大馬鹿者の、わたしたち
――わたしたちは馬鹿だ。大馬鹿だ。
一夜限り。これきっり。どうせ外は大雨だ。空だって暗い。こんな世界の果ての田舎町。神様だって見てやしない。
キスが降る。雨のようなキスが。体中に、彼が触れる。心臓が痛いほど鳴っていた。
彼がロキシーの名を、耳元で何度も囁くのを聞いた。
「レット……」
これが正しいことなのだろうか。これが望んだことなのだろうか。彼に身を委ねてしまえば、甘さに骨が溶かされる。後は何も考えなくていい、なんて幸福な楽園だろう。だけどあの子はどうしているのだろう? 今も、一人で泣いているのかもしれない。
「考えてはだめだ」
思いを叫びそうになる度に、そうはさせまいとするかのようにレットはロキシーにキスをした。
流れる涙を、彼の指が拭っていく。
「他のものは、何一つ重要じゃないのだから」
彼の指先を感じる度に、崖下へ突き落とされるような気になるのは何故なのだろう。
だが不意に、彼の動きが止まった。
「どうして……」
「ごめんなさい、ごめんなさい……本当にごめんなさい……!」
ロキシーは両手で、彼を押しのけ拒絶した。情けなさと羞恥で死にそうだ。それでも彼を受け入れることは、できなかった。
「できない、あなたとは、できない! だって、神様がいなくても、お母様が見てる。甘さに逃げちゃだめってわたしを叱っているわ」
頭の中に、自分の声が響く。
だからなんなの? お母様は死んだわ。わたしたちを置き去りにして。
その声を打ち消すために、首を横に振った。
「……分からない、頭の中がぐちゃぐちゃで。あなたに感じているのが、愛なのか、友情なのか、同情なのか、執着なのか、分からないの。これが恋なの? これが愛なの? いつか人を愛するなら、それは誰からも祝福されるものだと思っていたのに。
わたし、ルーカスを愛してた。それが家族としてなのか、異性としてなのかも、分からない。ルーカスは結婚するの。幸せになるんだわ。だからもう永遠に知ることはできない。
それに、だって、やっぱり、モニカが大切だわ。あの子は人を傷つけながら、自分だって傷つけてる。側にいてあげなきゃ。あの子は、まるで昔のわたしだわ。自分さえも信じられなくて、愛を否定しながらも、それを必死に試してる。愛して欲しくて――」
言葉を吐き終え、沈黙があった。雨音が、相変わらずうるさい。レットの胸が上下して、彼がロキシーの上から退くのが分かった。
そのまま彼は、ベッドの端に座り込んだ。
「ごめんなさい」
背に触れると、彼はゆっくりと首を横に振った。
「自分が悪くない時に、謝らないでください」
「あなたを、失望させてしまったわ」
「失望しているのは自分に対してです。私は、あなたにそんな顔ばかりさせてしまう」
彼が、口の端を上げ、自嘲気味に笑った。
「結局、人を裏切れないのがあなたで、そんなあなただから愛しているのが私なんでしょう。困ったことに、永遠の平行線だ」
その横顔から、目が離せなかった。既視感を覚える。
あれほどうるさかった雨の音が、ぴたりと止んだ。ロキシーの体は凍えそうなほどに寒い。
首が痛む。ぎりぎりと、切り刻まれているようだ。思わず抑える。
異変を感じたレットが、心配そうに声をかける。だが、遠くから響くようで上手く聞き取ることができない。
以前、考えていた予感がよぎる。
女王ロクサーナが犯した罪は、本当に全て彼女がやったことなのか。処刑の間際、口元を歪めて笑っていた奴がいたはずだ。
よく考えてみれば分かることだった。モニカだってヒントをくれた。それでも今まで分からなかったのは、気が付きたくなかったからか。しかしもう、目を背けることはできない。
この先を知ってはいけないと思考は警鐘を鳴らしているのに、止めることができない。死の間際のロクサーナの絶望が、今のロキシーに雪崩れ込んだ。
「あなただったんだわ……」
生まれ変わって、やっと真実を手に入れた。
「思い出した」
なぜ、気付くのが今日でなくてはならなかったのか。考え得る限り、最悪のタイミングだった。
記憶が急速に過去に戻る。この屋敷で暮らしていたよりも、遙かに昔の――。
死の間際、ロクサーナは気が付いた。自分が実際、誰の操り人形だったのか。そして次に、誰が操られようとしているのか。愚かな自分、可哀想なモニカ、憎たらしい男。命の終わりで自分の全てを持って憎しみ呪ったのは、愛する人が、実は誰も愛していなかったと知ったからだ。そうして自分を愛してくれた妹が次に犠牲になるのだと、悟ったからだ。
一切を、思い出した。あの時笑っていたのは、勝利の余韻に酔いしれていたのは、他ならぬこのレット・フォードだったということを。