やることがないのも、辛い
カツコツと蹄の音がした。
薄暗い森の中で、比較的明るい時間帯。おそらく昼に近いのだろう。
その人影は、洞窟の入り口付近で立ち止まった。
「……ラモーゾ?」
小声で問いかけると、ぱっとこちらに目線が固定された。
「ああ、そこにいたんだねぇ」
今度はスタスタと近寄り、手に持っていた物を床に広げた。
「遅くなって悪ぃかった。
魔の森の入り口を人族の軍人がうろついてんで。主様が幻術をかけて、入ってこないようにしてるんだ。
村に行ぐのが難しぅて」
ラモーゾは申し訳なさそうに説明した。
「これ、魔族の食べ物を一応持ってきたんだけんど。
食べられっか、食中毒みたいになるか、人によるんだよ」
薄いパンケーキのようなものと、蒸した野菜が葉っぱに包まれていた。
「普通の人族なら、軽い不調になるくらいだけんど。
聖女の場合、自分の浄化力でまったく問題ねぇか、逆に闇属性と反発しあって死にそうになるが、極端でいけん」
ほんの一瞬、それでこの世から消えることができるなら……と思ってしまった。
魔の森の一大事なのに、新参者の自分を忘れずに食べ物を運んでくれたのだ。
こんな気遣いを受けて、がっかりさせるようなことをしてはいけない。そう、自分を戒めた。
ここ数年、こんな思いやりを受けた覚えがない。ベネデッタの胸は熱くなった。
「あんたが人族の世界に戻りてぇなら、森の入り口まで連れて行ぐよ。
だけんどこういう場合、追放は誤解だってぇ連れ戻されっか、生かしておいたんを後悔して袋だたきにあうかだべ」
ラモーゾはベネデッタの目を見て言った。
「どうする? 人族に未練はあるがい?」
どちらであろうと、ベネデッタが出て行けば軍人たちは引くにちがいない。
それなのに魔族側はベネデッタを突き出さず、希望を聞いてくれるのだ。
「……未練なんてないわね」
ラモーゾがゾクッとするほど、昏い目だった。
「そ、そんなら、このまましばらくここにいてくんろ。
心と体をしっかり休めるんだど」
そう言ってラモーゾが去ると、本当に何もやることがない。
魔族の食べ物を葉っぱで包み直して、洞窟の壁際に置いた。
空腹で耐えられなくなったら食べることにする。やはり少し怖いし、しばらくは木苺でごまかしてもいい。
ふと思い出したのだが、十歳で母が亡くなり十二歳で聖女になるまで、時々食べ物を与えられずに飢えたことがあった。
きれいな水が近くにあるだけ、恵まれている。
動き回ってお腹が空いたら、魔族の食べ物に挑戦することになる。
そうならないためにも、寝て過ごした方がいいだろう。
枯れ葉のベッドの上に横たわり、ぼーっと時が過ぎるのを待った。
分刻みの日々を過ごしていたから、手持ち無沙汰になると落ち着かない。
何もしないで、生きていていいのかしら。
働かない者には食べ物を与えないという教えを聞いたことがある。
わたくし、今、働いていないわ。
鳥の声が聞こえる。木の葉がざわめく。
魔の森は、死の森ではないらしい。
自分の心臓が動いて、リズムを刻んでいる。
追い立てられることもなく、ただ、淡々と……。
そういえば、義姉というか義妹は、いつ聖女になったのだろう。
彼女の性格なら、聖女になったと自慢して「あんたよりすごい聖女になってやる」くらい言いそうなものを……。
考えても、ここに答えがあるはずもない。
それでも、勝手に思考は湧き上がる。
彼女に、王太子妃の勉強と学業と聖女のお勤めができるのかしら。
きっと愛の力で乗り越えられるのね、すごいわ。
できるわけがないとわかっていて、そんな言葉が頭に浮かんだ。
わたくしも、それなりに性格が悪かったのね――なんだかおかしくなって、腕で目元を隠しながら一人で笑い声をあげた。
洞窟の奥に、乾いた笑いが反響した。




