魔王城の、とある一日
ベネデッタは魔王城の一室で、刺繍をしていた。
追い立てられることもなく、自分のペースで刺していく。
喉が渇いたら、休むこともできるのだ。
怒鳴られたり、嫌味を言われたり、ぶたれることもない。
人族の世界にいた頃よりも、よほど平和な世界だ。
ムスやリーナとたわいない話をして、時間が過ぎていく。
「もしかして、お友達と言ってもいいんじゃないかしら」
言ってから、照れてしまった。
遠い昔、母のお茶会についていった時のことを思い出す。同世代の女の子たちと楽しくおしゃべりできた時代もあったのだ。
人族の世界で失ったものを、魔族の世界に来てから取り戻している。
「不思議なものね。……これって、第二の人生というものかしら」
生まれ変わったようなものだ。
廊下が騒がしくなったと思ったら、扉をいきなり開ける者がいた。
「おい、こら人間! でかい顔して、のうのうと居座ってんじゃねぇよ!」
背中にコウモリの羽根がある、魔族だった。
「え、あの……ご機嫌よう?」
ベネデッタは驚いて、とっさに挨拶をした。
「ご機嫌よく見えるのかよ、ボケ! 魔王様にどうやって取り入った?」
「取り入ったというのは、色仕掛けをしたとか、そういう意味でしょうか」
念のために確認しておきたいと思う。
前提が違うと、話がすれ違ってしまうから。
「魔王城のプライベートエリアに寝泊まりしていて、なに純情ぶってんだよ」
「誤解ですわ。追放されたので、保護していただいているだけで……」
だいたい、「魔王ではなく領主と呼べ」と言われるくらい、心の距離があるのに――。
まるで恋敵であるかのように睨みつけられても、困ってしまう。
突然コウモリ女はビクンと体を揺らし、胸元を押さえて膝をついてしまった。まるで見えない何かに押さえつけられるように。
「だ、大丈夫ですか?」
刺繍をテーブルに置いて、立ち上がる。
近づいて様子を見た方がいいだろうか。
彼女の周りに魔法の気配があるので、うかつに近寄らない方がいいかもしれない。
それに、彼女は自分を嫌っているようだ。手助けされたくないと言われる可能性もある。
迷っていたら、カツカツと廊下から蹄の音がした。
コウモリ女の援軍だろうか? 乱暴なことをされなければいいのだが……。
でも、もしかしたら――と、期待してしまう。
扉から顔を出したのは、ラモーゾだ。
久しぶりに顔を見て、嬉しくなる。
「ラモーゾ、お久しぶりね」
少し声が弾んでしまった。目の前には具合が悪そうな人がいるけれど。
「ご無沙汰しております。
ところで、そちらの馬鹿が失礼なことを申し上げましたか?」
「え、いえ、あの……わたくしの滞在がご不快のようで。申し訳ないことですわ」
「それは主様が決めたことなので、こいつが口を出すことじゃないんですよ。
立て。主様のところに連行する」
ラモーゾはキリッとした女性軍人を思わせる迫力で、襟を掴んで部屋の外に引きずっていった。
廊下から言い訳めいた言葉が聞こえてきた。
「え、ラモーゾ、なまってない……?」
ベネデッタは嵐のような出来事に、なかなか動悸が収まらなかった。




