幸せになりたかっただけなのに
王太子はソフィアの顔を殴りつけていた。
凍り付いたように動けなかった大人たちが止めに入ったときには、彼女は血まみれで気を失っていた。
数日後。王宮の小さな部屋にソフィアがいた。
「治癒しなさいよ」
不明瞭な発音でソフィアが命じる。
だが、彼女は王太子の婚約者ではなく、ただの平民だ。
王太子に暴行された被害者なので、回復するまで部屋を与えられているに過ぎない。
「治癒ができる聖女も、結界の維持に駆り出されています」
見張りをしている女騎士が素っ気なく答えた。
「未来の王妃の顔よ?」
ガーゼや包帯で半分以上隠された状態だ。その隙間から、青あざが見えて痛々しい。
「ぷっ。笑わせないでください。
大聖女の後継者として期待されていたベネデッタ様を追い出した女が、図々しい」
「ベネデッタを殺したのは、あたしじゃないわ!」
「ええ、あなたにたぶらかされた人たちがやったこと――つまり、元凶はあなた。
一歩外に出たら、あなたを殺したい人がたくさんいるでしょうね」
王都の貴族のエリアに、魔物が出没するようになっている。
ベネデッタを断罪して追放したせいだと、誰からともなく噂が広まってしまった。
一方的に婚約破棄を突きつけた王太子、その浮気相手のソフィア、ベネデッタを魔の森に捨てに行った司教の甥であるルカがやり玉に挙げられている。もう、うかつに外を歩けないだろう。
「嘘、嘘だわ。王太子は? 司教様は? お母様は?」
ソフィアは現状を理解していない。誰かが自分を助けに来てくれると考えていた。
「はあ、答えるのも面倒くさいわね。
国を危険に晒したということで、捕まっているわよ。
あなたも傷が癒えたなら、牢屋に移動してもらうわ」
「ま、まだ、傷が痛むわ。怪我してるんだから、優しくしてよ」
「あんたに優しくする義理なんてないわ。
魔物と戦っている兵士が怪我したなら優しく看病するけれど、あんたのは自業自得でしょ」
女騎士の言葉が一段ときつくなってきた。
「フェデリコもひどいわ。王太子なんだから、人前ではしゃんとしないといけないわよね。
あんなふうに殴るなんて、紳士が聞いて呆れる。」
「何を言っているの。
あんただって淑女じゃないじゃない。底辺の娼婦なら殴られることもあるんじゃないの?」
「ひどい、ひどい。娼婦だなんて、ひどいわ。なんでそんなことを言うの?」
ソフィアは得意の泣き真似をした。
ベネデッタのように、やられて黙っている方が馬鹿なのよ――と心の中で毒づく。
泣いたり脅したりして、とにかく自分を守らないと……。
「あのさ、あんたに騙されていた男どもと違って、そんなこと言われても苛つくだけだからね。
ここに、男は来ない。あんたの味方をする奴はいないよ」
女騎士は断言した。
その翌日、魔道士と名乗る男が来た。
「やあやあ、君が隣国の魔道士の娘かい」
フードを深く被り、顔はよく見えないが、かなり年を取っているようだ。
「わしは数十年前にこの国に亡命してきたんだ。
こっちの国は魔法が発達して、魔道具はイマイチだろ。だから金持ちになれるかと思ったんだけどなぁ。魔道具は輸入すればいいっていう連中ばかりで、修理しかやることがない。
金にはならんし、最新型の魔道具に触れることもできないしで、さんざんだ」
挨拶もそこそこに、愚痴を垂れ流す。
「どれ、これが最近の魔道具かね?」
ソフィアの腕を不躾に掴んだ。
「知らないわ。お母様が持ってきただけだもの」
媚びを売っても意味がないと、ぶっきらぼうに答えた。
「ふうん? 魔力を腕輪から別の腕輪に飛ばせるとは、なかなかじゃのう。
いずれ音や物も飛ばせるようになるかもしれんね」
機嫌よく、腕輪を観察する。
ソフィアの腕にはまったまま見ているので、角度によってはかなり痛い。
痛がると一応謝ってくれるが、観察をやめる気はないようだ。
「助けて。ここから出して」
ソフィアにしてはかなり我慢したあとに、魔道士に話を持ちかけた。
「わしに言えることは、お前さんはペテン師だということじゃ。
自分に聖力がないとわかっていて、詐欺の片棒を担いだんじゃろ? 捕まって当然だと思わんかね」
魔道士はようやくソフィアの腕から手を離した。
「貴族の家で暮らせるようになって、なぜそこで満足しなかったんじゃ?
お前さんは王妃になったとしても満足できないんじゃろうのう……」
「あんたに何がわかるっていうのよ」
「満足するという機能が、壊れておる。いや、育たずに枯れてしもうたと言うべきか。
哀れよのう。わしもお主も、満足すべき己の器を見誤ったのじゃ」
魔道士は膝の上でしわだらけの指を組んだ。
「闇雲にもっともっとと手を伸ばし、手に入れたものを顧みずに、踏みにじってしまった。
踏みにじったものは、二度と手に入らぬよ」
「何が手に入らないって言うのよ」
「わしは魔道士として魔道具を開発できる環境を。
お前さんは……下位貴族でも捕まえて、貴族社会の端っこで義理の姉妹のおこぼれをもらっておけばよかったんじゃ」
「そんなもので、満足できるわけがないでしょう。
――見て。私は最高の女なのよ」
ソフィアは胸元をくつろげた。
「おうおう。こんな爺さんを誘惑してくれるのか。ありがたい。寿命が延びるのう。
じゃが、残念なことに、お前さんは監視されている。
ここで誘いに乗ったら、わしも同罪じゃ」
魔道士は遠慮なく胸元を眺めながら笑う。
「一時の夢に、人生をかけられるほど若くはない。
お前さんと王太子は、人生をかけたようだがのう。ほっほっほ。若い若い」
「この、×××野郎!」
ソフィアは娼婦が怒ったときに口にする罵詈雑言を、投げつけた。大声を出したことで傷が痛み、ソフィアは顔をしかめた。




