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雨の中、弟とキスをする

 ことの始まりは、久し振りに二人で出かけないか、とルーカスに誘われたことだった。


 二人でなんて、モニカが邪魔をしてどうせ三人で行くことになると思っていたが、今日に限って彼女は素直に二人を送り出す。


「とくに、用事もないんだけどさ」


 そう笑うルーカスの表情が、以前とは違う気がした。もうずっと、弟はロキシーのよく知る幼くて純粋でかわいらしい彼とは違っている。

 背も伸びたし、声も低いし、考えをあまり話さないようになってしまった。


 だから今こうして、街中を黙って隣を歩いていると、途端に何を考えているか分からなくなる。

 

「行きたいところとか、ある?」


 問われても、思いつきはしなかった。

 

「どうせなら、街の外れまで歩いてみましょうか」

 

 久し振りに、弟とゆっくり一緒にいたかったのだ。



 

 


 それで、こうなった。


 町外れまで歩いてきたところで、ぽつりと雨が降ってきた。雨宿りをしようと常に解放されている小さな教会に入った。


「寒くない?」


「寒くないわ」


 と答えたにも関わらず、ルーカスは自分の上着をロキシーに差しだした。


 小さな教会の中には二人の他には誰も居らず、壁にかかる聖母の絵がこちらに微笑んでいるだけだった。


 あいにく司祭は不在で、信者の姿もない。二人きりの教会で雨が上がるのを待った。


 いよいよ雨は本降りになった。まだ日が暮れる前だというのに、外は薄暗い。


「あの絵、お母様に似てるわ」


 絵を指差した。名もなき画家の絵だが、まなざしがベアトリクスによく似ている。

 ルーカスもそちらに目を向けた。


「最近思ってたけど、ルーカスってお母様にはあんまり似てないのね」


 以前から思っていたことを口にすると、弟は意外そうな顔をした。


「知らなかったの? お母様は、オレにとっても継母なんだよ」


「ええ!? そうだったの!?」


 ロキシーの反応に、ルーカスは苦笑する。


「ずっと一緒に住んでたのに、気づかなかった? ふらりとあの片田舎に現れたお母様に、妻を亡くしたお父様が一目惚れしたって聞いたけど」


「そんなの、一度だって聞いたことないわ!」


 今の今まで、ベアトリクスがルーカスを産んだのだと思っていた。

 では母は、まったく血の繋がらない子供二人を、死の間際まで育てたというのか。


「お母様にとっては血のつながりだけが、家族のつながりじゃなかったんだよ」


 ルーカスも聖母の絵を見つめた。そこに母の面影を探すように。


(お母様って本当に素敵な人だったのね)


 いつか自分も母のように強く優しくなれるだろうか。

 聖母の絵はそんなロキシーへただ優しく微笑みかけるだけだ。母はもういない。だがいつだって、その存在を感じていた。


 ふと、ルーカスがこちらに視線を向けているのに気が付いた。今日一日、ずっと彼はそうだった。何か言いたげにロキシーを見つめ、だが何も言わずに逸らすのだ。

 誰に対してもはっきりものを言う弟は、たまにロキシーに対してだけは寡黙になった。

 

「どうしたの?」

 

 だから聞いてやる。これも姉の務めだ。沈黙の後で、ルーカスは答える。


「……もしオレが、ロキシーのために、ロキシーの大切なものを壊したら、嫌いになる?」


「どんな事があっても、ルーカスを嫌いになんてならないわ。大切な弟だもの」


 しかしルーカスは首を横に振った。


「弟じゃなくていい」


 目を伏せ、そして上げた。はっきりと見つめ合い、その真剣な瞳にロキシーは何も言えなくなってしまった。


「嫌われても構わない。一生、ロキシーの弟でいたくないんだ」


 ロキシーの心臓の鼓動が激しくなる。知りたくない。これ以上、彼に言わせてはだめだ。だがやはり、言葉は出てこない。


「出会った日から今日まで、ロキシーのこと姉さんだと思ったことはただの一度だってない」


 ルーカスはそんなロキシーに間を与えないかのように続ける。


「オレにとって、ロキシーはずっと女の子だった。たったひとり、側にいたいし、いてほしいって望む、そんな女の子だったんだ」


 遂に聞いてしまう。今まで避けてきた問題について。


「自分でも普通じゃないって分かってる。だけど血は繋がってない。姉弟として出会ってなければ、全然おかしな感情じゃないはずだって、いつだって自分に言い聞かせてきた。

 シャノンじゃないよ。オレの好きな人は、ずっとロキシーだった。生きる意味は、ロキシーだった」


 好意を告白されているのだ。


 ロキシーの中に、驚きはなかった。心のどこかでは感づいていたのだ。

 弟の愛情が、普通姉弟の中に生まれるものとは別の愛であるということに。


「……ごめん。こんなこと言われて、気味が悪いだろ」


 声は震えていた。


 ルーカスは罪人が許しを請うように、ロキシーの前に頭を垂れた。両手に顔を埋め、告白を後悔しているかのようだった。

 

「ルーカス、平気よ。気味が悪いなんて、少しも思わないから」


 顔を上げないまま、弟は言う。


「ロキシーは優しすぎるんだよ。だから皆に、つけいられるんだ……オレや、モニカ、それに、()()()にも……」


「優しくなんてないわ……」

 

 ただ、罪があるだけだ。過去に犯した罪が。

 大罪を犯した自分が、どうして人を責められる。


 ようやく、ルーカスは顔を上げた。その目は赤く潤んでいる。


 ロキシーは動揺した。幼いとき、いつだって、ルーカスの心はロキシーのものだった。ロキシーの心だって、ルーカスのものだった。

 一人が笑えばもう一人も笑い、一人が泣けば、もう一人も泣いた。同じように、心が揺れ動いた。


 それは、今でも変わらないらしい。 


「……最後だから。これでもう、終わりだ。今日が過ぎれば、オレはただの弟に戻るから。今まで通り、普通に姉さんを思いやる、いい弟でいるから……。だから、今日だけは、そうじゃないオレを許して欲しい」


 ルーカスを愛しているとはっきりと言える。


 だがそれが、家族としての愛なのか、異性へ抱く愛なのか、判断はつかない。そもそもそこに、線引きが必要なのかさえ、ロキシーには分からなかった。分からず、ただ黙って弟を見ることしかできない。

 弟はその違いをずっと知っていたんだろう。彼はロキシーより遥かに大人だった。


 ゆっくりと、ルーカスの手がロキシーの肩に触れた。自分とはまるで似ていないその灰色の瞳を見続けることができず、顔を背けようとする。


 だがそれは叶わなかった。

 ルーカスの手が、そうはさせまいと今度はロキシーの頬に触れたからだ。だからロキシーは彼から目を逸らせない。

 

 クリフにキスをされかけた時のような焦りはなかった。

 ルーカスが言うような気味の悪さもなかった。

 それでも代わりに、幸福があるわけでもなかった。


 どういうわけか、胸いっぱいに広がるのは悲しみだった。訳の分からぬ切なさが、ひたすらにこみ上げてきた。


(わたしは、ずるい人――)

 

 そっと唇が触れる。


 神様は祭壇から見ているだろうか。目の前で、弟とキスをしているロキシーのことを。


 たった一度、触れるような口づけだった。


「……ごめん」


 こんな時でさえ、弟は謝る。

 ロキシーから身を離し、立ち上がったルーカスは首を横に振った。


「ごめん、ロキシー。本当に、ごめん」


 苦悶の表情を浮かべるルーカスは、謝罪を繰り返しながら後ずさる。


 何かを言わなければ。なにかルーカスを励ますようなことを。


 ――気にしてないわ。全然平気よ。少しも傷ついてないから。


 何ひとつ本心ではない。だから言葉にはならなかった。

 代わりに、心臓が嫌に脈打っている音だけが体に響く。


 逃げるようにしてルーカスは教会を出て行った。

 彼によって開かれた扉が、外の雨音を教会内へと轟かせる。

 ようやくロキシーは我に返る。


「ルーカス!」


 ここで彼を行かせたら、二度と帰っては来ないんじゃないか。

 そんな不安が胸によぎった。


「ルーカス! 待って!」


 後を追うように教会を出た。


 だが既に弟の姿はなく、先ほどよりも更に勢いを増した大量の雨が、轟音を立てて降り注いでいるだけだった。


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