危機的状況の中で、わたしたちは休戦する
「なんだって!」
知らせを聞き、フィンの顔は青ざめた。
「どこでだ、いつ!」
モニカが誘拐され、一緒にいた使用人は銃で撃たれ重傷となったと、また別の使用人が血相を変えながら報告したのだ。
ひっ、とリーチェが小さく悲鳴を上げるのが聞こえた。
「ああくそ、俺のせいだ! もっと使用人を付けて行かせるべきだった。いや、つまらん意地を張らずに、俺が見送れば良かったんだ!」
フィンは激しく後悔した。そしてまた、別の不安が頭をよぎる。
モニカがなぜ誘拐されたのかは知らないが、それがもし彼女の家が関係しているのであれば、ロキシーの身にも良くないことが起こるのではないか。
そうとなったら、行動せずにはいられない。
「お兄様、どこへ!」
叫ぶリーチェにフィンも叫び返す。
「大佐には連絡したそうだ! 俺はファフニールの屋敷に! リーチェはここにいるんだ!」
フィンが屋敷を訪れたとき、想像を絶する光景に、思わず声を失った。
玄関の扉は開かれており、死体が四つ、転がっていたからだ。
平和な王都の、しかも金持ちの屋敷の入り口に、血みどろの体が発生している光景は、異常なものに映る。が、それらの体が全て大人のものであり、中にロキシーがいない事実に安堵した。
「フォードさん!」
フィンは死体の一つに駆け寄る。その顔を知っていた。大佐の部下で、優男風に見せかけたくせ者であるというのが、フィンの抱く印象だった。
よく見れば死にかけではあるものの、息はまだある。呼びかけに反応したらしく、まぶたが動き目を開けた。
「大丈夫ですか!」
「大丈夫なものか……」
動けないが、話せる元気はあるようだ。
「フィン、人を呼んでくれ。ロクサーナ様が」
「ロキシーの身に何かあったのですか!?」
「連れて行かれた……」
どこに、そして誰に連れて行かれたというのだ。だが問い詰める前に、止血を優先させる。重傷だ。まずは手当てをしなくてはならない。
「フォードさん、大佐にはもう連絡をしてあります、大丈夫ですよ」
この怪我人に、モニカの話はしないことにした。余計な心配ごとを抱えさせないために。
止血をされ、先ほどよりもレットは落ち着いてきた。
「まったく、不運続きだ」
「日頃の行いが良いせいでしょう」
多少の皮肉を込めてフィンは言うが、レットはまるで気にしない。
「ロクサーナ様を連れて行った奴は、『こっちの娘』がどうのと言っていた。双子のうち、どちらかに用があるんだ。単に大佐の娘だからではない、なら、どちらでもいいはずだろうから」
「なんでロキシーが……」
「ロクサーナ様を連れて行ったのは、おそらく……。手首に、墨が、見えた。そこで死んでる奴にも、ある」
「墨……?」
フィンは眉を顰め、遺体の手首を露出させる。その手首には小さく奇妙な入れ墨があった。
「反逆罪で投獄された人間に付けられる証だ」
「反逆罪ですって?」
「反乱軍ってことだよ」
反乱軍なんてものがこの国に存在していたとは。その事実にフィンは驚く。
「彼らが使っている場所はいつくか知っている。見当をつけて探すよ」
うめくようにレットは言う。
「その怪我では無理です。本当に死んでしまいますよ! 医者を呼びます、待っていてください」
「医者は不要だ。すぐにでも探そう」
そう言って壁に手を着きながら立ち上がる。
「だけど、あなたは怪我人じゃないですか」
止めようとするが、制された。
「見た目ほど重傷ではないよ。あのタイプの銃の威力はさほどないし、かすっただけだ。酒をくれ、それでいい」
レットはしっかりとした表情でフィンを見据えた。
その瞳の強さを見て気づく。
レット・フォードという人物は、見かけよりも遙かに、覚悟を決めた人間であるということに。
「フィンはここで大佐を待っていてくれ。遺体は不気味だろうが、しばしの我慢だ。
ロクサーナ様は、私にとっても大切な友人だ。早く安心させてあげなくては」
◇◆◇
はっと、ロキシーは目を覚ました。
冷たい床に転がされている。暴れたものだから昏倒させられたのだ。
後ろ手は縛られ、大声を出させないためか、口には布が巻かれている。
周囲を見渡す。窓が一つもない。暗い。冷たい石造り。地下か。
一見ワインの貯蔵庫のように見えるが、あるのはワイン樽ではなく、火の付いていない燭台だけだった。
他に何か、手がかりになるようなものがないか、薄暗い周囲を見回した所でロキシーは彼女に気が付いた。
(モニカ!)
妹は目をぴったりと閉じ、同じように縛られ横たわっていた。胸が上下しているから生きてはいる。彼女もまた、ロキシーと同様に誘拐されたらしい。
「んんー!」
ロキシーはモニカに気づかせようと、声を出す。するとモニカは目を開けた。気を失っていたわけでも、眠っていたわけでもないようだ。
冷めた目でロキシーを見つめる。
「叫んでも無駄よ」
静かな声でそう言った。彼女の口に結ばれていた布は緩かったらしく、外れている。
「周りに誰もいないみたい。扉にも鍵がかかってるし。
……こんな状況、初めてだわ。今までなかったのに、災難ね? きっと二人とも殺されるのよ」
こんな恐ろしい状況にもかかわらず、モニカはどこか他人事だ。自分の生死に興味が無いのか。
彼女のこんな態度を見たのは初めてだった。いつも猫を被っているか、馬鹿にしたようにロキシーを見ているだけだったから。
ロキシーは口を塞いでいる布をなんとかずらす。
「モニカ。わたし、ナイフを持ってるわ」
横たわるモニカに向かい、這うように近づいていく。モニカは訝しげに眉を寄せた。
「何ですって?」
「持ち歩いてるの。小型の折りたたみナイフを、首から鎖で下げて」
「……いつもそれを持っているわけ?」
「ええ、ベアトリクスお母様の教えでね。身を守る武器を、いつも身につけていなさいって」
「ふうん。あなたのお母様って、変わっているのね」
狭い空間に、ただ二人しかいないせいか、モニカはいつもよりロキシーと話す気になっているようだ。ロキシーにしても、いつものモニカとは違って普通に会話ができることにどこか感動していた。
話しながら、ロキシーはついにモニカの前までたどり着く。
「ナイフで縄を切って、協力して逃げるの。自分では取り出せないから、あなたが取り出して」
モニカは一瞬、考え込んだようだった。ロキシーの真意を探るように、瞳をじっと覗き込まれる。だがそこに、疑惑がないと判断したのか、頷いた。
「……いいわ、一時休戦ね。ちょっと待って」
二人の間のわだかまりが無くなったのでは決してない。断じてそうではないが、それでもこの緊急事態に二人の思いは同じだった。
生き延びること。だから手を取り合った。