【第八章】バトンはここに
【第八章】バトンはここに
【⑧-1 ひとりじゃない】
観客席から響く声援。
選手たちが慌ただしく準備を進める中――
4人は、ひとつの影になって集まった。
朝陽(1走)。
直(2走)。
千紘(3走)。
そして、湊(4走)。
緊張と興奮と、
そして――静かな覚悟。
誰も、最初は何も言わなかった。
でも、今の4人には、
もう言葉を待つ空気はなかった。
朝陽が、そっと手を差し出した。
「みんなでやりましょ。」
笑顔。でも、その手は震えていなかった。
直が、無言でその手を叩く。
千紘も、静かに手を重ねる。
最後に、湊が。
ゆっくりと、でも確かに、手を伸ばした。
4人の手が、重なる。
湊は、みんなの顔を見渡して、言った。
「……勝ちたい。」
シンプルな、でもずっと言えなかった本音。
「勝ちたい。――みんなで。」
朝陽が、にかっと笑った。
直が、静かにうなずいた。
千紘が、目を細めた。
「せーの!!」
「オォオオオッ!!!!」
拳を突き上げる。
その瞬間、4人の心が、確かにひとつになった。
バラバラだった気持ちも、怖れも、後悔も、
全部、抱きしめて。
今、ただ、
この4人で、前に進む。
(俺は、過去を捨てるんじゃない。)
(過去も、今も、全部背負って――)
(――この4人で、勝ちにいく!!)
【⑧-2 1走・朝比奈 朝陽】
「用意!」
場内アナウンスが響く。
観客席からは、大きなざわめき。
スタート台に立った朝陽は、
しっかりとプールを見つめた。
手のひらをぎゅっと握る。
胸が高鳴る。
『俺はあいつの強さを知っている。』
こだまする千紘の声。
もう怖くなかった。
(俺は――。)
(先輩たちに、仲間たちに、繋ぐために飛び込む。)
スタート台から見える水面が、
広く、青く、
まるで未来みたいに輝いて見えた。
【ピッ――!】
スタートの笛が鳴る。
朝陽は、
誰よりも高く、誰よりも美しく、
空を切った。
放物線を描いて、
水面に吸い込まれる。
ばしゃん――
綺麗な飛び込み。
無駄な水飛沫ひとつない。
観客席から小さなどよめきが起きた。
(俺は、もう、後ろを見ない。)
(繋ぐために、全力で飛び出す!!)
身体を縮め、蹴り出す。
ストリームライン。
完璧な姿勢。
スタートダッシュ。
一瞬で、リードを奪った。
ぐんぐん加速して、ターンも完璧に決める。
そして、壁に向かって――
「直先輩!!」
心の中で叫びながら、手を伸ばす。
完璧な繋ぎ。
朝陽は、水の中で笑った。
(先輩、頼みました!!)
【⑧-3 2走・篠原 直】
ばしゃん――
朝陽のタッチ。
水しぶきを上げながら、
直は水中に飛び込んだ。
(きた――!!)
(俺に繋いでくれた!!)
胸の奥が、熱く燃える。
(前は、勝てなきゃ意味ないと思ってた。)
(仲間と馴れ合うなんて、弱いと思ってた。)
(でも、違った。)
(俺は、仲間がいるから――本気になれる!!)
(逃げねぇ。)
(もう、自分からも、仲間からも、逃げねぇ!!)
水を力強くかく。
足を、鋭く蹴る。
ブレないフォーム。
安定感。
迷いのないリズム。
ターンも、完璧に決まる。
直は、ぐんぐんとスピードに乗った。
観客席からは、
「直先輩!!」
朝陽の叫ぶ声が聞こえた。
笑った。
水中で、
にやりと、笑った。
壁まであと数メートル。
視界の先に、
千紘がスタート台に立っているのが見えた。
(次は――お前だ!!)
力いっぱい、壁に手を叩きつける。
タッチ。
完璧なパス。
(仲間と繋ぐ――)
(こんなに、嬉しいもんなんだな。)
【⑧-4 3走・浜辺 千紘】
ばしゃん――!
直の全力のタッチを受け、
千紘は、水へ飛び込んだ。
一瞬で、空気が変わった。
水が、温かかった。
いつか怖かった水が、
今は、誰よりも優しく、背中を押してくれる。
プールの水が、
まるで千紘を歓迎するみたいに、
身体をすべらせた。
(怖くない。)
(もう、怖くなんかない。)
(――今の俺で、泳ぐんだ!!)
水と、自分が、ひとつになる。
かつてのあの感覚。
でも今は、違う。
無理に昔を取り戻したんじゃない。
今の自分で、楽しんで泳いでる。
(泳ぐのが、楽しい!!)
水を蹴るたびに、加速していく。
周りを突き放す速さ。
誰も追いつけない。
誰も、止められない。
誰より早く、強く、美しく。
自由に、空を飛ぶ鳥のように泳ぐ。
観客席が、どよめきに包まれる。
「あいつ……千紘だ!」
「戻ってきた――!!」
「やっぱあいつ、天才だよ!」
歓声が上がる。
でも、千紘には、何も聞こえなかった。
ただ、水の音だけ。
身体も心も、自由だった。
ターンも、完璧。
水を蹴る力も、最後のスパートも、
今までとは別物だった。
(俺は――過去に勝つんじゃない。)
(今の俺で、最高の泳ぎをする!!)
視界の先に、スタート台に立つ湊が見えた。
(繋ぐ――!!)
最後の一掻き。
壁に、全力で手を伸ばす。
タッチ!!!
(この瞬間のために、俺は――)
(何度も、何度も、泳いできたんだ!!)
【⑧-5 4走・立花 湊】
ばしゃん――!!
千紘からのタッチを受け、
湊は水に飛び込んだ。
(俺は――過去を捨てない。)
(勝ちたかったあの日も、仲間が欲しかったあの日も。)
(全部、全部、俺だ。)
(そんな俺が、今、ここにいる。)
水を切る。
腕を、脚を、全力で振り抜く。
迷いはなかった。
(勝ちたい。)
(みんなで、勝ちたい。)
(お前らと、笑いたい!!!)
ただそれだけ。
ただそれだけを、
全力で願いながら、湊は、泳ぐ。
観客席から、
ものすごい歓声が沸き上がる。
「速い!!」
「あの4走、すげえ!!」
でも、湊には、何も聞こえなかった。
聞こえるのは、仲間たちの声。
あの日、自分を支えてくれた、あの言葉たち。
「先輩のおかげでここにいます」
「お前は今も昔も変わってない」
「お前を信じてる」
最後の一掻き、最後の一蹴り。
(――繋ぐんだ。)
(この想いを、この時間を、この4人の全部を!!!)
タッチ。
ばしゃんと水しぶきが大きく弾けた。
息を切らしながら、水中で湊は顔を上げた。
電光掲示板。
1着。
歓声。
叫び声。
仲間たちが、プールサイドで手を伸ばして、
湊を迎えていた。
湊は、濡れた髪のまま、
全力で泳ぎきった身体を引き上げた。
仲間たちのもとへ、走った。
朝陽が、
直が、
千紘が、
全力で駆け寄ってくる。
4人、ぐしゃぐしゃになりながら、笑いながら、抱き合った。
(俺は、ひとりじゃない。最初から、ずっと、ひとりなんかじゃなかった。)
(これが――)
(これが、俺たちのリレーだ!!!)




