踏みにじられる幼心
我が家は外交に強い家系なので、物心ついた時には外国にいた気がします。
両親は政略結婚で、特別に仲良いわけではありませんでしたが、適度な距離感の家族であったように思います。
十歳になったころ母が亡くなりました。
一年くらい前から具合が悪くなり、わたくしと二人で帰国していました。
父は葬儀のために帰国し、それが済むと一人で任地に戻ったのです。
忙しい父の目に、わたくしは映っていなかったのでしょうか。
愛する家族を亡くした者同士の、いたわり合いはありませんでした。
わたくしは家庭教師と勉強をしながら、孤独を噛みしめました。
家庭教師は予定どおり学習を進めたいタイプで、わたくしに寄り添ったりはしませんでした。
「それはわたくしの仕事ではありません」
甘えようとしたら、きっぱりと拒絶されました。
程なくして継母が来ました。
「この者に、この家の差配をさせる。よく言うことを聞くように」
言葉少なに、そう言った父。
新妻が家に馴染むのを見届けることなく、任地に帰っていきました。
継母は家政のことなど、よくわかっていないようでした。
ですが、わたくしの実母が伏せっていたときから執事と家政婦長が家を回してきたのです。特に問題は起きませんでした。
それでも継母は執事に仕事を習っている様子で、やる気のある素晴らしい方が嫁いできてくださったのだと、嬉しく思いました。いえ、思い込もうとしました。
彼女が母の部屋を使うのは、正直、嫌でした。すぐに模様替えをするのも、母の痕跡を消そうとするのも嫌でした。
徐々に、細かいことに口を出すようになります。
ですが、わたくしはそれを拒否する権限を持っていません。
それどころか、わたくしが部屋を追い出されてしまいました。
彼女には連れ子がいて、彼女に部屋を明け渡すよう命じられたのです。
わたくしの部屋が使用人部屋や物置だったら、祖父母に会ったときに「継子虐めをされている」と訴えられたでしょう。さすがに、父も帰宅した際に気付いたかもしれません。
ですが、日当たりの悪い、歴代の四男、五男たちが使う程度の部屋だったのです。
母の愛用した家具を捨てられたとき、母方の祖父母に「抗議してほしい」と頼んだことがあります。物置に保管してくれれば、わたくしが大人になったときに使えますのに。
「なさぬ仲の子を育てるのは大変だ。良い子にして、気に入られるようにしなさい」と言われてしまいました。
わたくしが継母に家を追い出されて、自分たちが引き取ることになったら大変だと思っているようでした。
貴族の令嬢を育てるのにかかる費用は、馬鹿にならない金額だと言いますし……跡継ぎになる従兄弟たちがいるので、わたくしは不和の種になりかねないのでしょう。
義姉は「あたしも貴族になった」とはしゃぎ、マナーの勉強で「こんなの馬鹿みたい」と家庭教師に喧嘩を売り、年下のわたくしができるのを「ズルい」と泣きわめきました。
家庭教師は義姉を指して「わたくしは平民に教える術は持ちません」と辞めてしまい、執事がどこからか新しい家庭教師を調達してきました。
新しい家庭教師はいんぎんで、目つきがねっとりしていて、好ましいと思えませんでした。
初対面でそんなことを感じてしまう、わたくしは悪い子ですね。
親族に会うときのドレスは、義姉はオーダーメイドで、わたくしはそのお店の既製品か一番安い布で仕立てられました。
安くても、わたくしに似合う色やデザインでしたら、よかったのに……選ばせてもらえませんでした。わたくしの趣味が悪いと言わんばかりのドレス。
目の肥えた貴族たちは、一目でわたくしが軽んじられていることを見抜いたでしょう。ですが、誰も……父でさえ、何も言いませんでした。
継母は外国の人で、貴族の令嬢として育ったけれど、平民の魔道士と恋に落ちて駆け落ちをしたそうです。その魔道士と離婚して、父と再婚しました。
当然、この国の貴族に人脈はなく、お茶会や夜会のお誘いはあまりありません。
たまに来る招待状に飛びついて行くのですが、二回目に誘われることはないようでした。
暇つぶしに「平民から成り上がった女」を品定めするような集まりだったのでしょう。
実母との縁で、わたくしにだけ招待状が来ることがありました。
ですが、継母が出しゃばってついてこようとするのです。
面倒事はごめんだとばかりに、お友達がいなくなりました。お友達本人は気にしなくても、親がわたくしとの交流を許さないこともあったようです。
義姉が「どうして自分を連れて行かないのか」とかんしゃくを起こすのも、厄介でした。最低限のマナーも身につけていないので、人前に出せないのです。
継母に「あなたが思いやりもなく、見せびらかすせいよ」と責められました。
わたくしのせい……ですか。
継母は、あからさまに家を乗っ取ろうとはしませんでした。
ささいなミスを大ごとにしてから使用人をクビにして、気がつけば継母の天下となっていました。わたくしによくしてくれる人たちだけですから、父は気がつきません。
留守を預かる執事長も、いつの間にか継母の味方になっていました。いえ、わたくしの部屋を変えたときには、もう、継母についていたのでしょう。
時折父が帰国するときには、わたくしも一緒に食事することが許されました。
父は、わたくしの様子がおかしいことには気付きません。
継母と義姉ばかり話をして、わたくしが黙っているのを不思議に思わないようです。
一度だけ、勇気を出して「二人とうまくやっていけない」と話しました。
父は、面倒くさそうに「お前のために結婚したのだ。面倒を見てくれる人に文句を言うなど、品性に欠けるぞ」と言ったのです。
実母が生きていた頃のように生活したいというのは、わたくしの我が儘なのでしょうか。
――わたくしは、父に救いを求めるのを諦めました。




