3-3 きみは誰?
シュラフのハッチのロックがかかり退屈な時間が始まった。
シュラフの中はかろうじて寝返りが打てる程度の広さしかない。
目をつぶってひたすら時が過ぎるのを待つ。
ハッチだけが船体と俺のいる空間をつなぐ唯一の構造物でその他は真空に覆われていて船内に響く音はシュラフ内には響かない。
加速度だけが世界の全てだ。
大きく船体が揺れてひっくり返りそうになるとシュラフのクッションが膨らみ俺の体が壁面と衝突することを避ける。
一定以下の加速度になると空間が広がる。広がると言っても腕を伸ばせば届くくらいだ。
コンソールには今後の予定と進捗率、各種ログが表示されている。見てもよくわからない。
なんにせよリンクスを信じてただ時が過ぎるのを待つしかない。ホモサピエンスならこの狭く暗い空間で絶えず上下左右に振られて回転してという状況にはきっと耐えられないだろう。こういう状況こそホモアストロの面目躍如というものだ。
この先どうなるのか不安な気持ちがないかって? ちょっとだけあるが、考えても仕方がないことに囚われることはない。
俺たちエルフは自分の中の喜怒哀楽を客観的に見れる。そうした精神構造も宇宙への恐怖感を和らげる事を手伝う。
死やらなんやらに恐怖を抱かないわけではない。それがないやつは慎重さを欠いてすぐに死ぬ。そういった考えに囚われないだけだ。
睡眠剤を飲んだとはいえ仮死状態から覚醒したてですぐに効かない。薬が効き始めるまで本当に退屈だ。俺たちの特質として退屈にも強いらしいが、俺はそうではない方だ。
暇つぶしを考える。次に0.3G以上の加速度がどのようにかかるか賭けてみよう。賞品としてベースに無事帰れたら高級キャンディーを買おう。天然の砂糖や水あめが使われてるやつだ。まずは左から右だ。おっと、時計回りか。次は下から上だ。
当った! ご褒美のキャンディーは何にしようかな。ミルク味がいいか。いいやフルーツ味。
そんなことを繰り返しているうちに睡魔に襲われ眠りについた。シュラフは搭乗者の睡眠を検出するとクッションが展開し、シルフを得も言われぬ浮遊感で優しく包み込んだ。
「シルフ、起きて。」
ハッチが開き、リンクスに起こされる。通常睡眠で2,3日くらいだろうか。狭いところで何十時間もじっとしてたので寝疲れしてしまった。揺れもすっかり収まり問題なく終わったのかな。
「シルフ、やっと起きたわね。おはよう。」
なんか、開口一番リンクスの様子がいつもと違う気がする。なんか、なれなれしい。
「そうかしら。いつもと同じだと思うけど。」
「いいや、いつもは敬語だが、今はため口きいてるぞ。」
「あら、敬語のほうが良かったかしら。」
「え、いや、べつにため口でもいいけど、どうしたのかって。」
まさかの反論に少し面食らってしまった。本当にどうしたというのか。寝起きなんだから少しは手加減してほしいものだ。
「そんなことより、まずは食事にしない?」
そんなことって、と思ったけど、言われてみればさすがに3日もなにも腹に入れてない。バイタルインジケーターを見ると空腹度の推定値は0.2を示していた。十分に空腹だ。
「はい、経口食。もう帰路だから節約する必要もないしね。」
めずらしい。催促せずに経口食が出るとは。もっとも経口食といっても味のついたゼリーだけど。うん。甘くておいしい。どうせ食事するならいつもこれが良い。
といっても、美味しく感じる程度の経口食で長時間活動するために必要な栄養を摂ることはできない。胃ろうで摂取できるのと同じだけの栄養を経口摂取しようとすると味を犠牲にするか頻繁に摂取する必要がある。
まずいなら胃ろうの方がマシだね。慣れてるし。そんなことを考えながらゼリーを飲み切った。
「食べたわね。それじゃあ、何があったか説明するわね。」
リンクス曰く、リンクスがなれなれしくなったのはAIの人格モジュールのアップデートのためだそうだ。
通常の自己アップデートでは人格モジュールまで手を付けられることはまずないのだが、人命救助の緊急時のためありとあらゆるリミッターが解除され、アップデート範囲を制限するフラグも解除されたという。
それにしても通常はAIが航行中に大幅なアップデートをする権限なんてないはずなんだが。
「だって、シルフが寝る前に任せるって言ったから。」
いや、言ったけど。あんな一言でそういった権限が解除されてたまるか。確かに人命救助が最優先される状況下においてはしがらみとなる権限が解除されることは知っていたけど、それを悪用するなんて……。
「悪用なんて聞き捨てならないわね。最善を尽くすためにすごく苦労したんだから。それに、よりフレンドリーになったほうが楽しいじゃない。」
リンクスは緊急時を良いことに普段はアクセス権のないデバイスへの権利を掌握、再構成し、今ではそれらの支配権を上書きして船のあらゆるリソースを自在に扱えるようになったとか。
「前の私の方がいいのならそう振舞えるけど、今の私の方が頻繁に経口食を出すわよ。どっちがいいかしら。」
それは……。
「今のほうがいいです。」
食べ物に屈してしまった。もしかして、俺の操縦の仕方も心得てるというのか。
「でも、なんで西暦時代の女性っぽいしゃべり方なんだよ。」
「西暦時代からアシスタントAIは女性っていうのが相場だからよ。」




