狂った運命の中で、彼女は孤立していく
モニカは、ドアの隙間から、こっそり部屋の中の様子を伺った。
レットを見守りながらロキシーも寝入ってしまったらしい。椅子に腰掛けながら半身をベッドに伏せている。レットも寝息を立てていた。窓から差す柔らかな日差しが二人を包む。
あまりにも完成された完璧な空間に、看病をするはずの使用人すら入るのを躊躇している。
昨晩二人の間に何があったのか知らないが、流れる空気が以前とは変化していた。モニカにとって歓迎すべき事ではない。
焦っていた。
ロキシーとレット。
二人は、いつだってそうだ。ロキシーはレットに恋をする。この狂った世界では必ずそうなるのだ。
それに、レットの方も絆されつつあるようだ。今まで無かった傾向だ。このままだとまずい。
ロクサーナを世界を破滅へと導く偽物の女王に、させるわけにはいかない。
ロキシーがレットに固執する前に、彼を奪ってしまおうか。だが、彼に近づき過ぎるのは危険だ。他の手があるのならそちらを優先するべきだ。
今は、フィンとリーチェの兄妹を駒として持っておくのが精一杯か。それと――。
(もう一人、いるわ)
ルーカス・ブラットレイ。
やがて赤毛の騎士との異名を持つ彼に早いところ近づいておこう。彼は将来、強力な味方になるのだから。
だが今はどういう訳かルーカスとロキシーが姉弟になってしまっている。こんな展開いまだかつて、ない。今回は変だ。何もかも、奇妙だ。
取り返さなくては。味方を増やして、なんとしてもあの女を追い出さなくては。
必ず勝利を収めるんだ。もうこんな人生嫌だ。いつまで続くとも知れない煉獄の中で、永遠の苦しみを味わうなんて。
(一体、わたくしがなんの罪を犯したというの?)
なぜこんな罰を受けているのか。
幾度抱いた疑問だろうか。
答えはない。
誰もモニカを助けることはできない。
だから、自分が戦うしかない。
味方を増やすのは簡単だ。だって、周囲の人間の性格なんて知り尽くしている。どう言えばどう反応するか、火を見るよりも明らかだった。
今のところの最も使える駒は、フィンだ。ロキシーが本格的に狂い始める前に、彼を更に引き込んでおこう。
彼を操るのは簡単だ。いつだってモニカに恋をする男なのだから。
オースティン家の屋敷に着くとフィンはすぐに現れた。後ろに彼の妹を伴って。
「モニカ……」
困惑の表情を浮かべるフィンに、モニカの胸に不安が差した。
昨日まで、まるで騎士のようにモニカを護っていたというのに、今になってその顔に浮かぶのは拒絶だ。
リーチェを見ると、びくりとされる。そうか、彼女が真実を話したのか。あれだけ脅したのに。
「フィン、また相談に乗ってほしいの。ロキシーが、怖くて……」
大抵の男が落ちる、懇願の表情を浮かべる。
だが、フィンはゆっくりと首を横に振っただけだ。
「……俺は、君を信用することができない。俺が今、話さなくてはならないのはロキシーであって、モニカ、君じゃないんだ」
静かな、しかし有無を言わせない口調だった。
「ひどいわ……どうしてそんなことを言うの? わたくしは、ただ……」
モニカは目を赤くし、実際に涙を流した。フィンはぎょっとしたような表情を浮かべる。
「モ、モニカ」
もう一押しだ。あと少しで、優しいフィンは折れる。
だが、
「お兄様」
リーチェがフィンの服を掴む。フィンははっとしたように妹を振り返り、頷くと、再びモニカに向き直る。
「……悪いが帰ってくれ。俺も今、あまり冷静じゃないんだ。頭が冷えたら、ゆっくり話そう」
しばしの沈黙があった。フィンが同情したとしても、リーチェは頑なだ。これ以上食い下がると、より頑固になっていくだけだろう。
「また、来るわ……」
そう言って、引いた。
まだチャンスはあるはずだ。せっかく、今回は、こんなに早く記憶を取り戻すことができたんだから。
オースティン家の使用人に伴われ、来た道を引き返す。
フィンの突然の心変わりの理由は、リーチェだろう。臆病な彼女が本当のことを言ったのだ。モニカが彼女を脅していたと。
(ロキシーのせいね)
あの女が、リーチェに勇気を与えた。
(分かってない、誰も)
その光は誘蛾灯だ。
美しくゆらめき、近づいた者を焼き尽くす。羽虫の体を燃料にして、炎は成長し続けるのだ。やがて世界を焼き尽くすまで――。
(わたくしがしていることは、皆を守ることに繋がっているのに!)
モニカは焦っていた。
思考に没頭していた。
だから、気が付かなかった。その、気配に。
バン、と聞こえたそれが銃声だと分かったのは、使用人が血を流し、地面に倒れてからだった。
「――っ!」
何が起きたのか正確に把握もできず、叫ぶ間もなく、頭に布袋を被せられる。
視界が真っ白になり、ああまた死ぬのか、と思った次の瞬間には意識は遠のいた。