蜘蛛の毒牙に、羊はかかる
クリフが二度目に倒れてから、すでに三か月ほど経っていた。
彼の部屋を、ロイは見舞う。
「どうですか」
「悪くはないよ」
言葉通り、窓から王都を眺めているクリフの顔色はいい。
実際、倒れた原因は不明だった。一度目も二度目も、嘔吐し寝込んだが数日で回復している。
側に寄り、同じように街を見た。いつもと変わらない、美しい都だ。
「ロクサーナはどうしている?」
クリフは彼女のことを、度々気にかけていた。
「え、ええまあ、父親が亡くなりましたが、元気なようですよ――」
思わず言葉を濁すが、クリフはそれを見逃さない。
「隠すな。フォード大尉と暮らしているんだろう」
「……はい」
よもやロクサーナへの恋心が再燃し、大尉に嫉妬でもしているのだろうか。
だがそういう訳でもなさそうだ。クリフは極めて冷静だった。
「あの男は、信頼できる人物なのか? この城で見かけたとの噂もあるぞ。何の用事だ」
「軍人ですから、こちらに用があることもあるのでしょう」
つい先日も、ロクサーナの付き添で来ていた。
彼はあの娘を大層大事にしているらしい。
「昔の知り合いにでも会っているのかもしれんな」
クリフは街から視線を動かし、離れの宮を見つめた。モニカが気に入り、住居として使っている。
「なあ、ロイ。私は史上最悪の愚王として後世に語り継がれるのではあるまいな」
「まさか。弱気になられては困ります」
「私のこれは父上と同じ病か?」
クリフが問うが、ロイは否定する。
「医師はそうは言っていませんでしたよ」
「ああ、実に私はぴんぴんしているし、倒れたのは数日だけだ。なのに、元老たちは私を部屋に閉じ込める。モニカが代理をしているんだろう? 奴らが必要なのは、私の名だけのようだ」
「万全を期しているんですよ。病の原因を突き止めるまでは、公務を中止にしたほうがいいとの判断です」
「病か……」
クリフはしばしの間黙り、考え込むようだった。
「巷で相続薬と呼ばれているものを知っているか?」
聞き覚えの無い薬の名にロイは首をひねる。時にクリフは、ロイよりも世間のことを知っていた。
「病の特効薬でしょうか?」
「……いや。知らないなら良いんだ――」
クリフは静かに言い、困り果てたように目じりを下げ笑った。
「私に王位を退けとの話が来ている」
その言葉にロイは憤慨した。頭に血が昇る。
「なんだって! どこの不届き者ですか!」
「あちこちからさ。病がちな私は、人々を不安にさせる。……受けようと思う」
自分のことであるのに、クリフは肩をすくめる。
想像するに、初めから伝えたかった話はこれらしい。
クリフほど誠実で聡明な人物はいない。
ロイが彼に従うのは、代々王家を守る家系で育ったからだけではない。その人柄に惚れこんでいるからだ。
「なぜです! あなたほど王に相応しいお方はいない! 俺からそいつらに言います!」
「王になって分かったが、実際、誰がなっても変わりはしないんだ。どうにもならない潮流に、抗ったところで進みを遅らせるのがせいぜいなんだろう」
いつその話がクリフに来たのか知らないが、昨日今日ではないのだろう。もう覚悟を決めているようだった。
「私は、この馬鹿げた戦争を終わらせるように言ったんだ。理性的に始めたはずが、すでに泥沼だ。破滅への一本道を迷いなく進むのはもう十分だ。国内を見ろ、団結どころか身内同士で共食いに夢中だろう。わずかに領土を失い、わずかに得た。もう仕舞いだ。蜃気楼の上の勝利に目を向けるのでなく、国内の声に耳を傾けろ――」
熱がこもっていったクリフだが、そこまで言ったところでため息をついた。
「そう告げた数日後、私は病に倒れ、何もかもうやむやだ。また強制的に兵を集めるというんだろう? 軍部は戦争を続けたいんだからな」
どこか諦めたように小さく首を振る。
「誰が敵かも分からない。誰も信頼できなくなる前に、遠くへ行きたいんだ。そうだな、父上が高地に建てた屋敷にでも行こうか」
では俺も一緒に、とロイが言いかけたところで遮られる。
「――着いて来るなよ。レイチェルと王都に留まれ。結婚式を挙げるんだろう?」
婚約者を思い、思わず赤面した。
クリフはおかしそうに笑う。
「顔を赤らめるな、気色が悪い。その様子だと、この後会うのか」
長年寄り添ってきたクリフだ。お見通しらしい。
レイチェルを城内の一室で待たせていた。この後一緒に式の打ち合わせをする予定だ。
「ロイ」
突然、鋭い声がかけられ、はっとクリフを見る。
それから彼は、いつになく真剣な表情で言った。
「次期王が道を外さないように、どうか側で支えてやってほしい」
レイチェルを待たせている部屋の扉に手をかけたところで、奇妙さを覚えた。くすくすと笑う声が聞こえたためだ。
誰か一緒にいるのか、と中に入り、その人物を確かめたところで思わず表情が固まる。
「モニカ様……」
モニカが、レイチェルと向かい合うようにして座っていた。ロイが踏み入れると二人は会話を止めたため、何を話していたのか知らないが、表情は明るい。
モニカはロイに笑いかける。
「ロイ、ご機嫌いかが? お兄様はお元気でいらした?」
新聞では、花の咲いたような笑顔――と評されていた彼女の笑みだが、薄気味悪さをロイはいつも覚えていた。
笑いかけられると、ぞわり、と背筋が凍る。
「ご自分で確かめられてはいかがです」
「わたくし、とっても忙しいの。行きたいけれど、暇がないんだもの」
「ロイ様、そんな言い方をされてはいけませんわ」
レイチェルが立ち上がり、ロイの側に歩み寄る。ブロンドの髪を結い上げ、貴族の令嬢が一着は持っている小花柄のドレスに身を包む。首元にはいつかあげた首飾りが輝いていた。
優しくおっとりとした性格の彼女は、ロイの心のよりどころだった。
そんな愛する婚約者が、ロイが最も苦手とする娘と一緒にいる。その心の揺れを、上手く隠せたかは分からない。
「モニカ様は、噂通り素敵な方ですもの。まるで責めるような言い方に聞こえましたわ」
責めていたのだ。
「わたくしも、レイチェルさんのこと、すごく好きになってしまいましたわ。ねえ、良かったら今度、ゆっくりお茶でもいかが? ここには気を許せる方が少なくて……」
すがるような表情をするモニカは、あまりにも儚げだ。レイチェルは感激したのか両手を口に当てる。
「まあ……! もちろんですわ! そんなに素晴らしいことをおっしゃっていただけるなんて……!」
だめだ、と思わず言いそうになる。
モニカとレイチェルが懇意になるのは、何としてでも阻止しなくては。どんな風に利用されるか分からない。だがやはり、言葉にはできない。
モニカはロイに微笑んだ。
「ロイも、よろしくね? これからきっと、長い付き合いになるのだから――」
城を後にし、レイチェルと二人で馬車に乗る。
(モニカ様に近づき過ぎるなと言うべきか。だが、確たる根拠もなしに――)
本当に、友人が欲しいだけかもしれない。それにモニカの魅力を語り続けるレイチェルに、そんなことを言えるはずがない。
「レイチェル」彼女の話が終わったところで、クリフに問われて以来気になっていたことを尋ねた。
「相続薬とはどんな薬か知っているか?」
「まあ、ロイ様、怖いことをおっしゃるのね」
レイチェルはからかうように笑い、どうやら本当にロイが知らないらしいと分かると不思議そうに言った。
「どうしてそんなことを? ――だって、ヒ素のことですわ」




