わたしの真実に、妹は気がつく
「モニカ……」
椅子の上の父はモニカを呼ぶと、そっと告げた。
「ロクサーナを連れて、逃げなさい」
「お、お父様はどうされるのです!」
驚いて聞き返す。
「一緒に逃げなきゃ嫌だわ! 置いていくなんてできません!」
だが父の瞳には、揺るがぬ決意が秘められていた。それはかつてのオリバーの持っていた強さだ。軍を指揮していた頃の、あの強い瞳だった。
「あの娘は、なんとしてでも生きていなければならないんだ」
「分かっていますわ。だって、お父様の実の娘だものね?」
いつだって、オリバーはロキシーを優先していた。モニカも納得していた。誰だって、血の繋がった子供はかわいい。
だが父は、否定をした。
「そうではない。モニカ、よく聞きなさい」
静かに、告げる。
「ロクサーナは、王家の血を引く娘だ」
一瞬の間があった。
モニカは即座に反応できない。
なぜ、父はそんなことを言うのか、理解に苦しんだ。
「な、なに言ってるの!? そんなわけ無いじゃない!」
モニカは真実を知っている。
この世界を繰り返しループしてきたのだから。
モニカが王家の血を引いているのが真実だった。
なのに父は、こんな時に冗談を言うなんて。
「……前女王のベアトリクス様は表向きには亡くなったとされていたが、私が手を貸し、秘密裏に匿っていた。彼女は出産間近で、この家で女児を産んだ。
私たち夫婦は、ベアトリクス様だけを地方へと逃がし、その赤ん坊を、我が子として育てることにしたのだ。奇しくも、我が子が産まれそうな時分であった。だから、妻が双子を産んだことにした」
「そ、そうよ、それでその子はここの家の子として育ったんでしょう!?」
「途中までは、そうだった。だが、モニカ。お前の事があった」
手足が冷たい。実際に、体が震えている。
「幼いお前は、自分が王家の血を引き、ロクサーナが命を狙っているとしきりに訴えていたな。
私は恐れた。誰かが、ロクサーナの存在を知り、モニカにそれを吹き込んだのではないかと。このままでは、ロクサーナの身が危ないのではないかと思った。守ると誓ったことが、果たせなくなる。そのことをベアトリクス様にお知らせすると、ご自分で引き取るとおっしゃったんだ」
父の瞳は真剣だ。
話にも、綻びは見えない。
だがそれが本当だと容易く認めることはできない。認めてしまえば、今まで積み上げてきたモニカの存在すら、揺らぐことになるのだ。
「う、嘘よそんなの、じゃあ、ロキシーこそが王家の血を引く子供だって言うの!? そんなの、信じないわ!」
「モニカ、聞きなさい!」
病人とは思えないほど強い口調でオリバーが言う。
「私は、ベアトリクス様の死の間際、約束をした。ロクサーナを王家から遠ざけ、普通の少女として育てると。権力や地位とは無縁の、ごく普通の幸せな暮らしをさせると。
だから、あの子だけには、何も知らせずに生き延びさせなければならないのだ。お前なら、分かってくれるだろう!」
父にとって、大切なものはその忠誠だった。女王陛下への、盲信だ。実の娘よりも、何よりも、彼女との約束が大切だったのだ。
モニカの目から、涙があふれる。
実母の絵すらなかったのは、モニカによく似ていたためか。初めから、父は使者が引き下がらなかった場合、モニカを差し出すつもりだったのだ。
過去の世界で、何度もモニカはオリバーに言われた。
お前こそが王女なのだと。
誰もが夢見る、シンデレラストーリーなどではなかった。
実の娘すら欺いた。踊らされた道化の物語でしかなかったのだ。
「だから、お父様は、いつもわたくしを、わたくしを王女だと差しだしたのね! 全部、ロキシーを守るために!? ロキシーのために!? わたくしのことは、少しも考えなかったのね!? 不幸の元凶はレットじゃない、お父様だったんだわ!」
「なんのことを言っている!? いつお前を差しだしたと言うんだ! モニカ、お前は大切な私の実の娘だ!」
嘘だ。モニカは知っている。過去の世界でそれを経験していた。
抱くのが怒りなのか、失望なのか、憎んでいるのか、悲しんでいるのか、分からない。ただ、激しい炎が燃え上がる。
自分が王女だと思っていた。だって、父がそう言っていたから。だからロキシーが女王になったとき、真実の女王として対抗したのだ。信念と正義の名の下に――。
過去何度も、レットはモニカに婚約を申し込んできた。彼はモニカが王女だと知ったと思っていた。だが違う。彼は思い違いをしていた。だって本当にモニカが王女だったなら、父が容易く婚約を認めるわけがない。
レットにしたら、双子のどちらと結婚しても、大した違いはなかったのかもしれない。仮に王女ではなかったとしても、軍幹部の娘との結婚だ。いずれにせよ、悪い筋ではない。
もしかするとロキシーに婚約を申し込んだ時もあったのかもしれない。だが父はそちらは認めなかったのだ。なぜならロキシーが本物の王女だから。
――そうだ。すべて説明がつく。
今回の世界で、クリフはロキシーを一目見るなり何かを感じた。
感じたものは、恋ではない。亡き母の面影だったのだ。
ベアトリクスとロキシーは、瞳の色が良く似ているらしい。当たり前だ。実の母子なのだから。
愛が人を変えるなんて、モニカは信じていない。それでも実の母の愛情を受けて育ったロキシーは、あれほど純真で善人で真っ直ぐな人間になった。
誰もがロキシーを好きだ。モニカも、そうだった。
悪の女王としてこの世に産まれて、いなければ世界は平和になるという悲しい宿命を背負ってしまった、哀れで可哀想な彼女が、モニカの許しの中でようやく呼吸が許されるか弱い彼女が、好きだった。
「言われなくてもお父様を置いて逃げるわ。さようなら、嘘つきで最低のお父様」
憎しみを込めてそう言う。オリバーは黙っている。
オリバーが隠し持っていた拳銃を、手に取った。
「……お父様が亡くなれば、わたくしの秘密を知る人間はいなくなる。お父様を愛しているわ。だけど運命だもの。仕方がないって諦めてね――」