家に帰って、わたしは王子を思い出す
家に帰ってきた三人はロキシーの部屋で昼間の出来事を共有する。ベッドの上に姉妹が並んで座り、ルーカスはソファーにいた。
モニカの足首には大げさな手当てがしてある。
「王子ね」
「王子だって?」
人を助ける気などさらさらなかったモニカは一部始終を一切見ていなかったにも関わらず、その青年の名を告げると即座、言い切る。
疑問はない。ロキシーもそう思ったからだ。
「そういや、新聞によくあの顔が載ってるっけ。だけどなんでクリフ殿下があんな街中をうろついてるんだ?」
ルーカスが尋ね、モニカが答えた。
「クリフは好奇心旺盛な性格で、しょっちゅう無理に街へ行きたいと言い出すのよ」
実の兄にあたるのだが、モニカは他人ごとのように言う。
「ロキシーも思い出したの?」
「ええ、名を聞いたときに」
現実主義の弟が、世界がループしている話をどこまで信じているのかロキシーには分からないが、彼なりに解釈して受け止めているようだ。
思うまま権力を奮っていた以前の世界でも、クリフは存在していた。
理知的で国民からの支持もあったクリフは、ロクサーナが王の座を得るのに邪魔な存在だった。誰がどう見ても、次期王は彼だったからだ。
「わたしはクリフを排斥すべく、ありとあらゆる手を使ったの」
一体どうしてそこまで権力に固執していたのか、今となっては分からない。
結局、敵国との内通というありもしないスキャンダルをでっち上げて彼を僻地へと追いやった。
ロキシーは苦々しい思いに囚われた。
確かに身に覚えのあることだ。
あることだが、今の自分とかけ離れていて動機がよくわからないし、そしてかつての自分のあまりにも我が儘な振る舞いが恥ずかしくなったのだ。
「女王だったロクサーナって、我ながら、すごく変。自分のことしか見えていない嫌な女だわ」
「今のロキシーは違うよ」
弟の言葉に慰められる。
「クリフ殿下はその後どうなったんだっけ……」
「暗殺されるのよ。ロクサーナの命令を受けた者たちによって」
暗殺……。
覚えてはいないが、自分はそこまでしたのか。耐えきれずため息が漏れる。
「一緒にいたのは、ロイ・スタンリーね。ロイは王子付きの護衛で、いつも命令に背けず、仕方なく付き合うのよ。今日はそういう日だったんだわ。気をつけなさいよロキシー」
ロキシーはクリフと一緒にいた、ロイと呼ばれた男を思い出した。眼光の鋭さに、冷たい印象を受けた。
うかつだった。
既に友人のフィンやリーチェを除いて、ロキシーとモニカを破滅に導きかねない存在との接触を、なるべく避けていたと言うのに。
「だけどモニカだって、気づかなかったじゃないか。何度も世界をループしていて、その中で似たようなことが起こると知っていたにもかかわらず、買い物に夢中で騒ぎにすら気づかなかった。ロキシーだけを責められるのかよ」
ルーカスが言う。
「だって楽しかったんだもの。仕方ないでしょ? それに、クリフになんて、興味がないもの」
「でも実のお兄様でしょう? 会いたくならない?」
ロキシーが尋ねると、ひどく純粋な瞳を返された。
「どうして?」
首をかしげるモニカは、本気で不思議そうだ。逆にロキシーの方がしどろもどろになる。
「だって、きょうだい、なんだから……」
「わたくしのきょうだいはロキシーだけですもの」
白い歯を見せて笑う彼女には邪悪のかけらもない。嬉しいけどそれでいいのか、ロキシーには疑問だ。
モニカは魅力的な笑みをみせる。
「目下の目的はわたくしたちが十八歳以降も生き延びることよ。だけど誰とも恋愛しないのもつまらないわね。
わたくし、ルーカスと恋愛しようかしら」
と顔を近づけたモニカをルーカスは片手で振り払う。
「それとも、レットとしようかしら。だって彼って素敵よ」
唐突にレットの名を出されて、思わず動揺した。
――微笑み、列車、励まし、大雨、暗闇、泥で汚れた白いシャツ、弱々しい声、触れた髪、熱、銃、流れる血、額へのキス。
それらが瞬間にして、駆け巡る。
「でも恋なんて、頭がおかしくなりかねないから、やっぱり止めておこうかしら。ね、ロキシー?」
それはロキシーの記憶の中で証明されている。モニカの初めのループの世界で、ロキシーは彼にベタ惚れだったんだから。もっともその時の二人の間に愛はなく、結局は一方的な関係だった。
「だけどレットって、やっぱりいい男よね?」
楽しげにモニカは笑う。
「ねえ、レットをわたくしにちょうだい?」
「べ、別にいいわよ」
努めて冷静な声色で答える。
その様子を見てモニカはさらに笑った。
「そしたら、ルーカスもちょうだい?」
「ふざけんな、オレは――」
「ルーカスはだめ! 絶対にあげない!」
ルーカスの言葉を遮るようにロキシーは叫ぶように言った。この弟だけはあげられない、誰がなんと言おうとも。
だが、言った後で我に返る。
「っていうか、ルーカスはわたしのものじゃないけど……」
恋人でもない。ただの姉だ。
「あら、レットだってあなたのものじゃないわよ?」
からかうような口ぶりのモニカだったが、その瞳はぞっとするほど冷たい。
「……誘導尋問だわ」
「どうかしら――?」
「どうってなによ」
「本当はもうレットに恋して、わたくしのことが邪魔になったんじゃないのかしら?」
「そんなことないわ! いつも言ってるじゃない。彼のことはなんとも思ってないって……」
しかし急に仏頂面になったモニカは、不機嫌を隠すことなく黙り込む。そして立ち上がると「部屋に戻るわ」と言って足早に去って行ってしまった。
「歩けるじゃないか!」
ルーカスがその背に文句を言った。
「なんて女だ。ロキシーが甘やかすからますます増長してるよ」
「試してるんだわ。何度もわたしに殺されてるんだもの。本当に味方かどうか不安なのよ。安心させてあげなくちゃ」
「それっていつまで? いつまでロキシーはあの女の言うことを聞き続けなくちゃいけないの。まさか老人になるまで? ロキシーの人生はどうなるんだよ。永久に支配されるつもり?」
「そんなこと言わないで。モニカはわたしの大切な妹よ。大人になったら、もっと良い関係になれるわ、きっと――」
とはいえ、ルーカスを愛するようにモニカを愛しているかは分からない。義務感と罪悪感、それも確かにあって、モニカも気が付いているらしい。
だから依存し常に目を離させないように必死なのだ。分からないでもない。
過去の女王ロクサーナがそうだった。人の気を引きたくて、愛を何度も試していた。周囲をうんざりさせるほど。
ロキシーに殺されるのではという思いは、未だにモニカを苦しめている。そうさせているのは、過去ロキシーが犯してきた罪によるものだ。
「……わたしは何があってもあの子の味方でいるって誓ったの。ルーカスがわたしの側にいてくれているみたいに、絶対に信じるって。誰にも信用されないって、すごく辛いから。あの子だって以前よりずっと明るくなったじゃないの」
「まあね。だけど――」
ルーカスはソファーから立ち上がり、先ほどまでモニカがいた場所に座る。
ロキシーの隣に。
ベッドが沈む。
「オレ、いつだってロキシーと一緒にここを出る覚悟はあるから」
ルーカスの両手がロキシーの手を包む。小さかった弟の手はいつの間にか大きく逞しくなった。顔立ちだって、ずっと大人っぽくなった。
「生活に苦労はさせないし、ここが嫌になったら、二人でどこか遠くで暮らそうよ。オレだって誓うよ。何があっても、歳を取っても、絶対にロキシーの味方でいるから」
背丈は変わっても、二人の仲は変わらない。
「ありがとう。あなたって、本当に最高の弟だわ」
いつだってルーカスはロキシーの心をほぐしてくれる。しかし微笑み返す弟は、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。
「誤解されると困るから言っておくけど、パン屋のシャノンのこと、好きじゃないからね? 別の人が好きだから……」
へえ、そうなんだ。ルーカスって案外罪な男ね、とロキシーは思った。