誕生日を迎えて、わたしは前より大人になる
「彼女に結婚を申し込もうと思う」
クリフの私室に呼び出され、唐突に告げられたロイ・スタンリーは反射的にこう言った。
「馬鹿な真似はおやめください」
「ところが真剣だ。どうしてだか初めて会った気がしないんだ。彼女こそが私の妃にふさわしい、そう思わないか?」
問われたところで、思わないと答えるしかない。
ロイはしかし黙ったまま見つめた。
主君のクリフは彼の父親に似ず柔和な人間だ。聡明であり、豪胆とも言える。
病弱であるという一点を除けば、実に王たる器を持っている。
その彼が、血迷ったとしか思えない発言をしている。どうしたものか。
「一度言葉を交わしただけで婚約を?」
「王族なんぞ、一度も会わずに結婚をする奴等ばかりだ。まだ健全だろうよ」
「まだ、十二、三かそこらでは」
「私は十六だ。おかしな年齢差だろうか」
「人となりも分からないでしょう」
「ファフニールの双子は器量よし性格良しと大変評判だ。お前だって知っているだろう?」
確かに、オリバー・ファフニール中将の風貌からは想像できないほど娘たちは可憐だと城内でも噂になっている。
結婚の申し込みが後を絶たないというが、まだ幼いからと娘たちの耳に入る前に父親が全て握りつぶしているらしい。
ロイとて、彼女らを否定するつもりはない。だが次期国王の妃として似つかわしいかはまた別の問題だ。
数多の婚約話をのらりくらりと躱してきたクリフが、ただの男爵家、それも軍人の娘と結びついたとなると、腹の内で面白く思わない人間も多いだろう。ただでさえ長引く戦争に軍部を嫌う連中が増えているというのに。
次期国王に市中の人々のように自由恋愛をされては困るのだ。
「ロクサーナ・ファフニールを、今度の招待客に加えろ」
だがロイに断る余地はない。
あれこれ考えたところで、結局は主君に従うしかないのだ。
「かしこまりました」と返事をするほかなかった。
◇◆◇
二人の誕生日でも、父は不在だった。代わりに祝いの伝言と、プレゼントが届けられる。
「プレゼントは毎回届くものが違うのよ!」
モニカは楽しそうにプレゼントを開く。
「ロキシーのは……まあ、素敵な帽子! わたくしのは……うわ、なんてこと、教養の本だわ……」
ぐぬぬ、とモニカは唸る。
「お父様はロキシーばかりひいきするのね! 実子と養子の違いだわ!」
「あなたがそんな性格だからでしょ。お父様の愛情は、きっちりかっちり等分だわ」
「教養なんていらないわ! そもそもわたくし、お父様より長い時間を生きているんだから!」
だらしなくソファーに体を横たえ、つまらなそうに呟く。
「かわいい娘たちの顔を見たくならないのかしら」
モニカも父を大切に思っているのだ。放っておかれる寂しさもあるらしい。ロキシーも同じ思いだったが、父を責めても可哀想だ。
「今は戦時中なんだもの。仕方がないわ」
新聞の紙面を飾るのも、もっぱらその話だ。どこどこを奪還しただとか、占領しただとか。
新聞を信じて良いのか分からないが我が国は順調に隣国に攻め入っているらしい。
「戦争戦争って、つまらないわ。わたくし、もう飽きちゃった。だけどロキシーはいつも戦争死亡人欄を熱心に見てるわね」
抜け目ないモニカ。誰にも気づかれないようにこっそり確認していたが、流石気づいているようだ。
ロキシーはうろたえた。
レット・フォードの名がないか、いつも探していたのだ。モニカの検閲付きで彼へ時折手紙を書き、返事もあったがそれでも気がかりではあった。
「だって彼は友人だもの。心配だわ」
「あらわたくし、誰を探してるなんて聞いてないわ」
ふふふ、とモニカは笑う。
幸いにして今日は誕生日、彼女の信者(大抵は男だった)からの祝いの品が大量に届き、ご機嫌なため、先日のように急に機嫌が悪くなったりはしない。
ロキシーにも友人たちからの祝いの品があったが、モニカと比べると格段に少ない。妹はいつも男性にもてるのだ。
モニカは困った顔を作る。
「わたくしロキシーを心配してるのよ。レットに心を奪われてないか。だって、彼が戦場へ行くって言った時だって、駅へ飛び出してしまったんだもの」
「だから、心なんて奪われてないし、第一、あの頃は子供だったのよ? 長い時間生きているモニカとは違うの。勢いで行動することだってあったのよ」
そうとも。二年前の自分は勢いだけだった。
「この街に来たばかりでルーカスとも離ればなれ。おまけに再会した妹はすごく意地悪なんだもの。とにかくなにかをどうにかしなきゃって抗ってたのよ。今は違うわ、多少大人になったし」
どうかしらね、とモニカは言う。
「ルーカスとフィンは仕方がないとして、不用心に怪しい人間に近づくなんてよくないわ。
あのね、おわかり? 十五歳になったらレットが帰ってきて、わたくしに婚約を申し込むのよ? それが破滅への合図なんだから。
そしてロキシー、あなたはこの世界の、いわば悪役。皆、あなたを狙うかもしれないのよ? 恋人の座じゃなくて、その命をね」
この前、ロイ・スタンリーという青年に偶然会ってしまったことをモニカは言っている。だけどあれは不可抗力だった。
「わたくしの側にいる限り回避させてあげるから、心配ご無用よ」
それが一番心配なのよ、とロキシーは思った。
と玄関がにわかに騒がしくなる。ルーカスが呼びに行っていたフィンとリーチェがやってきたらしい。
「二人とも、誕生日おめでとう」
「おめでとうございます、ロクサーナ様、モニカ様」
お祝いの言葉を口にしながら、リーチェが包みを二つ取り出した。
モニカが言う。
「教養の本ならいらないわよ」
「じゃあ渡すものがないです」
「まあひどいわ!」
「冗談ですよ」
リーチェはモニカをからかうようにくすくす笑う。
こらこら、とフィンが妹の頭を撫でる。親馬鹿ならぬ兄馬鹿な彼は、妹が何をしてもすべてかわいらしく見えてしまうらしいのだ。
リーチェとモニカ。二人だって別に仲が悪い訳ではない。冗談を言い合うほどには友情があった。
「正確に言うと、今日はロキシーの誕生日で、王女のわたくしは別の日なんですけどね。でも、嬉しいわ、本当よ?」
モニカはロキシーだけ聞こえる声でそういうと、はにかむように微笑んだ。
彼女にとって、今まで友人たちは決まった動きをする記号でしかなかった。
だが今は、心からの交流ができているのだ。
父こそいないものの、今日は大切な人たちと過ごせる。盛大な祝いはまた後日、いるのは双子とルーカスと、オースティンの兄妹だけだ。気心は知れている。
ロキシーもモニカも、大いに楽しんだ。
モニカがオースティン兄妹との話に夢中になっている時、そっとロキシーを呼ぶ声が聞こえた。
「ロキシー、こっち」
見るとルーカスが部屋の外で手招きをしている。
向かうと廊下の奥まで手を引かれる。
「どうしたの?」
「プレゼントがあるんだ」
「さっきもらったわ」
ロキシーとモニカにそれぞれ同じハンカチをプレゼントされていた。
「あれだけなわけないじゃないか。モニカの前だと渡しにくくてさ、ロキシーだけに、特別なものをあげたかったんだよ――」
そう言ってルーカスは包みを取り出し、ロキシーに渡す。
「開けていい?」
「もちろん」
見ると、金細工の髪飾りだ。スターチスの花を模したそれは、繊細でなんともかわいらしい。
「すごく、素敵……」
燭台の炎が映され、花が揺らめいているように見えた。だけど高かったんじゃないんだろうか。ルーカスを見ると、
「今日のために、貯めたんだ。ロキシーに似合うと思ってさ」
と照れくさそうに笑っている。
「スターチスの花言葉は、“変わらぬ心”ね? 粋じゃないの、ルーカス」
廊下の向こうからそんな声が聞こえて、ぎょっとして二人は振り返った。
いたのはモニカだ。くすっと彼女は笑う。
「そんなに怖がらないで。わたくし、弟が姉だけにプレゼントを渡していても、それで怒ったりはしないわよ?」
それが本心かは、ロキシーには分からない。モニカは笑みを崩さないまま言った。
「お父様から、わたくしとロキシーにもう一つ伝言があるんですって。いらっしゃい、一緒に聞きましょう」
◇
そして使用人から聞かされた伝言は、ロキシーのみならず、モニカでさえも仰天させるものだった。
「クリフ殿下の誕生日祝いに招待されることになったから、心づもりをしておきなさい――とのことです」