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ひかる海  作者:
7/9

【第七章】湊まる光

【⑦-1 もがくうなぞこ】

本番を控えた練習。


リレーの通し練習、スタートの確認、

みんなの泳ぎも確実に仕上がってきた。


でも――

湊だけが、

どこかリズムを崩していた。


タイムが、ここ一番で伸びない。


(俺は変わったんだ。)

(もう、昔みたいに冷たくない。)

(優しくて、仲間を大事にできる、そんな俺になったんだ。)


(だから――)


(だから、勝つことに必死になるなんて、もう、違うんだ……!)




リレー練習。

ラスト4走、湊。


飛び込んだ瞬間、頭の中でぐるぐると思考が回る。


(速く、速く……いや、違う。勝ちたいとか、思っちゃダメだ。)


(優しく、仲間のために――)


身体が、ぎこちなくなる。

水を掴めない。伸びない。


タイムは、過去最低だった。




壁にタッチして上がった湊に、周囲は何も言わなかった。

ただ、静かな、重たい空気だけが流れる。

湊は、プールサイドに座り込んで、うつむいた。


(違う。こんなはずじゃない。)


(俺は――変わったんだ。)


けど。

胸の奥で、小さな声が囁く。


(……本当に?)


(俺は、何のために泳いでる?)





【⑦-2 花弁をひろう】

リレー練習が終わった後、

部員たちはそれぞれ散っていった。


湊だけが、まだプールサイドに座り込んでいた。タオルもかけずに、濡れたままの体で、うつむいて。


自分が水面に映った影を、

じっと見つめていた。


(俺は……変わったはずなのに。)


(それでも、速く泳げないなら――俺は、もう、いらないんじゃないか。)


(何のために、泳いでるんだろう。)


静かに、胸が軋んだ。



「先輩。」


声がした。

顔を上げると、朝陽がそこに立っていた。

いつもの、明るい笑顔。


でも――

その目は、どこまでも真剣だった。


「……練習、お疲れ様っす。」

「……ああ。」


ぎこちなく返す湊に、朝陽は迷いながら、でも、真っ直ぐに言葉を重ねた。


「あの、先輩。言いたいこと、あります。」

「……なに?」


朝陽は、一度、深呼吸してから。


しっかりと湊を見つめて、言った。


「俺、最初、水泳部で居場所なかったって言いましたよね。」


「下手くそだったし、誰にも期待されてなかったし。どこにも、立てる場所なかった。」


「でも。」


「――先輩が、作ってくれたんです。」


湊は、目を見開いた。


「あのとき、“出オチ野郎”って言われたときも、俺、めちゃくちゃ悔しかったっすけど、それでも、“あ、見てもらえた”って思った。」


「ちゃんと、俺を見てくれてた。」


「……だから、俺、スタート極めようって思ったんです。」


湊は、何も言えなかった。


胸が、ぎゅうっと締めつけられる。


「今の俺があるのは、先輩のおかげです。」


「勝ちたいって思えるのも、このチームで戦いたいって思えるのも、先輩がここにいてくれるからです。」


「……だから。」


朝陽は、にっと笑った。


「先輩が変わったかどうかなんて、どうでもいいっすよ!」


「――ただ、俺に居場所をくれて、それありがとうございます!」




(……俺は。)


(最低だったと思ってた。誰にも、必要とされてなかったと思ってた。)


(でも――)


(あのときの俺も、ちゃんと誰かを、救ってたんだ。)


(過去の俺を、否定しなくてもいいんだ。)


(全部抱えて――今の俺で、泳げばいい。)


拳を、ぎゅっと握った。




湊は、立ち上がった。

朝陽に、笑う。

少し、涙をこらえながら。


「――ありがとう。」


静かに、けれど、力強く。

湊は、前を向いた。


 



【⑦-3 花弁にふれる】

プールの練習を終えたあと、

湊は、更衣室の隅でひとり着替えをしていた。


シャツを着ながら、ふと目を閉じる。


頭の奥で、

断片的な記憶がよみがえる。


小さなころ。

いじめられて、泣きながらプールに逃げたこと。


水の中だけは、誰にも邪魔されなかった。


(……だから、勝ちたかった。)


(強くなれば、誰かが、俺を見てくれるって。)


バラバラな記憶が、胸にチクチクと刺さった。


(でも今の俺は――。)




「おーい。」


直が、更衣室の入り口から顔を出した。


「一緒に帰ろうぜ。」


湊は、驚いた顔をする。


「……俺と?」

「文句あんのか。」


ぶっきらぼうな言い方。

でも、その顔は、どこか優しかった。


湊は、小さく笑って、うなずいた。




夕焼けの道を、並んで歩くふたり。

ぽつり、と直が話し始めた。


「俺、弟がいるんだ。」

「へぇ、そうなんだ。」

「ああ。数ヶ月前、海で溺れかけた。」


湊は歩みを止める。

直は、少しだけ空を見上げてから、続けた。


「でも――助けてくれたやつがいた。」

「……優しいやつがいたんだな。」


直は、ふっと笑った。


「そうなんだよ。マジで、感謝してる。」


湊も、少しだけ笑った。


そのとき。

直が、まっすぐに湊を見た。


「……ありがとな。」

「え?」

「弟を助けてくれたの、お前だよ。」


湊は、言葉を失った。




「俺、それに気付いたとき、

なんでだろうな、すげー納得した。」


「どんなに冷たく見えても、

どんなに勝ちにこだわっても――

お前、本質は、ずっと優しいやつだったんだ。」


直は、にやりと笑った。


「今も昔も、変わってねぇよ。」


「だから、無理して変わんなくていい。」


「――お前は、もう十分、“お前”なんだから。」




胸に、じわりと温かいものが広がった。


(俺は――。)


(変わったんじゃない。)


(もともと、こうだったんだ。)


(ただ、勝ちにこだわるしか自分を守る術を知らなかっただけで。)


(俺は、最初から――仲間が、ほしかったんだ。)


涙が、滲みそうになる。


でも、今は、笑って言えた。


「……ありがとう。」


直は、照れ隠しに、顔をそむけた。





【⑦-4 湊まる光】

大会前夜。

プールはすでに施錠されているはずだった。

でも、こっそり抜け出してきたふたり。


湊と、千紘。

静かな夜のプールサイドに、ふたりきり。


水面は鏡のように静かだった。


千紘は、プールサイドに腰を下ろすと、ぽつりと言った。


「……ぐちゃぐちゃだったよな、最初。」


湊も、笑って座る。


「ああ。」


笑いながらも、胸の奥があたたかくなる。



しばらくの沈黙のあと、千紘が、真剣な声で言った。


「――お前のおかげで、俺、変われた。」


湊は、目を見開く。

千紘は、まっすぐに続けた。


「怖くて、逃げたかった。本当は、もう無理だって思ってた。でも……お前が言ってくれたから。“無理に昔に戻らなくていい”って。」


千紘は、少しだけ顔を伏せて、

でも、しっかり湊に向き直った。


「俺は、お前を信じてる。」


「お前の前だから、泳げるんだ。」


「……ありがとう。」


まっすぐな感謝。

飾りも、嘘もない。




その瞬間――

湊の記憶の奥で、

何かが、一気に溢れた。


(ああ、そうだ。)


(俺は――)




幼い頃。


小さな表彰台。

1位、千紘。

2位、自分。


誇らしげにメダルを掲げる千紘に、

小さな湊は、必死に声をかけた。


「俺、お前のライバルになるから!」


千紘は、にかっと笑って、答えた。


「俺、いつかお前とチームで泳ぎたい!」


あの頃――

誰よりも速くなりたかった。


でも、それはただの”一人勝ち”じゃなかった。


(――誰かと、一緒に、勝ちたかったんだ。)


(千紘と、仲間と、みんなで。)


勝ちにこだわったのは、

強くなりたかったのは、

孤独が怖かったからじゃない。


(俺は、ずっと――友達が、仲間が、ほしかったんだ。)


胸が熱くなる。

涙が、こぼれそうになる。



湊は、ゆっくり顔を上げた。

千紘と目が合う。


「――ありがとな。」


静かに、でも、心からの声で、そう言った。

千紘も、にっと笑った。


ふたりの間に、もう言葉はいらなかった。


ただ、

同じ空の下で、

同じ水の匂いを感じながら。


今、確かに、

ふたりはチームだった。


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