故郷に帰り、わたしは王都を思い出す
思ったより早く修復できました。
川があった。
森もあった。
少しも変わらない姿で――。
だけど、両親がいない。ルーカスもいない。家に帰っても、誰も迎え入れてはくれない。
幼い頃よりも小さくなってしまった風景の中に、ロキシーだけがいた。あの頃、いなかった男と一緒に。
しばらく歩いて、それを発見した。
たまらず走り出す。
すっかり生い茂った雑草を掻き分け進むと、記憶の中と寸分違わないブラットレイの屋敷の姿があった。
「レット! 全然変わってないわ、ほら!」
後から来たレットに叫んだ。
「わたしが出迎える前に、ぶしつけにもあなたが勝手に開けた扉だわ!」
「そうでしたっけ?」
とぼける彼の手を引き、荒れた庭を回る。思い出が次々と蘇ってきた。
「見て、あっちで水浴びをしたのよ! 冬には雪だるまを作って、ルーカスったら下手くそで、上手く丸まらないから泣いちゃったこともあったのよ。今日は曇ってるけど、晴れた日には星がよく見えて、流れ星に何度もお願いしたんだから」
「何を願ったんです?」
「とりとめの無いことよ――」
――ずっとこの日々が続いていきますように。
いつもそう願った。
浮かんでは消えていく思い出たちはどれも鮮明で、手を伸ばせば届くようだ。だがそれらは全て過ぎ去った過去で、掌が掴んだのは、夏にしては冷えた空気だけだった。
ロキシーが黙ったため、静寂を埋めるように蝉の声が響く。
喧嘩別れとなった弟のことを思い出した。
「……ずるいわルーカスは」
レットに言うのは恐らく一番間違っている。それでも口は動いた。
「わたしも忘れたい……。ルーカスのことを、忘れてしまいたい!
だってルーカスは、わたしを好きだと言ったのよ? キスだってしたのに! わたしすごく辛かった。なのにルーカスだけ、苦しみも、痛みも全部忘れて自分だけ幸せになっているなんて! わたし一人ここに置き去りにして!」
「馬鹿を言っちゃいけない。あなたが忘れたら、彼は本当に消えてしまいますよ」
レットはなだめるように言った。その瞳は穏やかだ。
「他に誰が彼の過去を知っているんです? 言っておきますけど、私は覚えてませんよ。彼がどんな子供かなんて、興味がなかったものですから」
ロキシーだって分かっていた。
忘れることの方が、覚えていることよりも、時にはるかに辛いということくらい。それでも思い出は、まばゆすぎるほど強すぎた。一人では持て余してしまうほどに。
「……ずっとここで過ごしていくんだって思ってたわ。お母様が亡くなっても、ルーカスと一緒に、ずっと二人で、この場所で。それが幸せなんだと思ってた」
初めてレットの瞳が悲しげに揺れる。
「私があなたを幸福から引き剥がしたのか」
彼が現れて、怒涛の日々が始まったのは確かだ。
だがロキシーは首を横に振った。
「結局、災厄の封印は自分で解いたの。あなたを責めてるわけじゃない。どの道、あの日々は続きなどしなかった」
女王としての記憶は、いずれロキシーを蝕んだだろう。もしかするとあの悪女と寸分違わぬ性格になっていたかもしれない。
同じように苦しむモニカと、痛みを分け合えたから今があるのだ。
そうだ、あの子と一緒に、たくさん笑った日もあった。
ルーカスもフィンもリーチェもいて、くだらない冗談を言い合って、大口開けて、笑い合った。争いが王都を包み込む前の、少女の時代は、光り輝いていた。
ここじゃなくても、幸せはあったのだ。その日々はロキシーにとって、確かに幸福だった。
それがどうして、今は皆バラバラだ。それぞれの思いを抱えて、本心を語らなくなって、全く違う方向を向いて生きている。個々が信じるものを見つめながら。
あらゆるものが変わっていく。もう二度と、ロキシーの時は戻りはしない。
「変だわ。王都にいたときは、ずっとこの場所のことを考えてたのに、いざここで思うのは、王都での日々なんて――」
レットの両手がロキシーの顔を包む。
「ロキシー様。どこか行きたいところはありますか?」
問いかけに、答えることはできなかった。自分の望みなど、とうの昔に分からなくなってしまったから。
「どこでもいいんですよ。行ったことのない場所は?」
「……海、かしら」
絵で見たことはあったが、実物を見たことはなかった。
「じゃあ、明日は海に行きましょう」
彼はまだ、この逃避行を続けるつもりらしい。
そのまま、そっとキスをされた。彼を目の前にすると、まるで夢の中にいるようで、ふわふわと落ち着かない。
「あなたは現実? それとも、過去の憧憬が見せた幻なの――?」
「多分、現実だと思いますよ。家の中に入りましょうか?」
レットが玄関の扉を開けると、抵抗なく開いた。鍵などかかっていなかったらしい。
ロキシーも続く。彼に手を引かれながら。