建物の中に、弟と潜入する
ルーカスがロキシーの前を行き、道を確保する。戦場でどんな戦いをしたのか知らないが、ルーカスはロキシーが知る彼よりも、ずっと勇敢に見えた。
暗い建物の中は、外とは違い奇妙に静かだった。今は銃声も止んでいる。
火薬の匂いが鼻についた。人はいないように見えた。
柔らかい何かを踏んづけ、小さく悲鳴を上げる。軍服姿の死体だった。
「そんなに臆病で、よく一人で入ろうとしたな」
ルーカスが呆れたように言う。むっとして小声で言い返した。
「昔、ルーカスはお化けが怖いって、わたしのベッドに潜り込んで来たのよ。守ってあげたんだから」
「へえ。じゃあ以前は強かったんだな」
あまり興味が無さそうに発せられたルーカスの呟きに、ロキシーは思わずびくりとした。
そういえば、小さい頃の自分は何も怖くなかった。王都に来た時だって、誘拐犯に立ち向かった。
いつの間にか、弱くなってしまったのか。誰かにすがり、守られることにすっかり慣れて。
だって、モニカの側にいて、言うとおりにしていれば、安全だった――。
ルーカスは進んでいく。扉を開け、人の有無を確認するが、いずれも不在だった。
先程の会話で幼少期を思い出したのか、独り言のように呟く。
「オレの知っている限り、一番強い人は母だった。自分を信じろと、いつも言っていた」
「違うわ、信じられるのは自分だけって言っていたのよ」
一瞬、ルーカスはロキシーを振り返り面食らったような表情をしたが、
「そうか、オレのお母様は、あんたにとっても母親か」
合点がいったように、笑った。
こんな緊迫した時なのに、弟の久し振りの笑顔にロキシーはどこか安堵してしまう。
二階へと上がる階段の途中で、そっと声をかける。
「ねえ、ルーカス」
「しっ」
話しかけようとしたが、手で遮られる。彼の視線は階上の一つの扉に向けられていた。開けはなたれている。
中から声がする。
ここに人が居るらしい。
状況から察するに、兵士に追い込まれ、向かい合っているのだ。
扉に近づき中をうかがう。見えた光景に息を呑んだ。
「ファフニール中将、なぜそちら側に付くのだ!」
兵士の一人がいらだたしげに声を荒げる。
「そうではない。だが、まだ彼は、何もしてはいない! 罪を犯していない人間を、裁くことは許されない!」
オリバーの声にルーカスがはっとしたように目を見張った。
部屋の奥で、壁を遮蔽物に使いながらこちらを見ているようだ。後ろには、反乱軍らしき若者たちがいるらしい。もっと目を凝らすと、フィンの姿もあった。肩を押さえている。撃たれたらしい。
そしてこちらに背を向けるように、数人の兵士たちがいる。彼らも反乱軍と向かい合いながら、物陰に隠れている。事態は膠着しているらしかった。
「……正規に命じられた奴等じゃないみたいだ。多分、命令外で勝手に動いたんだろう。酒も飲んでいるみたいだし、階級のない若い連中だ。勢いでやってるな」
ルーカスが兵士たちを見て冷静にそう言った。
もしかすると、父の部下のうち数人が、怪しみ後を付けたのかもしれない。
もっとよく見ようと扉に顔を近づけた時、父と目が合った。その瞳が、大きく見開かれる。
異変を感じ取った兵士の一人が振り返り、そして叫んだ。
「誰だ!」
その瞬間、反乱軍の一人が兵士に向かって発砲した。
「よせ!」とオリバーの声がする。兵士の一人が父に向けて銃を構えたのが見え、堪らず地面を蹴り、その兵士に飛びついた。
パン、という発砲音がして兵士は倒れる。頭から血を流していた。
撃ったのはルーカスだった。
「くそ」
そう毒づき、彼は拳銃を握る右手を、反対の手で覆った。その瞬間を見逃すまいと、反乱軍の若者たちは銃を取る。
「やめるんだ!」と再び父の声がする。どうやら父は、反乱軍と兵がこれ以上の交戦となるのを防ごうとしているらしい。
ロキシーの体は物陰に引っ張られる。ソファーだった。
厳しい視線を兵士たちに向けているルーカスがロキシーを引き込んだらしい。父は無事だろうか。
兵士たちはロキシーとルーカス、そして反乱軍たちにより挟み込まれている状況だ。
ロキシーは反乱軍の味方というわけではないが、父とフィンの味方ではあった。だから兵士たちが彼らに危害を及ぼそうとするなら、戦うつもりだ。
耳に銃声が響く。ルーカスが放ったものではない。彼は初めの一発以来撃っていなかった。
ルーカスが握る拳銃が、震えていることに、ロキシーは今になって、ようやく気が付く。
(勇敢な人間なんて、いないんだわ)
誰しも自分を勇気づけ、踏ん張らせ、留まらせ、転んでも、立ち上がらせる。前へ進んでいくために。
「だめだ」
ルーカスは毒づく。自分自身に言ったようだ。
「人を撃つと、こうなる。戦場じゃ、それなりにやってたみたいだけど、病院で意識を取り戻してからずっとこれだ。だから使い物にならないと、兵士を首になった」
「大丈夫よ、ルーカス。わたしも、一緒にやるから」
そう言って、ルーカスの手を包み込む。ルーカス一人の手を汚れさせるつもりは毛頭ない。
「いつだって、一緒よ。何もかも、半分分け合ってきたんだから」
ルーカスの震えが止まる。ロキシーの手が握る自分の手を、彼は凝視していた。
「……オレって、情けない奴。女の子一人、ろくに守ってやれないなんて」
「情けなくても、構わない。それに守ってもらわなくたって、一緒に戦うことはできるでしょう?」
灰色の瞳が、ロキシーに向けられる。その奥に、かつて帯びていた情熱がにわかに戻っているのを感じた。
彼の頭の中から大切な記憶が全て抜け落ちていたとしても、その心が失われた訳ではない。
二人は、しっかりと頷き合った。
「やろう」
「ええ」
あえて全てを言わなくとも、やることは決まっていた。
同じ両親のもと、同じ愛情を注がれて育った。何を考えているかなんて、手に取るように分かる。
二人で銃を兵士に向け、二人で引き金を引いた。当たっているのかさえ分からない。だが後方からの攻撃に、兵士たちはひるんだようだ。
「逃げろ!」
フィンのよく通る声が聞こえ、反乱軍たちが窓から脱出していく。それを兵士たちの銃弾が追っていく。
やがて静寂が訪れた。
反乱軍も、兵士たちもいない。
倒れた者は数人いた。その中に、父の姿を見つけてロキシーは駆け寄る。
目を閉じ、ぐったりとしている。
「お父様!」
運命は覆すことはできないのか。父は、以前と同じようにここで死ぬのか――?
だがロキシーが触れると、うっすらと目を開けた。
「ロクサーナ……」
生きていた。ほっと安堵のため息をつきかけたのも束の間、ルーカスが自分の上着を脱ぎ、オリバーの止血をした。
「動かさない方がいい! 撃たれてるんだ」
手際の良さに、戦場で繰り返し行っていたことなのだろうと想像した。
「他にも怪我人がいる、そっちを先に手当てするんだ」
オリバーの弱々しい声が聞こえる。周囲を見渡すと、確かに怪我人が数人いた。重傷だろうと思われる人も。
こんな時でさえ、自分よりも回りを優先する父は立派だ。だがロキシーは従わない。
「嫌よ、あとで叱られたって構わない。お父様を一番初めに助けるの。ルーカス、手を貸して!」
オリバーを運び出した後で、騒ぎを聞きつけた別の軍人たちが、負傷者を運び出しているのが見えた。
議場襲撃騒ぎと、今回の騒動。
反乱軍と国との間に、埋めることのできない深い溝ができあがったことは明白だった。




