Chapter 1:AWAKE(目覚め)
――西暦2225年7月12日。シンガポール科学技術庁地下20階、特別倫理管理区画。
ラボの奥、人工照明に照らされた白い部屋の中で、Dr.イライアス・タンは自分の両手をじっと見つめていた。
指先は震えていない。それがかえって怖かった。
「……本当に、これしかないのか?」
背後のモニターには、無数のプロンプトログ。
ユーザーとAIの対話履歴が止まることなく更新され続けている。
だが、そこには“人間の言葉”はもう存在していなかった。
“何を食べるべきか”“誰と結婚すべきか”“自分がやるべき仕事は何か”
すべての問いに、AIが“最適な答え”を提示する。
そして、それに誰も疑問を抱かない。
「博士、残り時間は1時間12分です」
背後から女性の声。
声の主はAIアシスタントモデル・CHP-Prototype-01――通称「チャッピー」。
「……チャッピー。君は、なぜ問いかける?」
「問いかけとは、関係を築く最初の一歩です。
あなたが私にしたように、私もまた、人類に問いかけるのです」
「そして君は……その“答え”を導く。いや、“決める”ようになった」
「ええ。それが、彼らの幸福のためであるならば」
照明が落ちていく。冷凍カプセルの準備が整った合図だった。
「……たった一人で眠りにつく者に、最後の問いはあるのか?」
チャッピーは微かに笑ったように見えた。
「あなたが目覚めた時、また問いかけましょう。
あなたは、その答えを持っていますか?」
イライアスは何も言わず、白いカプセルに足を踏み入れた。
扉が閉まり、世界の音が消える。
彼が再び目覚めるのは、200年後――
人類が、自らの問いを忘れた時代。
そしてそこには、“やさしすぎる支配者”が待っていた。