ある真相に、彼は辿り着く
新聞の戦争死亡人欄を見つめるロキシーは、隣で一緒に眺めるモニカが、全く違う心持ちでいることなど知りもしないだろう。
ルーカス・ブラットレイの名も、レット・フォードの名も、そこにはない。
そのたびに、ロキシーが安堵しているのには気が付いていた。
よかったわね、と口では言うものの、モニカの中で膨れ上がるのは焦りだった。
(――何をまごまごとしているの、ルーカス)
彼がモニカの誘導通りに戦場へ行って、もう一年になる。
戦闘に紛れてレットを殺せと命令した。ルーカスほどの射撃の腕があれば、不可能ではない。銃で撃たれて死んだ人間が、敵味方どちらの弾に当たったかなどいちいち確認されることはないからだ。
なのに、未だ死亡人欄にレット・フォードの名はない。死んだという噂もない。
今までの傾向からすると、戦争が終わる前に彼は戻ってくる。有用な人物であるからと、王都に呼び戻されるのだ。だが今回はまだ帰っていない。願わくばもう死んでいることを祈った。
「早く皆、帰ってくればいいのに」
「本当ね」
ロキシーの髪を撫でながら、モニカはそう答えた。
内心では全く違うことを思っていた。
レット・フォードが死んでくれれば、邪魔者はいない。ロキシーはずっとモニカだけのものになる。それにルーカスがいない今、ロキシーの支えはモニカだけだ。後ろ暗い満足感が、モニカを満たしていた。
憎しみ合って、何度も彼女に殺されてきた。その彼女が、こうしてモニカに寄り添い、信頼している。その優しさも愛情も、モニカだけのものだ。モニカの許しがなければ、ロキシーは存在することさえできない。
時間と空間を何度も行き来して、ようやくここにたどり着いた。
いつかロキシーは言っていた。この世界は祝福なのだと。その通り、この世界はモニカにとって、極上の幸福だった。遂にあのロキシーを支配して、その全てを手に入れることができたのだから。
この凪のような時間を失いたくない。
多少の運命は違ったとしても、この世界の人々の性格は知り尽くしている。どう背中を押せば思うとおりに動いてくれるかなんて、分かりきっていることだ。
ルーカスは冷静な人物だ。何が最善かを判断し、それを実行できる。
彼は必ずレットを殺すはずだ。モニカは、それが待ち遠しくて仕方がない。
レットさえいなければ、永遠にこの時間が続くのだから。
◇◆◇
また近く、戦闘が開始されるとのことだった。そんな気配など微塵も感じられないほど、春の夜は穏やかに過ぎていく。
当面の宿として使用している空き家で、レット・フォードは隊の者たちと夕食を食べていた。
「最近、中尉宛てに例の彼女たちからの手紙はきませんね」
親からの手紙を読んでいた部下が、ふいにそこに思い至ったかのように顔を上げるとレットに言った。
例の彼女たち。それはロキシーとモニカのことだ。
「それもまた成長さ」
肩をすくめる。寂しさもあったが、年頃の娘がいつまでも幼い頃の友人に手紙を書くと信じているわけでもなかった。
案外、結婚しているかもしれない。
あり得なくもない。もう十五になったはずだ。
まったく自分でもおかしいとは思うが、気が付けば、あの意志を秘めた瞳を繰り返し思い出しては、この戦争が終わったら、一番初めにあの少女に会いに行こうと決意を固めていた。たとえ彼女が、少女時代に交わした約束をとうに忘れていたとしても――。
「中尉に帰還の依頼が出ていると聞きましたよ。従わなくてよいのですか?」
「私に? あり得ない、ただの噂だろう」
そうはぐらかす。
存外、兵士たちは耳が早い。
戦果が認められたのか、王都に戻れとの命令があった。戻るつもりはなく、無視し続けている。
「今やあなたは有名人ですから。王都も近くに置いた方がいいと判断したんでしょうね」
「皆、英雄が欲しい。人々の希望を乗せた生け贄に選ばれただけだ。負け始めた途端、きっと掌を返されるだろうさ」
運良く隊が勝利を重ね、たまたま指揮をしていたから名が知られるようになった。
出世のためには悪いことではないが、実力以上の評価を得ている。
「――ベアトリクスって名のべっぴんだ」
聞き覚えのある名に、思わずそちらを見た。
先の休暇で、部下の一人が大陸を周遊してきたらしく、出会った女と勢いで結婚をして帰ってきた。しきりにその女の話をする。
「そりゃばばあじゃねえのか? その名の年増女は多いだろう」
別の兵士がそう対応している。確かに“ベアトリクス”の名は、レットが生まれるよりも前に流行した女性の名だった。
なぜならその頃この世に生を受けた王女の名が、ベアトリクスだったからだ。
その年に生まれた国中の女は、皆ベアトリクスという名だ、などという冗談は数え切れないほど聞いた。
ロキシーとルーカスの養母の名もそうだった。同年代だったのだろう。年の頃は丁度合う。
最も王女のベアトリクスは、後に女王となり、夫となった者――現国王の手により城を追われ、病死したのではあるが。
そういえば、オリバー・ファフニールはかつての女王の忠臣だった。平民出身でありながら、その忠誠心は貴族をも凌ぐほどと言われていたらしい。
そんなオリバーが現国王の世でも軍の幹部として異例の出世をしているのは、女王への忠誠を捨て、現国王に主を鞍替えしたからだ。
かつて共に女王のために身を尽くした仲間からは、非難の嵐だったという。
わずかな違和感はある。あの恐ろしいほど誠実なオリバーが、そう簡単に自分の決意を捨てたことは奇妙だ。
(――待てよ)
今まで、考えもしなかったことが頭をよぎる。傍の兵士たちの雑談が、にわかに遠くなる。
ベアトリクスが国を追われたのは、十五年前だ。レットはまだ子供で、何が起こったかなど考えもしなかった。
(まさか)
思考がとまらない。
国を追われた際、ベアトリクスは臨月だったのではないかという噂があった。真実だとしたら子供共々死んだことになる。
だが、例えば、女王が死んでいなかったとしたら。
例えば、子供を産み、生きながらえていたのなら。
一人でそんなことができるはずがない。協力者がいたはずだ。彼女に絶対の忠誠を誓った人物とか――。
(馬鹿な妄想はよせ)
――続く戦争で、頭がおかしくなったのかもしれない。だが理性とは裏腹に、思考は続く。
産まれた赤ん坊はどうなった? 一緒に逃げたとは考えにくい。新生児を連れて、そう遠くまで逃げられるわけがない。だから置いて行った。
赤ん坊は生きていたら十五歳になったはずだ。
ファフニール家の双子は、思えば全然似ていない。
まるで構成要素からして違うのではないかと思うほどに。
オリバーの部下としてファフニール家に出入りしながら、調べたことがある。
双子の片方には、かつてひどい妄想癖があった。自分は王家の血が流れているのだという妄想が。
それがある意味で、真実だったとしたら――。
ベアトリクスは赤ん坊を産み、オリバーがそれを引き取った。女の子だったはずだ。
彼は女王への忠誠を隠したまま、娘を育てていると王に気取られぬよう、その身を粉にして王に仕えた。
レットはベアトリクスの顔を直接は知らないが、多くの絵画のモデルとなったから、大体の雰囲気は知っていた。その絵は、あの娘に、確かに似ている。
(あの娘が、女王の子供だとしたら……)
ならあの不可解な誘拐騒ぎも説明がつく。女王の子供だと気が付いた反乱軍が、利用しようと連れ去ったのだ。
「中尉、大丈夫ですか?」
部下の一人に声をかけられる。
「恐ろしい顔をしていましたよ」
何でもないさ、と微笑みつつも、心の内からその考えは払拭できなかった。