魔王城
ムスの後ろ姿を追いかけて辿り着いたのは、いかにも魔王城という風情の、黒い城だった。
尖塔がおどろおどろしく、大きな石や鉄の鋲がふんだんに使われて、威圧感がすごい。
「……ムスの主って、魔王様なの?」
タカタカと早足で進むムスに尋ねる。
「う~ん、人族のいう魔王とはちょっと違うけど……この魔の森のボスではあるよ」
それは、魔王と呼んでいいのではないだろうか。
「その方にご挨拶をしに向かっているのかしら?」
「ん? まずお風呂に入りたくない?」
「ええ! まず、お風呂ですわね」
思わず被せ気味に言ってしまった。
「あははは、わかってるって」
ムスに笑われてしまった。
庭をずんずんと進み、王城の中に入ってしまった。
公務をやっているような魔族たちにちらりと見られるけれど、誰も制止しない。
そして、王族が私生活を送るエリアに来てしまった……。
いいのだろうかと戸惑いを隠せない。
「魔族の使用人と同じ浴場には入れないでしょ」
ムスはからかうように言い放った。
「そ、それもそうね」
風呂といえば、服を着ない空間なのだ。いきなり魔族と裸のお付き合いは、ハードルが高すぎる。
ある扉の前に立ち、ムスがノックをした。
中から村娘のような女の子が出てくる。
「ムッさん、お帰りやす。そん姫さんのお世話をするんだね?」
「そう、よろしくね」
ムスはそう言うと、ベネデッタに中に入るよう促し「また後で」と去って行った。
部屋の中は華やかな内装だった。だが家具がとても質素で、空間を持て余すような不自然さがあった。
「おら、人族でリーナって言います。準備が間に合わんくて、すまねぇこって」
そう言いながら、部屋についている小さな浴室に案内してくれた。
リーナが腕まくりをして、入浴の世話をしようとする。
「一人でも入れますよ」
「ええ? お貴族様は一人じゃ入れねぇって聞いて。だから、おらが雇われたのに」
やる仕事がなくなると困ると言い出した。
「普通はそうだと思うわ。けれど、わたくしは侍女がいなくなってから、自分のことはできるようになったの」
お湯は卵の腐ったような臭いがした。
「慣れるまでは臭いけんど、肌はツルツルになるべ。出るときは大きな甕のお湯を使って。そっちは匂わねぇんだ。
あ、髪の毛も甕のお湯を使った方がええぞ。きしきしすっからな。」
リーナは着替え用の服を置いて、出て行った。
小さなバスタブにお湯を張る。
溜まるまでの間に、甕のお湯を汲んで頭にかけた。整髪料がお湯に溶けて流れていく。
あの異様な学園での社交パーティーと断罪劇の記憶も、一緒に流れてしまえばいいのに。
何回もお湯をかけてから、瓶が置いてあるのを見つけた。
「多分、髪の毛用ということよね?」
少し手に取って泡立てて確かめてから、思い切って髪の毛を洗った。
気持ちいい。汚れていたので二度洗いした。
布で軽く拭いてから、香油を塗る。
お湯に浸かって、軽く肌を手で擦っていった。
リーナから魔素に慣れないうちは、体の表面を洗い落とさないようにと言われたのだ。具体的に言うと、石けん禁止、ボディブラシも禁止。
ただ、暖まって疲れを癒やすようにとのこと。
緊張がほぐれて、ほうっと深い息が出た。
「気持ちよすぎて、眠ってしまいそうだわ」
聖女と相性が悪いはずの、魔族の領域。
それなのに、神殿より王城よりもゆったり過ごしているなんて……。
風呂から出て、シルクのようなワンピースを着た。
「おお、めんこいな。似合うぞ。風呂は気持ちえかったか」
リーナがニコニコと話しかけてきた。
ローテーブルに、パンと果物が用意してある。
「おらが自分用に用意した飯ですまんな。軍人が来て村との行き来ができなくなるなんて、思わなんだ」
「これをわたくしがいただいたら、あなたが食べる物がなくなってしまうのではなくて?」
「おらは魔族の食べ物にも耐性があるから、大丈夫だ。心配ねぇ」
とてもお腹が空いていたので、リーナの厚意に甘えることにした。
じーんと、体に染みわたるようだ。
「早ぐ、軍人さんが帰ればいいのにな」
リーナはハーブティーを淹れながら言った。
そのハーブティーを飲んでいると、ムスが部屋に入ってきた。
「ベネ、主と会う? 魔族の偉い人だから、怖かったらいいけど」
「いいえ、お世話になるのだから、ご挨拶をしたいわ」
魔族が恐ろしいからといって、礼を欠いていいわけがない。
汚れてしまったブーツではなく、街歩きができそうな靴で廊下を歩く。
少し薄暗いが、掃除が行き届いて、蜘蛛の巣や埃は見当たらない。
おとぎ話の魔王城とは違うようだと、心の中で思う。
謁見室ではなく、応接間に通された。
初めて会う魔王は、ソファに座って書類に目を通していた。
「主、ご案内してきましたよ」
ムスが声をかける。
角が生えている。そこはおとぎ話のとおりね。
まずは、魔の森で過ごさせていただいたお礼と、ムスたちを派遣してくれたお礼を言わなければ。




