国を思って、王子は憂う
ロイ・スタンリーは、王子、クリフの部屋を訪れた。ソファーで向かい合い、彼から命じられたことの報告をする。
「クリフ様。ファフニールの屋敷ですが、ひとまず皆、無事のようです」
「そうか、よかった」
対面するクリフは頷く。以前からの朗らかさは変わらないが、このところぐっと苦労の影が見える。眉間の皺は深く、表情はどこか厳しかった。
ロクサーナ・ファフニールとその妹のことを彼はずっと気にかけていた。
一年ほど前に突如として彼を襲った運命的出会いは、結局のところ不発に終わったが、未だ大切な思い出としてその胸にしまわれいるらしい。
「こうなってしまった以上、簡単に会いに行くわけにもいくまいな。気をもむことしかできないというのは、なんとももどかしい」
寂しげに笑いながら彼は言う。
慰めるように、ロイは答えた。
「フォード大尉が彼女らの家に出入りしているようです。ようやく帰還命令に従ったらしいですね」
「そうか、それもよかった。考えてみれば、まだ無名の時代に彼はオリバー・ファフニールの部下だったか。男手があれば、彼女たちも安心だろう」
「優男に見えて、したたかなくせ者ですが、ファフニール家への忠義は本物のようです」
レット・フォード大尉と直接の面識はなかったが、人々を勇気づけるため担ぎ上げろという軍の方針は知っていた。
軍の広報部から話を聞いたこともある。天涯孤独の身の上の、悲劇の英雄だ。
先日の牢獄襲撃騒ぎで、王都は混乱していた。混乱の中、英雄の帰還は頼もしい。
ロイはふと、この国の太陽はどの方向を向いているのだろうという思いに駆られた。
「陛下はこの度のこと、いかがお考えで?」
「ロイ、お前が考える必要のないことだ」
いつになく厳しい声がクリフから飛んでくる。
「申し訳ありません、出過ぎた真似を」
窘められたロイは潔く引いた。
だがクリフはぽつりと口にした。
「父上は、気弱になっておられる。病が進行しているんだ。王の民が、いつか謀反を起こすのではと、近しい家臣さえ信用なさらない。先日の銃殺騒ぎもそうだ」
無抵抗な市民を殺したとして、ひどい騒ぎになったのだ。
クリフは小さく笑みをこぼした。
「以前、ロクサーナが手紙を寄越してな。父上を医者にみせろと。私もそれとなく父に進言したが、一笑されて終わったよ。あの時医者にかかっていれば、違っただろうか」
クリフはロイを見て、思いも寄らないことを口にした。
「母上を覚えているか?」
「え、ええ、おぼろげには……」
言葉に詰まりながらも、なんとか答える。
クリフの母ベアトリクスの話は城内ではタブーであった。実の父に実の母が追われ、命を奪われた。両親の政治的戦争を目の当たりにしていたクリフは、今にしても国政から一歩引いている。
「少し前、あの屋敷に母が産み落とした子がいるのではないかと噂があったな」
「はい、あり得ないことです。ご命令のとおり、火消しをしておきましたが」
「あれは、本当に火のないところから出た煙だったんだろうか……。いや、よそう。馬鹿げたことだ」
意味を確認しようとしたが、クリフがまた口をひらいたので叶わない。
「私も、考えなくてはならない。この国の未来のことを、背負って立つのは免れないからな」
窓の外を見るようにクリフが目を細めたため、ロイもつられて振り返る。そこに明確な何かはなく、ただ、晴れ渡った青い空が続いているだけだった。
「近頃貴族が国外へ逃亡しているだろう。それだけ王族への信頼が薄れているということだ。
泥沼化しつつある戦争に、財産は食い潰されている。ここいらが潮時だと思うが、父上は頑なだ。加えて父上の病。国の中心にいる者たちの不安が、そのまま国民に広がっている。地方に引いた波が、津波となって押し寄せないとも限らん」
「フィン・オースティンの行方を追っていますが、中々しっぽを掴めません。マーティー・マーチンと合流したという噂もあります」
「オースティンは中々、骨のある男のようだな」
敵であるが、クリフは褒めるようなことを言う。未だここまでその刃が届いていないためか、どこか他人事だ。
「成り上がり商人の、インテリ層ですよ。中間層からの支持もある。正直言って、やっかいな相手です」
それにはクリフも同意のようだ。
「オリバー・ファフニールは彼が隣国の支援を受けているのではないかと疑っていたようだな」
「はい。おそらく事実かと」
「反乱軍が勝利すれば、我が国も晴れて隣国の支配下か。はは、国境がなければ戦争も起こるまい」
「クリフ様!」
流石に友人として、その暴言を見過ごすわけにはいかない。誰かに聞かれないとも限らない。大声を出すと、対する彼は顔の前で手を振ってみせた。
「冗談だ。すまん、つまらないことを言ったな」
クリフにしては、珍しい質の冗談だ。一国の王子さえ、不安なのかもしれない。世間の風潮が、反王制に急速に傾いていることが。
「レイチェルとは順調か?」
話題を代えるためか、突然問われて言葉に詰まる。婚約したばかりの愛する女性を思い浮かべた。
「え、ええ」
「頬を染めるな、気色が悪い」
「あなたも婚約者ができればわかりますよ」
クリフは肩をすくめただけだった。
今となってはロクサーナを追いかけていたころが懐かしい。この国の王子は、未だ誰とも婚約する気はないようだ。
「王族とは、この世で最も不自由な人間を言うんだろうな」
彼の言葉の真意を、ロイはまた、図りかねた。




