革命開始の合図を、わたしは止めに走り出す
「何の変哲もない外の景色を見て楽しいのかい」
窓の外を見つめるフィンに向け、マーティーはソファーに寝転がりながら尋ねた。
酒場の二階に住み着いているマーティーを、フィンは時折訪ねて来ていた。
変なガキだ、とはマーティーがフィンに抱いた第一印象だった。飛び級して大学に入ったクソガキは、何の不自由なく暮らせるだけの金があるのにも関わらず、遊んで暮らすこともなく、いつも国を変えたいと口にしていた。他の同級にはない輝いた瞳を持っていた。
フィンの咥える煙草から煙が立ち上り、空気を白く濁らせていく。
「ただ見ているだけだ」
マーティーには分かっていた。彼の視線の先には、女王のいる城があるということを。モニカとフィンが幼馴染だったということは知っていた。彼がいつか、あの娘を排斥する気でいることも知っていた。
(恐ろしい奴だ)
実際彼がマーティーの運動に加わってから、烏合の衆だった反乱軍はまとまり始めたのだから、人を惹きつける魅力のある男なのだろう。
生きることがままならない貧乏人には迷わず金を配り、領主との契約書を破棄させるように地方を回って農民たちに啓蒙する彼と行動を共にするうちに、マーティーは年下の同志を尊敬するとともに、時に畏怖を抱いていた。
この男は、一筋縄では行くまい。目的のためなら、なんでも利用するのだろう。
力が無かった故に、無様に踏みにじられてただ泣くことしかできない人間たちをたくさん目にしてきた。そのたびに、己の無力に絶望した。
これからもそんな人生を歩むのなら、戦い抜いて散った方がましだ。
その思いはフィンと同じだ。商家で育った彼は、身分の壁に阻まれて、幾度も挫折を味わってきたのだから。
だから二人は、失敗するわけにはいかない。このところの新顔を、マーティーは気にしていた。
「ルーカス・ブラットレイは、信頼できるか」
もちろんマーティーもルーカスのことは好きだ。次の質問への、布石でしかない。
「ああ、彼はいい奴だ」
珍しく人を褒め、フィンは笑う。
「ろくに学校すら行ってないくせに、世の中のことを実によく知っている。俺よりもな。彼は驚くほど冷静で、自分の役割をよくわかっている。正しいと思ったことを、迷わずに判断してできる奴だ。熱くなるのは、恋が絡んだ時だけさ」
「……恋?」
フィンからそんな単語が飛び出してくるのが奇妙で、マーティーは眉をひそめた。
「昔妹が言っていた。恋というのは、ままならないものらしいから」
「君がロクサーナを好きなように?」
じろりと、フィンの視線が向けられた。
「ロキシーに手を出すなよ。例えお前でも殺してやる」
誰が思うだろうか。国以外に興味がないような男の弱点が、ただ一人の少女だと。マーティーは肩をすくめる。
「なら、レット・フォードは信頼できるか」
本命の質問だった。
マーティーにとってレット・フォードほど信用ならない人物はいなかった。貴族である上、軍でエリートコースを爆走している彼が計算なしに味方になるとは考えにくい。
「全く読めない。だが言う通りに金を持ってきたし、教えてくれた今日の軍の配備情報だって、裏取りに探らせている奴の話とも一致した。……それに、あの人は昔、オリバー・ファフニールの部下だった。思うところはあるのかもしれない」
フィンが思案するように目を細めた。あまり本心を語らない彼だが、今は誰を思い浮かべているのか分かる。
「そんなに好きならロクサーナをあの男から奪っちまえばいいじゃないか。なぜそうしない? まるで君は、彼女を女神のように扱っているけど、ただの女の子だろ。いつもの手を使えば、いちころだろ」
「彼女を知れば分かるさ。どんな男だって、彼女を前にしては屈服せざるを得ない――いや、したくなる。そういう魅力が、彼女にはある」
まさしく恋は盲目だ。マーティーは内心面白くない。
ロクサーナにどんな魅力があるのか知らないが、フィンに国以外の興味を持って欲しくはなかった。
「大雨になりそうだ」
未だ窓の外を見つめるフィンは、そう言った。
◇◆◇
弱雨を降らせる雲が空を覆っているのを、部屋の中から見ていた。
王都の闇が、深まったように思えた。
街中に兵士の姿は増え、あちこちに監視の目があった。言いがかりをつけられ数日牢に入れられる者もおり、人々は次第に外出を控えるようになっていた。
つい先日も、反乱軍の一部と軍人が衝突し、乱闘騒ぎとなったらしい。幸いにして死者はいなかったものの、警戒体制はさらに強まった。
(前の世界でも、同じようなことは起きていたはず)
ロキシーはこのところ、ずっとそれを考えていた。
かつての世界で、王都で事件が起きたはず。だがその頃の自分の興味はどうしたらレットの気が引けるかということで、その他の問題に関してあまりにも無意識だった。だからほとんど覚えていない。
(昔の自分を憎みたくなるわ)
今のロキシーには、大切なものが多い。
王都にいるルーカスと、その家族。
反乱の首謀者に担ぎ上げられているフィンと、その妹。
一緒に暮らしている、レット。
そして――。
「――モニカ」
離れてしまった妹の名を呼んだ。
当然ながら返事はない。
あの甘ったるい声で、屈託のない笑顔で、人を小馬鹿にしたような口調が聞こえてくることは、もう二度とないのだろうか。
彼女はもし死んだら、また生まれ変わって別の世界で生きる。だからこの世界に、ロキシーが抱くほどの執着はないのかもしれない。
「だけど、わたしがあなたを大好きなことには変わりはないもの」
不幸が彼女をも巻き込もうとしているのなら、止めたい。
思い出したことはある。
詳細な日時までは覚えていないが、王都は二度目の大規模な反乱行為を経験することになる。
反乱はそのまま収まらず、遂に革命となり、議会を開かせ、国民の代表たちが女王の処刑を決めるのだ。
端を発したのは、いつものような抗議活動だったはずだ。
だがその日、遂に痺れを切らした軍は、本格的に制圧しにかかった。
その最中、一人の市民が銃弾に倒れたのだ。
「それって誰だったんだろう」
その人が銃弾に撃たれるのを止めることがもしできたなら、不幸を止められる。
記憶を辿り、思い出したのはレットの声だった。
――平民出身のくせに、国を変えたいと望むから撃たれたんだろう。この、マーティー・マーチンというおろかな男は。
雨が降りしきる外を見つめ、報告を受けたレットはそう言った。ロキシーはそんな彼を隣で見ていた。
もちろん、今の優しい彼が言ったのではない。
別の世界の、冷酷な彼が言ったのだ。
「マーティー……」
彼の揺るがない瞳を思い出す。会ったのは二回だけ。それでも強烈に焼き付いている。
何かを変えようと、必死に抗う人だった。
雨の日だった。
今日みたいに、空は暗くて。
(彼が撃たれるのは、今日かもしれない!)
部屋に一人でいたロキシーは、たまらず外へと飛び出した。
行き先は人々が抗議活動をするその場所だ。
勘違いだったら、それでいい。今日じゃなければ、笑い飛ばせばいい。
だけどもし、今日マーティーが撃たれるのが、女王処刑へと続く道のりの開始の合図だとしたら。
(止められるのは、未来を知るわたしだけだわ!)
だからロキシーは、そこへと走った。