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断頭台のロクサーナ  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第五章 夢見る少女は夢から醒める

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娘に見守られ、果報者は眠りにつく

 その建物の一階で彼女たちは暮らしていたはずだ。窓のカーテンは閉じられ、中の様子は伺えない。

 行ってどうするつもりでもなかった。言葉を交わす気も、会う気もない。それでもロキシーの姿を探すように、しばらく近くで立ってた。


 既に夕刻を回っている。薄暗い中に立つルーカスはまるで不審者だ。

 いつまで経っても人が出てくる気配はない。外出でもしているのだろうかといい加減諦めて帰ろうとした時だ。勢いよく扉が開けられ、ロキシーが飛び出してきた。


 逃げる暇もなく、目が合う。


「ルーカス!?」


 久しぶりの彼女だ。言葉が出てこない。


 一方のロキシーはなぜルーカスがここにいるのか疑問に思う暇もなさそうだ。今にも泣きそうな顔をして飛びついてきた。様子が明らかにおかしい。


「お父様が、倒れて!」彼女が叫んだ。


「なんだって」


「前にも一度倒れたの! お医者様を呼ばなきゃ!」


 驚きつつも、なだめるように肩に触れる。


「分かった。ロキシーはオリバーさんの側にいて。彼を動かさないように。すぐ医者を呼んでくるから!」


 彼女は頷き、部屋の中へと戻っていく。

 ルーカスは医者を呼びへと走った。




 医者を連れて戻ると、床に倒れるオリバーの隣に座るロキシーが、必死に呼び掛けていた。


「お父様、お医者様が来たわ、もう大丈夫だから!」


 赤い顔をしてオリバーは呻いている。苦しそうだった。

 医者は彼の側に行くと服を緩める。


「君、手伝ってくれ。頭を動かさないようように、ベッドに運ぼう」


 慎重にオリバーの体を持ち上げ、言われた通りにベッドへと寝かす。まくらを背に寄せ、体を横向きにするが、彼の顔はいまや土気色だ。


「どんどんひどくなるの。苦しそうだわ」


「倒れたのは何度目だ?」


「二度目です。一年前に」


 医者の問いにロキシーは答える。


「なら、覚悟した方がいい」


 はっと、ロキシーが息を呑み込んだ音が聞こえた。

 王都に来て、ルーカスが野垂れ死ななかったのはオリバーの情があったからに他ならない。

 思わず詰め寄る。


「医者なら手当くらいしろよ!」


 が、医者の態度は変わらない。


「頭の血管が破裂したんだ。こうなっては、運を天に任せるしかない。話しかけ続けて。親しい人がいるなら、今のうちに連絡しておくといい」


 その言葉に、ロキシーが顔を悲しみに染めるのが分かった。追放同然に軍を追われたオリバーに、親しい人は少ないのだ。

 彼がなによりも大切にしていた娘の片割れは、遥か離れた場所にいる。


「お父様、大丈夫よ。わたしはここにいるから……!」


 ロキシーがベッドの隣の床に膝をつき、オリバーの手を握り懸命に話しかける。たまらずルーカスも、ロキシーが握る手ごと掴んだ。


「オリバーさん、あなたには本当に感謝しています。恩をまだ返せてないじゃないか! また前みたいに話したいんだ!」


 尊敬する人だった。

 もらった恩を、裏切ってばかりではなかっただろうか。失望を、させてはなかっただろうか。

 

「まだだめよ、お父様。まだ、わたしと一緒にいてくれなきゃ!」


「乗馬を教えてくれると言ったでしょう! まだ教わってない!」


「わたしの結婚式を見たいって、いつも言ってたじゃないの! 孫の顔だって見ていないのに! そうよ、わたし、レットと結婚するわ! 明日にでもするわ! それを望んでいたでしょう!?」

 

 交互に叫ぶ二人は、互いが口走っていることに意識を向ける余裕はない。


「モニカを呼んだわ! すぐに来るって!」


 嘘だ。彼女を呼ぶいとまはなかった。

 と、その時うっすらとオリバーが目を開けた。

 

「お父様!」ロキシーが叫ぶ。


 オリバーは焦点の定まらない瞳でロキシーを見つめる。


「私は」


 ようやく聞き取れるほどのか細い声だった。


「許されることのない罪を、犯した」


 ロキシーの手に、力が込められる。


「何言ってるのよ、お父様に罪なんて一つもないわ!」


「陛下。しかし、後悔はしておりません」


 今度は明瞭な声だった。彼の瞳が、ロキシーをはっきりと映す。


「たとえ生まれ変わっても、同じことをしたでしょうから……」


「しっかりして! そんな話し方止めて、わたしはロクサーナよ!」

 

 ルーカスは気がつく。オリバーがロキシーの瞳の中に、別の人間を見ていることに。

 死の際に現れるほど、思い出の中に鮮明に焼き付いている人だ。

 

「……私は、果報者でした」誰かに向けて、オリバーは言う。「愛する娘を、二人も持てたのだから」


 ロキシーの目から、涙が溢れた。


「ああ……。だが」


 オリバーは彼女から視線を外し、天井を仰ぐように見る。


「すまない……」


 彼は謝る。


「すまない、モニカ」


 それが最後の言葉だった。

 握りしめる手からは力が消え、ゴムのような感触へと急速に変化していった。


 一人分減った部屋の中に、ロキシーの嗚咽だけが響く。かつて国に尽くした人間としては、あまりにもあっけ無い最期だった。


 ルーカスはオリバーから手を離し、一歩離れた。ロキシーの震える肩をただ見つめる。


 やがて血相を変えたレットが帰宅するまで、そうして立っていることしかできなかった。

 レットはルーカスを見て驚いた表情を浮かべたものの、愛する人を支えることを優先したようだ。

 

「ロキシー様。私が側にいますから……」


 そう言って、なんの迷いもなくロキシーを強く抱きしめた。


 ルーカスには、できないことだった。



 ◇◆◇



「ルーカス。結婚式のこと、ごめんなさい……」


 わずかな参列客を見送るまで、ルーカスはロキシーを手伝った。

 そしてすべてを終えた時、墓の前で彼女は言った。


「行こうとしたのよ。だけど、どうしても行けなかった」


 改めて彼女を見る。

 黒い服のせいか、あるいは父の死により憔悴しているせいか、以前よりずっと大人びて見えた。


「いいんだ――」

 

 どうせ、結婚式は中止になった。見せない方が良かった。

 話す二人を、レットは墓所の入り口で木に寄りかかり遠巻きに見ている。会話に加わる気はないようだ。


「シャノンさんは元気? 王都にとどまっているのね、てっきり地方に行ってしまったものだと思っていたわ」

 

 その問いに、驚いた。

 ルーカスとシャノンの結婚がだめになったことを知らないらしい。


 家を出てからほとんど父の世話をしていたという。世間のニュースを知る余裕もなかったのかもしれない。


 言ってしまおうか、と思った。すべてを告白してしまおうか。


 ロキシーが好きだから、シャノンと別れたんだ。優しいロキシーは、きっと自分を受け入れてくれるだろう。

 だが。


「ああ。元気だ。そう……王都にいるよ」


 同じことの繰り返しは、嫌だった。また彼女を傷つけ、そして自分も傷つくだけだ。なら今は、彼女の誤解に甘えておこう。


「昔のことも、まだ思い出せないんだ。ごめん」


 いつから自分は嘘つきになったんだろう。もしここに養母ベアトリクスがいたら叱られそうだ。


「じゃあ、ロキシー。君も元気で――」


 別れを告げると、彼女は微笑んだ。


「また、会いましょう。今度はシャノンさんも一緒に」


 ロキシーが心からそう言っていることは知っている。だがそれは、叶わないだろう。


 墓所を後にする。


 レットの前を通り過ぎるとき、気まずさから軽く会釈をして去ろうとしたが許されなかった。


「なぜ今まで現れなかった」


 嘘つきは、嘘を見破るのが上手いのだ。


「……会えるわけがない」


 立ち止まり、答える。


「結婚がだめになったからか?」どうやら彼は以前から知っていたらしい。「――それとも、君が私を殺そうとしたからか」


 言葉を選ばない問いに、素直に答える。


「両方について、そうだ」


「気にしちゃいない。私も、彼女も」


 彼からの、許しの言葉だ。

 それさえも、高潔で近寄りがたい。


 あまりにも自分と違う人間を、見せつけられているようだった。


「もう、無理なんだ」


 たとえ誰がルーカスの罪を許したとしても、ルーカスがルーカスを許せない。


「記憶が戻ったことを、ロキシー様には黙っておくつもりか」


 今更、もう遅い。何もかも、取り戻せはしない。

 黙っているとレットが言った。


「以前のように、虫唾が走ると言わないとは……君も変わった」

 

 あの雨の夜が思い起こされる。

 彼の言う通りだ。あの日から、ルーカスは変わってしまった。


「……ごめん」


 彼を見て言った。


「色んなことを、あんたに謝る。オレは、ほとんど全て、間違っていた」


 返事の代わりに、彼は目を伏せた。ルーカスも顔を背け、再び歩き出す。

 レットがロキシーの側に行き、抱き寄せるのが、目の端に映る。


 だがルーカスは振り返らない。

 風が一すじ吹き抜けていった。


「オリバーさん」


 そっと呼び掛ける。


 故郷で、同胞の亡骸を抱いた。

 戦場で、敵の死体を踏みつけた。

 なぜ生きているのが彼らでなく自分なのだろうかと自問したのは一度や二度ではない。今はもう、亡霊のように心をなくし、正体なく生きている。


 もしこの命に意味があるのだとするのならば――。


「オレは、報いたい」――信念を持って生きた、あなたのように。


 その決意に、オリバーからの答えが返ってくることはなかった。


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