反乱の渦の中、彼は舞台に踊り出る
春のうちに、クリフは王を辞した。発表では、病が瓦解するまで遠地にて療養するらしい。
退位前に、彼の名で国民に向けて命令が出された。いくつかの領地で十五歳以上の男子を強制的に兵役させるというものだ。
だが国民が武器を取ったのは、敵国ではなく自国に対してだった。地方では何度も反乱が繰り返された。自由を旗に掲げた農民たちは、多勢で領主に迫り脅し上げ、解放を得ようと彼らが領主と結んだ契約書を燃やし尽くした。
王都付近では、フィンの統制が功を奏しているのか流血沙汰はなかったが、彼一人の力では限度がある。実際、マーティーを筆頭に武器を持つべきと言う連中も多い。衝突は時間の問題に思われた。
ルーカスがフィンに会い、決意を伝えたのはそんな折だ。
フィンは破顔し、歓迎した。
ルーカスがフィンに合流してから、数週間経った。拠点としている酒場では、今日も若者たちが議論を交わす。
モニカの戴冠式が近く行われる。噂では莫大な金をかけるらしい。その予算はどこから、というのがもっぱらの話題だ。
彼女が王家に入ったころは天使か妖精のように讃えられていたが、今になって、もしや真逆なのではないかと思い始めた人もようやく出始めた。
「貴族の土地へも課税をすることが決まった」
酒場に来るなりフィンが言った。
「王家が決めたのか」ルーカスが問う。
「貴族議会だろう」マーティーが素早く反応した。
「貴族が自分で自分の土地に税を課すのか?」
考えられない。言うと、フィンも頷く。
「表向きは議会だ」含みのある言い方だった。「だが反対を唱えた貴族議会の諸侯たちが、議場を追放されたらしい」
マーティーを含んだ数人が、場面を想像したのか声を上げて笑った。
しかしルーカスは笑えない。国には、それほどまでに金がないのか。
絶対不可侵だった貴族の財産さえ、奪われようとしている。
貴族さえも、王に愛想を尽かし始める。皮肉なことだ。王制を維持させるために金を集めた行為が、逆に王政に庇護されている貴族の反感を買ったのだから。貴族たちの亡命の動きは加速していく。いつの間にかこの国は、そんな自己矛盾を孕むようになってしまった。
「混沌だ」
思わず声に出した。
マーティーが酒を一口飲んだ後で言う。
「老人たちはぼやいてるよ。僕らがやっていることは、国を崩壊させるんだって」
フィンが首を横に振る。
「旧体制の中に生まれ、そこでしか生きられない者は革命の波に溺れるだけだ。新しい時代に適応できないなら、廃墟の亡霊として生者に恨み言を言っていればいい。信じられるのは自分の両手だけだ。馬鹿みたいだが、それしかない」
ルーカスは疑問に思う。
「フィンが言う新しい時代とは、どんな時代なんだ?」
「どんなだって?」
フィンは立ち上がると、声に力を込めた。
「俺たち一人ひとりが王になる国こそ、俺が目指す国だ」
会話を聞いていたらしい数人から、そうだ、と賛同の声が上がる。
皆に促され、フィンは酒場の中央に躍り出た。
「この国を、汗水たらして開拓してきたのは俺たち平民だ。領主じゃない。奴らが何をしてくれた? 寄生虫の如く宿主の生き血を啜っているだけではないか! もはや貴族を貴族たらしめるのは、その身分を王が保証しているからのみによってだ。
……では、その身分を保証している王とは何だ? 何のためにいる? 王が王たるゆえんは俺たちが王だと認めているからだ。認めぬ王は、すでに王ではない! 分からない輩には言わせておけ! 時代を作っていくのは貴族ではない! 年寄りどもでもない! 未来を生きる俺たちだ!」
演説に、拍手が上がる。青年たちが喝采を送った。
だがその言葉に、場違いに一人だけ大声で笑った者がいた。
酒場の奥の暗がりで、一人静かに飲んでいた男だ。皆がそちらに注目する。ルーカスも彼を見た。その人物に見覚えがある。あるどころか――。
「レット・フォード!」
マーティーが叫んだ。銃を持っていた周囲の人間たちが、すぐさま彼に銃口を向ける。
軍で国の広告塔を引き受けている彼は、当然ながらここの集団とは相いれない。
レットは動じない。それどころか悠然と立ち上がり、輪の中へと進んで入る。
両手を挙げているのは、敵意がないことの表明だ。
「すまない。あまりにも君たちが楽しそうで、少し羨ましくなったんだ」
若者たちの敵意は解かれない。
ついにフィンの側まで来ると、笑いかける。
「やあ、フィン。久しぶりだね。背を越されるとは、昔は思ってもいなかった」
「フォードさん。あなたが、なぜここにいるんだ」
一方のフィンは警戒を隠そうともしない。
ルーカスも立ち上がり、レットに問う。
「オレたちを軍に売りに来たのか?」
「オレ“たち”か。……君がここにいるとはね」
レットはルーカスに目を向け、すぐに反らし、さながら舞台役者のように大多数に向き直った。
「金は偉大だ。商家に生まれたフィンになら分かるだろう? 利害を生み、封建制を崩し、身分の境界をなくし、道徳心を失わせ、今までは存在すらしなかった人々の欲望を作り出すのだから。境のない、自由で平等な新しい世界か。なんと耳障りのよい、美しい言葉だろう」
しかしレットは首を横に振る。
「反吐が出る」
「言わせておけば……!」
額に青筋を立てたマーティーが今にも引き金を引きかねないのを、フィンが手で制する。
「反吐を出しに、ここに来たわけじゃないでしょう」
「そうとも、そんな趣味はない」
レットの声はよく通る。
戦場で彼が部下を勇気づけるその声に、何度も励まされてきた。だが今の彼は、どこか演技がかっているように、ルーカスには思える。
「君たちはどこから資金を得ている?」
酒場全体に聞こえるように、レットは声を響かせた。
フィンは答えられず、黙る。
「オリバー・ファフニールが軍を追われるきっかけになった例の事件を少し調べてみた。君たちの資金源が敵国からのものであると突き止め、正義に燃える彼は、それを止めさせようとしたんだろう? 私は生憎、彼のように正義漢ではないから、君たちを軍に売る前に止めはしないさ」
ルーカスは、フィンが隣国から武器や軍資金を受け取っていることは知っていた。危ない橋だが、多額の金だ。
ならばレットは、恩人であるオリバー・ファフニールの死の遠因となったフィンへ復讐をするためにここに来たのか。
だが次に聞いた言葉に驚愕する。
「君たちに加えてくれ。志願兵だ」
しん、と周囲が静まり返る。皆、聞き間違いかと、疑っているようだ。
「い、今の話でどうしてそう繋がるんだ!」
ルーカスは思わず問う。
「こう見えて私は愛国者だが、別に王家がどうなろうとどうでもいい。だが反乱軍が下手を打って、国が隣国に乗っ取られるのを見ているのは我慢ならない。我が国は我が国民で回さなければ」
「内偵に決まっている! ぶち殺そう!」
「マーティー」
威勢よく叫んだマーティーだが、レットに名を呼ばれ面食らったようだ。よもや初対面のこいつに呼ばれようとは思ってもみなかったらしい。
口を開けたまま固まってしまった。
「軍事情報を教えようか。喉から手が出るほど欲しいだろう? そうしたら信頼するか?」
瞬きを繰り返すマーティーは答えられない。
レットは続ける。
「敵国の金だけでは、いずれ立ち行かなくなるぞ。だが君たちにとって幸運なことに、私が仲間になった。手始めに国産の活動資金を準備しよう」
「どうやってだ」
フィンの問いに、レットは答える。
「この中で交渉に慣れている者は? ……だろうな、いないはずだ。議会を追われた貴族の中には、王家を倒すためならなんでもやると思っている者もいる。一週間くれ、金を持って来ようとも」
戦場で共に過ごし、レットの性格や物言いは知っていた。その確信に満ちた言葉に、おそらく既にそれなりの当たりをつけているのだろうと思われた。
「信じられないなら、この場で撃ち殺してもいい」
そんなことできる訳がないということも、彼は知っている。
誰も動かない。もはや場は、レット・フォードに支配された。
酒場を見渡して、反論がないことを確認すると満足げに笑う。
「では、また顔を出すよ。私が君たちに加わったことは、ここだけの話にしてくれたまえ。今軍にばれるのは、互いにとって得策ではないだろ?」
彼が出口へと向けて歩き始めると、人々が道を作るように左右に割れる。皆、この得体の知れない男と関わり合いを持つのを避けたようだ。
その中で、ルーカスだけが彼に話しかけた。
「今の王政を崩す。そのつもりでいるのか。あんたは――」
家族を商人に殺されたはずだ。
新勢力を憎んでいるはずだ。
だから、王を守るためには、なんでもする男のはずだ。――モニカがそう言っていた。
そんな男が、なぜこちら側に着く。
レットは足を止め、ルーカスを振り返る。
「私が守りたいものは、君と同じだルーカス。国じゃない、もっと近くの、大切なものだけだ」
――ロキシー。
ずきりと、胸が痛んだ。
その言葉を残して、遂にレットは酒場を去っていった。