生き別れた姉と、弟は再会する
ルーカス・ブラッドレイがこれほど時間がかかってから王都に着いたのは、列車が開通している駅まで向かっていたせいだ。
駅まで向かう数日間は、マーティという男と一緒にいた。夢で彼に会った不可思議な体験については伏せていたし、目下、彼の興味は酒と女とギャンブルにあるようで、反乱を起こしてまで国を変えたいという、崇高な理想を抱いてなどいなかったから、あの夢は気のせいだと言い聞かせ、心の底に隠しておくことにした。
商家の三男で、家と折り合いが悪く、飛び出して以来、数週間、日雇い労働で暮らしているという。
着崩した服や破天荒な生き方に彼の人間性が表れていたが、一方で、悲観せず明るい彼に、ルーカスは好感を抱いていた。
「君といて楽しかったよ。姉さんに、早く会えるといいね」
彼はそう言って、列車賃までくれたのだ。
王都に着いて、人と建物の多さに圧倒されつつも交戦のさなかでも持ち出した、ロキシーから届いた手紙を握りしめ、書かれた住所に向かう。
「ロクサーナ様は、こちらにおられません。その、あなた様は……」
弟だと名乗ったが信用されていないらしく、その使用人は、じろじろとルーカスの格好を見回した。
それも仕方がない。かつて持っていた質の良い服は金に変え、今着ている服はボロボロだ。おまけに戦乱から逃げてきたから、至る所破けたり、血が出ている。
要するに、どこぞの物乞いがロクサーナ嬢の弟だと偽り、金をせびりに来たのでは、と疑っているわけだ。
「じゃあ、直接会うので、場所を教えてください」
ルーカスの言葉に、使用人は困った表情になる。いかにも怪しい少年に、主人の娘の居場所を教えるのを躊躇っている、ように見えた。
一刻も早く彼女に会いたいのに。
押し問答を続けていると、背後から声をかけられた。
「あら? ルーカスじゃないの」
王都に知り合いなんていないから、気軽に声をかけられる理由もない。にも関わらず、その声は親しい見知った人間にかけられるような、のんびりとした声色だった。
この声を知らないはずだ。この、人生においては――。
「モニカ……様……」
驚愕の思いで振り返り、力無く彼女の名を呼んだ。一瞬、彼女は妙な顔をした。なぜルーカスが自分を知っているのかわからないようだ。
なんとなく……の根拠でしかないが、モニカにあの夢のことを話してはいけない気がして、言い訳のようにルーカスは言う。
「ロキシーから貰った手紙に、モニカって妹の特徴が書いてあったんだ。だから」
「ふぅん? そうなの」
さして興味がなさそうにモニカはいい、使用人に、ルーカスの身分の証明をしている。その間に考えた。
ルーカスがモニカのことを分かったのは、夢で見たからだ。じゃあモニカがルーカスのことを分かったのはなぜか。
だがモニカが振り返ったため、思考はそこで途切れる。
「あの子に会いにきたのね? こっちよ。案内するわ」
やっと大好きな姉に会えるというのに、先ほどまでの期待と喜びが薄れていたのは、目の前の少女の纏う空気に、得体の知れない恐ろしさを感じていたせいだ。
馬車に促され、乗り込む。離れた場所にいるようだ。
隣に座るモニカが、にこりと笑った。
「ロキシーったら、ルーカスを探しに故郷に帰ろうとしているのよ? お父様が止めているけど……。お父様もあなたを探していたから、現れたって知ったら喜ぶわ」
いいことって続くわね、とモニカが言うが、他に起こった「いいこと」なんて、ルーカスは知らない。このところ起こることは、最低なことばかりだったから。
馬車の中ではほとんど会話もなく、ほどなくして、とある建物の前に到着した。
「病院よ」
「これが病院?」
「わたくしは飽きて先に戻ったんだけど、ロキシーはまだあの男のところにいるわ」
その大きさに圧倒されつつ、案内されるがままルーカスは庭に向かう。モニカは上機嫌だった。
空は青く澄んでいて、日差しが眩しいほどだ。病院の庭は手入れが行き届き、心地よい空間に思えた。
それでもルーカスの心は弾まない。モニカの浮かべる笑みに、含みがあるように思えてならなかった。
広大な芝生が敷かれた、ある一角を指差してモニカは言う。
「あの子に誓わせたけど、正直、このわたくしにも不安はあったのよ。このところ、あの二人はすごく親密そうで――」
その姿を見た瞬間、我も忘れてルーカスは駆け出しそうになる。
――ロキシー!
「待ちなさい!」
モニカに服を掴まれ止められたため、芝生の上にすっ転ぶ。
「なにすんだ!」
立ち上がり怒るが、モニカは前方を見たまま言った。
「よく見てみなさい。ロキシーの隣にいる、あの男よ」
ルーカスも目を向ける。ベンチに座り、親しげに会話を交わす、年の離れた男女。一人はロキシーだ。もう一人は――。
「レット・フォード……」
ロキシーを連れ去った男だ。
ロキシーも嫌がっていた。
二人の間に何があったのか。
穏やかな表情に見える。
なんでそんな顔、できるんだロキシー。
なんでそんな男の隣で、笑ってるんだよ。
ケラケラと、笑い声がして引き戻される。からかうような、モニカの瞳があった。愉快そうに笑っている。
ルーカスは気づく。この少女、見た目と中身が真逆だ。
モニカは言う。
「もしやって思っていたんだけど、あなたは弟以上の感情を、ロキシーに抱いているんでしょう?」
「……だったらなんだって言うんだよ」
「応援するわ」
ふふ、とモニカは笑う。その笑みにさえ、ルーカスはゾッとした。
「あの子が好きなら、なんだってできるでしょう? これから先、あの子のために生きるのよルーカス。わたくしの言うことをよく聞くの。そうしたら、わたくし、あなたたち二人のこと、大切にしてあげるわ」
何を企んでいるんだ、この女。
だがその真意を問う前に、大きな声が聞こえてきた。
「ルーカス!」
こちらに駆け寄ってくる大好きなロキシーの姿。ルーカスもまた走り出した。
「ロキシー!」
たちまちルーカスは、温かな体に抱きしめられる。
「ずっと、会いたかったのよ! 何度もあなたを思ったんだから! 今もレットのお友達に、あなたを探してもらうようにお願いできないかって話してて――」
話しながら、ロキシーはわあわあと泣き出した。
「生きていたのね、無事だったんだ。ああやっぱり、死んだなんてお父様の勘違いだったんだわ!」
ルーカスもまた、涙が溢れた。
どんなにくそったれの世界でも耐えられたのは、ロキシーのことをいつだって考えていたからだ。
故郷は変わり果ててしまった。
奇妙な夢を見たんだ。
それに、オレは人を、殺した。
しかし伝えたい言葉は何一つ声にならずに、ただ名を呼ぶことしかできなかった。
「ロキシー、ロキシー……」
その体を必死に抱きしめ返しながら、ルーカスは決意した。
もう二度と、彼女を不幸な目に合わせたりするもんか。今度こそ、オレが絶対に、君を守るから――。