【第四章】朝比奈 朝陽、空へ飛び出す
【④-1 挫折】
空気は重い。
周りの部員たちは遠巻きに4人を見ながら、
「やっぱ無理だろ」と言いたげな顔。
2走・直が低い声で呟く。
「なあ、もうやめようぜ、リレーなんか。」
誰も言葉を返さない。
それでも、試合はやってくる。
朝陽、スタートでタイミングを外し。
直は無難な泳ぎにとどまり、巻き返せず。
千紘はトラウマを引きずり、スピードに乗りきれず。
湊も、どこか迷いながら泳いだ。
結果――散々。
プールサイドで、みんな無言になる。
観客席からも、冷めた視線が投げられる。
試合後、バタバタと撤収する中――
朝陽はふと、忘れ物に気がついた。
(タオル、置き忘れた……)
重い足取りで更衣室へ向かう。
そのとき。
中から、他校の選手たちの声が聞こえてきた。
「あいつらにリレーなんて無理だろ。」
「2走は無難なやつ、アンカーは記憶ないって話だし、3走はトラウマ持ち。」
「なにより1走、あんなスタートじゃ、話にならないな。あいつらには勝てるわ。笑」
乾いた笑い声が響く。
朝陽は、扉の前で立ち尽くした。
入りたくても入れない。
ただ、壁にもたれて、震える。
(わかってる。俺が、足引っ張ってる。)
(才能なんて、ないんだ。)
拳をぎゅっと握りしめる。
涙が、こぼれた。
【④-2 決意】
そのとき、千紘が更衣室にやってきた。
朝陽に気づかず、扉を開ける。
中にいる他校の連中に向かって低い声で。
「――お前ら、後ろから朝陽のスタート、見たことないだろ。」
場が静まる。
「朝陽ほど、高く、美しくスタートを切るやつはいない。」
一瞬、相手が言葉を失う。
「落ちた天才が何言ってんだよ」と誰かが吐き捨てるが、千紘は微動だにせず、静かに言い返す。
「俺のことは好きに言えよ。でも――朝陽の本当の強さを、俺は知ってる。」
扉が閉まり、中は静まり返る。
壁越しに聞いていた朝陽は、
肩を震わせながら、顔を上げた。
頭の中に蘇る。
幼い頃、憧れた千紘の背中。
誰より早く、強く、美しく、まるで水のように泳ぐその姿。
ああなりたい!心の底から願った。
千紘を追って水泳をはじめた。フォームを真似して、とにかく彼に近づこうとした。
憧れた千紘が、自分を認めてくれている。
涙が出るほどうれしかった。
――でも。
(俺は、俺だけの強さを見つけなきゃだめなんだ。)
(俺は、スタートダッシュの鬼になる。)
その日から、朝陽は誰よりも早くプールに来て、誰よりも遅くまで、スタート練習を繰り返す。
何度も、何度も、飛び込んではやり直す。
誰も見ていない場所で、何百回も、何千回も。
(繋ぐために――飛び込むんだ。)
プールに響く、水音だけが、朝陽を支えていた。
【④-3 居場所をくれたのは】
夕方のプール。
陽が傾きかけ、オレンジ色の光が水面を照らしている。
誰もいないプールに、
ばしゃん――、ばしゃん――
規則正しい音が響く。
朝陽が、ひとり、スタート練習を繰り返していた。何度も飛び込んでは、やり直し。肩で息をしながら、それでも立ち上がる。
その姿を、湊はプールサイドから静かに見つめていた。
「……お前って、昔からスタート専門だったの?」
休憩に上がってきた朝陽に、何気なく声をかける。
「え、全然ですよ!むしろ、リレーとか一度も選ばれたことなかったっす。」
「え……そうなの?!」
朝陽はタオルで頭をゴシゴシ拭きながら、にっと笑う。
「てか、スタートやってるの、先輩のおかげでもありますから。」
湊は、きょとんと目を見開いた。
「……どういうこと?」
朝陽はケラケラ笑いながら答える。
「前、先輩に言われたんすよ。“出オチやろう”って。」
「…………」
湊は言葉を失った。
そんなこと、まったく覚えていない。
でも、なんとなく――
そんなことを言いそうな”自分”の影を、遠くに感じた。
「……俺、最低じゃん……」
そう呟いた湊に、
朝陽はきっぱり首を振った。
「最低なんかじゃないっす!
その一言のおかげで、俺、本気でスタート極めようって思ったんです。そしたら、千紘先輩にも褒めてもらえて。それで、ようやくこの水泳部で居場所作れました。」
朝陽は、少し照れくさそうに笑った。
「感謝してますよ、俺。」
その言葉を置いて、
またプールに向かって走っていく朝陽。
ばしゃん――
水音が、まっすぐ響く。
湊は、プールサイドに立ち尽くしたまま、
遠ざかる朝陽の背中を見つめる。
(……本当に、あいつは、心からそう思ってるんだ。)
(最低だと思ってた俺が。誰かの居場所を作ってた。)
胸の奥に、じんわりとあたたかい何かが灯る。
知らないうちに、自分も、誰かの背中を押していたんだ。
涙が出そうになるのを、必死にこらえた。




