とてもかわいい、わたしの妹
初日こそ家族揃って夕食を囲み、離れていた時間のことをあれこれと話はしたものの、父であるオリバー・ファフニールは男爵という身分でありながら軍では大佐を勤める男であり、その身は忙しく、家を不在がちにしているらしい。
だから翌日、少数の使用人の他には、ロキシーとモニカしかいなかった。
ひとまず家に着いたことを知らせようと、ロキシーはルーカスに手紙を書いた。一人残してきてしまった彼のことが気がかりだった。
(ルーカスをここに置いてもらうように、次に会ったときお父様にお願いしてみよう)
うん、それがいい。
ルーカスとまた一緒に暮らせる。そう思うと心が弾んだ。
どうせなら街を見学がてら郵便局へ出しに行こうと、そしてせっかくなら、六年ぶりの再会となる妹と親睦を深めようと思い、扉越しに声をかける。
「ねえモニカ。街へ行こうと思うのだけど、一緒にどうかしら?」
緊張で声が上ずるのが自分でも分かった。
すぐに扉の向こうから弾んだ声が聞こえる。
「そしたら、わたくしがロキシーを案内するわ!」
六歳まで住んでいた街ではあるが、記憶の中よりもそれは大層賑やかで活気に溢れていて、道行く人の立派な姿にロキシーは驚いた。
(ブラットレイの農地には絶対にいない人種だわ!)
「今度、お洋服でも買いに行きましょう?」
モニカがにこやかにそう言った後、しかし神妙な面持ちになった。
急に黙ってしまったモニカを心配に思う。
「どうしたの?」
「ずっと、謝ろうと思ってたの。昔、ロキシーを結果的に追い出すことになってしまったこと……」
慌ててロキシーは周囲を見回す。
表立ってはロキシーは病の療養のため僻地へ行っていたということになっており、レットや身近な使用人を除いては、誰もモニカの妄想癖のためだとは知らない。もし聞かれてしまったらあらぬ噂を立てられかねないと思ったのだ。
通行人はこちらに無関心だ。ひとまず、盗み聞きの心配はない。
「わたくし、どうかしてたの。あんな妄想するなんて。ねえ、本当にごめんなさい。どうか許して……」
モニカはそう言って、涙を流した。
「モニカ、そんな、泣かないで」
確かに、妹に会うことの気の重さはあった。だがそれでも歩み寄りたいと思っていた。
だから慰めようとモニカの肩に触れた。その時だった。
「きゃあ!」
決して強く触れた訳ではない。それでもバランスを崩したのか、モニカは道路に転んでしまった。
ガラガラと大きな音を立てる馬車が彼女に迫る。地面に倒れる少女に気がついていないのか、馬車はスピードを緩めない。
(轢かれる!)
ロキシーは即座モニカの手を引き道の端に寄せようとする、が。なぜだか逆に引っ張られてしまった。モニカの上に倒れ込むにして、道のど真ん中に二人で転がった。
馬車の車輪が迫る。大きな車輪が何倍にも膨れて見え、死を感じ、祈った。
(神様――!)
刹那、母ベアトリクスの声が、耳の中に蘇る。
――自分の身は、自分で守るしかないのよ。
神に願ったりしても意味はない。白馬の王子なんて現れない。自分を助けられるのは、自分だけだ。
この命の終わりが車輪にミンチにされるなんて――
(絶対に嫌だ!)
間一髪、ロキシーはモニカの体を掴み、車輪から逃れる。
ガラガラとそのまま馬車は走り去って行った。
心臓はまだ激しく鼓動を続けていて体は震えていた。
はっとして、妹の無事を確認する。
(モニカ!)
妹はうつろな表情をしていたものの、体のどこにも傷はない。ほっと安心をした。
「大丈夫ですか!」
知った声。振り向くとあの男がいた。
「フォードさん……」
非番なのか、軍服ではない。
手に買い物袋を抱えていたが、それを放り出して駆け寄ってきた。
レットの姿を見ると、モニカは急速に明確な表情になり、立ち上がると彼の胸の中に飛び込んだ。
「レット! 怖かった……」
「モニカ様、ご無事でよかった」
泣きながらすがりつくモニカの背をレットは優しく撫で、ゆっくりと離した後、ロキシーに目を向けた。
「ロクサーナ様も、お怪我は?」
「平気よ」
差し出された手を無視して立ち上がる。
「ひどい馬車もいたものだ。転んだのは不運でしたね」
手を無視されたことなど少しも気にならないように、平然と彼は言う。
まだその腕にひっつくようにしていたモニカが、震える声で囁いた。
「と、突然ロキシーがわたくしを押して……。馬車に轢き殺させようと……!」
「まさか! そんなことしてないわ!」
押したのではない。泣き止ませようと、肩に触れただけだ。
レットが困ったように双子を交互に見比べる。
妹は怯えた表情でロキシーを見つめるだけだった。
◇◆◇
父はその晩、帰ってこなかった。
結局、レットに屋敷まで送ってもらい、夕飯にもモニカは顔を出さなかったため、姉妹は一切口を利かずに過ごした。
部屋の明かりを消してベッドに横たわったロキシーにしても、考えずにはいられない。
(モニカは、やっぱりわたしを嫌っているのかしら)
助けようと手を伸ばした瞬間、逆に引き込まれた――ように思える。
自分の身すら危ういのに、命を犠牲にしてもロキシーを抹殺したかったのだろうか。
(それにレットも。一体、いつから見ていたんだろう)
二人が危険だというのに、助けもせずに、命の危機が去ってからタイミング良く現れるとは。
もし二人が結託してロキシーを轢き殺そうとしていたとしたら。
そうだ。
だって妄想が瓦解したなど、当人が偽ればいくらでも周囲を騙せるじゃないか。モニカは今でもなお、ロキシーを憎み、追い出そうとしているんじゃないのか。
(まさか、考えすぎよ……)
一体どうして妹と父の部下が自分を殺そうというのか。
一瞬、例の夢が頭をよぎる。二人の目の前で、首を刎ねられる、それがこの世界でも起きるのでは。
悪い予感を振り払うように頭を横に振る。
明日だ。明日になれば、こんな暗い気持ち消えてなくなっているはずだ。
モニカだって一晩寝れば、きっと機嫌が直っているに違いない。昨日はごめんなさいってお互いに言い合って、仲直りできるに決まってる。
(だって、血が繋がらなくったって、一緒に育った姉妹なんだもの――)