復讐をしてみるかい?
魔王城で変わらぬ日々を送っていた。
ある日、お茶をしながらオッセルヴァが問うてきた。
「君を追放した連中のうち二人を捕まえている。復讐したいかい?」
「毎日いろいろと考えて選ぶのだけで、手一杯です。これ以上考えたくないので、お好きにどうぞ」
復讐と聞いて、胸がざわめいた。教会は「懺悔をしたら許すべき」と教えている。
深く考えてはいけないと、「教え」が思考を停止した。
「捕らえられたのが誰かも、訊かないんだね」
オッセルヴァは、ベネデッタの表情を観察しているようだ。
「ああ、そうですね。訊こうかしら。
えっと……やっぱり、どうでもいいですね。
復讐するなら、その人の『嫌がる』ことを考えないといけないじゃないですか」
気持ちがごちゃごちゃになりつつ、その中で一番正直な気持ちを探して答えた。
「なるほど。
復讐しようと思うほど、彼らに情はないのかな」
少し残念そうに言う。
「そうですね。王太子もその側近も、わたくしに直接関わろうとしませんでした。
それがわたくしの悪評を加速させましたが……えっと、心を殺して生きていたので、よくわからないといいますか……」
ベネデッタは言葉に詰まった。
心を麻痺させていても、痛みはあったのだろう。だが、それを思い出すこと自体が、負担になるのだ。
オッセルヴァはそれ以上話題にすることをやめた。
「彼らに魔王城内でばったり会うことがあるかもしれない。用心のために一人では出歩かないように」
果物の皿を、そっとベネデッタの方に寄せる。
「はい」
ベネデッタはホッとして、一つ口に運んだ。
ベネデッタが退出して、ムスはお行儀良くするのをやめた。
ソファにごろりと寝そべり、果物をシャクシャクと音を立てて噛んでいる。
オッセルヴァは先ほどのベネデッタの反応を思い返していた。
「ベネデッタと連中を会わせて、彼女に命乞いをさせてみるか。
踏みつけにしていた女に助けてとすがりつくのは、どれほど屈辱的だろうか。
彼女が取り澄ました顔をやめ嫌悪感を露わにするのも、素敵だと思わないか?」
「主は悪趣味だなぁ」
ムスは楽しそうに返事をした。
「きれいなだけの『人形』なんて、つまらないじゃないか。
生々しい感情を見せてほしい。それを私にぶつけてもいい。
魔族は本能的に、自分より強いか弱いかを判断する。服従するか逆らうか――それしかないから、退屈なんだよ。
人族は、表情が豊かでいいね」
オッセルヴァはうっとりと目を細めた。
「その感情を取り戻したのが自分だと思うと、さらに、いい」
その日は部屋でリーナと刺繍をしていた。
少しずつ家具が増え、服も選ぶほど並んでいる。
ムスは小さな棚の上に自分の巣を作ってくつろいでいた。
廊下を誰かが走ってくる気配がある。
そう気付いたすぐ後に、扉がノックもなく開けられた。
「ベネデッタ嬢、俺を助けてくれ!」
やつれて、服も乱れているので、一瞬誰かわからなかった。
「あら、捕まった人ってあなただったのね。トンマーゾ・コロンナ様。
近衛騎士にはなれたのかしら?」
「なれたさ。それで魔の森に来たんだ」
「生け捕りにされたの? あまり強くなかったのね」
リーナがベネデッタを守るように立ち上がっている。
襲ってきたら針を刺すつもりで持ち変え、ベネデッタは話を続けた。
「なんだよ、血色良いじゃないか。いい待遇を受けてるんだな?」
「いいえ、わたくしも保護されている身です。
何かを要求できるような立場にありません。
それに、解放したらまたわたくしを押さえつけて、糾弾するおつもりでしょう?
あなたが縛られているからお話しできますが、そうでなければ怖ろしくて逃げていますわ」
よく観察してみれば、トンマーゾは両手を縛られているのだ。
誰かが取り逃がしてしまったのなら、連れ戻しにくるはず。それまで時間稼ぎをすればいい、そう考えた。
「ベネ、こいつに腹が立たないの?
パーティーで押さえつけられて、乱暴に馬車に乗せられたんだろう?」
ムスは、ベネデッタが断罪されたパーティーの話をした。
トンマーゾはギクリと、言われたくないことを突かれたという顔をした。
「あちらの世界では乱暴に扱われるのに慣れていましたので、『またか』というくらいでしたわね」
ベネデッタは、さらりとひどい境遇を口にする。
「あなたに紳士的に対応されたことなど、一度もありませんでした。
たとえ暴力を振るわれていたとしても、助けたいという気持ちが湧いてこないですね」
ベネデッタとしては、気持ちを整理しながら話しているだけだが、トンマーゾは絶望を顔に貼り付けた。
「そっか。こいつじゃ駄目なんだ」
ムスが密かに合図をすると、毛むくじゃらの魔族が現れてトンマ-ゾを引きずっていった。
「頼む、許してくれ、もう嫌だ」そんな言葉が遠ざかってく。
「せっかく部屋の場所を教えて、わざと逃がしたのに、正面切って『お願い』するだけとはね。
もっと頭を使って、主を楽しませてくれないと」
ムスはぼやいてから、胸元の遠見の魔道具を取り外した。
数日後、コウモリの羽根をつけた女性と共にルカが現れた。
「教会を裏切る罪人め。懺悔しろ」
出会い頭に、言葉を投げつけられた。
「そう言われても、わたくしは偽物なのでしょう?
聖女ではないなら、そんなに罪にならないと思うのですが。
『裏切る』ではなく、『従わない』くらいの……注意されるくらいですよ、きっと」
ベネデッタは自分の首に触れた。
この魔王城に来る前にムスに術をかけられて、ベネデッタは光の神に祈ることができなくなっている。
「あなたこそ、毎日お祈りをしているのですか?
あなたの信じる神は、あなたを救ってくださると思っていますか?
神は都合のいいお金儲けの手段ではありませんよ。
『光と闇を作られ、そこには善も悪もない』、この言葉を理解していますか?」
普段はオドオドしていても、聖女の振る舞いをするときは堂々とするように躾けられた姿を見せた。
役者が台詞を言うようなもので、『不心得者を指導するとき』という手引き書の一節だ。
ルカはそれを知ってか知らずか、激昂した。
「教会など、神など……信じていないさ!
僕の本当の父親は司教様だ。甥なんかじゃない。
だけど、司教になるのには独身の方が有利だと言って……」
「盛り上がっているところ、ごめんなさい。それは、わたくしに関係あるかしら?
ないのなら、刺繍のお仕事を続けたいのだけれど」
思わず言ってしまってから、ベネデッタは自分で驚いた。
聖女になってから数え切れないほど、告解を聞いてきた。途中で遮るなど、言語道断と言われていたのに――。
ああ、そうだ。自分はあんな告解など聞きたくなかった。慈愛の心などない。
「聖女ではない」と言われて当然だし、聖女に戻りたいなどと思わない――と、目が覚めた。
「お前のせいで、僕は……僕は……」
ルカはまだそこにいて、恨みの籠もった目でベネデッタを睨む。
怨嗟を吐き出すと、彼は周囲の魔素を呼び寄せていく。
属性は覚えていないけれどルカも魔法を使えたなと、ぼんやり思い出した。
一筋の魔素が、ベネデッタの方に向かった。
ベネデッタの心の奥が、焼けるように熱くなった。目の奥が痛くなり、何かがはじけた。
「そうだわ。あなたに馬車から引きずり下ろされたせいで、足を怪我したの。
それは、お返ししないといけないわよね」
ベネデッタは裁ちばさみで、ルカの足に傷をつけた。
さっと立ち上がり、見下ろすようにしてベネデッタは微笑んでみせた。
「魔族の人に闇魔法で治癒してもらうといいわ。
それで、おあいこにしましょう」
あの夜、ベネデッタは夜の森の中で魔物に察知されないよう、声を押し殺していた。
それに比べて、ルカは泣きわめき大騒ぎをしている。
やったことが自分に返ってきただけなのに、みっともない――。
ベネデッタがハッと正気に返った。
「え、今、わたくし何をしたの?」
血のついた裁ちハサミを慌ててテーブルに置いた。
「いや、どうして? こんなこと……いやぁ!」
ベネデッタは逃げ出した。
足がもつれて、廊下にべたっと転んでしまう。そのまま蹲って泣き始めた。
「か、感情のままに、行動するなんて、やっぱり駄目。いけないことだわ。
わたくしは、なんてことを……」
ムスはその様子を部屋から顔を出して見ていた。
「瘴気にやられてきたかな。
でも、あのザックリはよかったね。ぞくぞくしちゃった。
ところで、この男の治療、するの?」
ムスは胸に下げた遠見の魔道具に話しかけた。
「必要なかろう。女の細腕でつけた傷など、気にするほどでもない。
捕虜たちはあまり役立ちそうもないな。次の使い道を考えるか」
その魔道具からオッセルヴァの声が聞こえる。
ルカを連行してきたインキュバスが、「じゃあ、コレはあたしの好きにしていいんだね」とニヤッと笑った。




