当だよ。遺体は……どうなったか、私も知らない。ひどい状態だったらしい」
「なんで、そんな他人事なんだ?」
苛立ちが募る。
「他人事だよ。私はあんな女に籠絡されていない。
私の婚約者だったルクレツィアと二人で、王太子殿下とお前たちの尻拭いに奔走していたんだ。元凶のアバズレがどうなろうと知ったこっちゃないさ」
エンリコが平民のような言葉を使っている。それが馴染むくらい月日が経っている――その可能性にゾッとした。
楽しかった学生生活をたぐり寄せるように、わざと明るく馬鹿なことを言った。
「あんな可愛い子を目の前にして、信じられない。
お高くとまったルクレツィア嬢より、よっぽど……」
最後まで言えなかった。
エンリコが、すごい形相で睨んできたから。
「お前たちには可愛く見えていたんだろうが、私には娼婦のように思えた。
実際、お前たちで共有していたんだろう」
「……」
なんだと? 「お前たち」? まるで何人もいるかのように……。
「よく、あんな女の涙に騙されるものだと、逆に感心した」
「ひどいことを言うな」
女性を侮辱するなど、許せない。それも、騎士の誓いを捧げた女神に――
「ひどいことをやったのはお前たちだろう」
「け、計画を立てたのはお前じゃないか」
喉が渇いてきた。声が震えて、頭がくらくらして、脂汗が出る。
「私が考えたのは――ベネデッタは大聖女になった方がいいと父に言われて、王太子と婚約破棄するところまでだ。
暴力を振るって拘束し、魔の森に捨てに行くなんて、聞いていない」
エンリコは怒りに震えている。
ああ、自分をのけ者にされるのが大嫌いだったな、と思い出した。
「あれ? そう言えば、誰が言い出したんだっけ?」
パーティーの会場で、悪役令嬢を押さえつけろと言われて自分が動き、魔の森に捨てろと言われてルカが動いた。
あれは誰の命令だった?
「知らないね。お前たちのせいで、私は向こう十年間、王城に立ち入り禁止だ。
当然、父の後継者から外された。
ルクレツィアとの婚約も、破棄されてしまった。
いち役人として、下町の役所で細々と働いている。秀才と言われた私が、惨めなもんさ」
捨て鉢な声だった。
そう言えば、エンリコは自分の婚約者の悪口は言っていなかったかもしれない。
「お前だってソフィアを抱いたくせに」
俺の責任にされたくなくて、悪あがきを口にした。
「くだらない尻拭いで、ただ働きさせられていたんだ。
息抜きだよ。元凶が詫びとして誘ってくるから、少し欲望を吐き出させてもらっただけだよ。
まあ、そんなことをしたのが大間違いだったな。
あんな女を抱いたくらいでルクレツィアを失うなんて、釣り合わない。
その前に、お前たちが世の中を舐めきっているのを、叱るべきだったか。尻拭いなんてしないで、見捨てておけば――」
「黙れ。黙れ、黙れ、黙れぇ!」
それ以上しゃべるな。俺たちを愚弄するな。
自分の体から、ぶわりと黒い何かが吹き出した気がした。それは俺を覆い、思考を黒く塗りつぶしていく。
俺は雄叫びを上げ、かつての親友を剣で貫いた。




