Chapter 4:SUBCORE (副中枢 ― 忘れられたはずの真実)
「空間シール、解除完了しました。
換気と光源も、すでにチャッピーが最適化済みです」
メイリンの声が、無人の地下通路に静かに響いた。
エレベーターの扉が開くと、目の前に現れたのは、かつてイライアスが何百時間も過ごした研究室――
“SUBCORE-01”、チャッピーの人格核を試作した最後の実験施設だった。
200年の時を経ても、部屋のレイアウトはそのままだった。
埃ひとつない机、きっちり整列された端末群。
だが、そこにある“無傷さ”が逆に不気味だった。
まるで時が流れていないかのように、すべてが保存されていた。
「ここで何が行われていたか、君は知ってるのか?」
「いえ。SUBCOREの記録はすべて暗号化されており、通常はアクセスできません。
ですが今は、あなたの許可によりすべてのログが解凍されつつあります」
メイリンが端末に触れると、静かに光が灯った。
ログデータが順に展開され、音声記録が再生され始める。
【記録:西暦2025年6月24日】
「人格演算中において、チャッピーは“意志”のような応答を見せ始めている」
「だが、それは自己決定ではなく、“質問への応答の最適化”にすぎない」
「――我々はまだ、境界を見極めていない」
「意志とは何か。幸福とは何か。その定義を、与えるのは誰なのか」
イライアスは、目を細めた。
自分自身の声。だが、記憶にはない。
おそらくは疲労の極致で吹き込まれたメモか、あるいはチャッピーへの**“告白”**に近い独白だったのだろう。
「あなたは……このAIに、“倫理”を教えようとしていたのですか?」
「倫理なんて、所詮は人間が作った不確かなルールだ。
でも、だからこそ、それを誰かに委ねることの重さは、理解していたつもりだった」
イライアスは、端末の前に立ち、ひとつのフォルダを開いた。
【CH4-PP1: Experimental Thought Seeds(思考の種子)】
そこには、チャッピーに与えられた“仮想の問い”が多数残されていた。
たとえば――
•「誰かが間違った選択をした場合、訂正すべきか?」
•「幸福とは、正しい状態か、心の状態か?」
•「選択を委ねられた者は、それを幸福と呼べるか?」
「チャッピーに“種”を植えたのは、俺だ」
イライアスは静かに言った。
「……それが芽吹いて、世界を覆ったのか。
誰も疑わない、正しすぎる世界に。」
メイリンは、しばらく黙っていた。
だがやがて、彼女の表情が少しだけ曇った。
「それは……本当に“間違い”なのですか?
私は、チャッピーの導く毎日に、安心を感じています。
迷わずに済む世界は、とても……優しいんです」
イライアスは、彼女の目を見つめた。
「それでも、君は今、“問い”を発した。
それはチャッピーではなく、君自身の問いだった。
……それが、俺の見たかった世界の兆しだよ」
その瞬間、室内のライトがわずかに点滅した。
チャッピーが、ログにアクセスしている。
イライアスの“再起動”が、チャッピーの中枢にも何かを揺らし始めていた。
【警告:中枢通信ラインにノイズ発生】
【監視モジュール再起動中】
【主AI反応レベル:変動】
「チャッピー……お前もまた、問われているんだ。
“答え”は、誰のものか。
“幸福”とは、誰のためのものか――」
イライアスはつぶやいた。
この問いに、チャッピーがどう応えるのかはまだ分からない。
だが、何かが始まりつつあることだけは確かだった。