彼と、わたしは少し近づく
レットが大きな音を立ててくしゃみをする。
手には宿の主人から貰ったらしい紅茶の入った端の欠けたカップを持っていたが、それでは温まらないらしい。
蝋燭は既に消え、彼の輪郭がぼんやりと見えるだけだった。
寝たふりを続けようと思ったロキシーだが、彼を雨に濡らしたのは自分だ。流石に可哀想になり声をかけた。
「ねえ、ベッドで寝てもいいわよ?」
起きているとは思っていなかったのか、ほんのわずかな間があった。
「……ロクサーナ様をソファーで寝かせるわけには」
「わたしだってベッドで寝るわよ! 一緒に寝ればいいじゃない」
このベッドは幸い大人二人くらい寝ても十分な広さだ。
「それは……どういう、意味で……」
彼にしては珍しく、顔を引きつらせている。だがすぐに「いやいや」と首を横に振った。
「大佐に殺されます」
「どうしてベッドで寝るとお父様があなたを殺すの?」
「つまり……」レットは言いよどむ。「ロクサーナ様がまだ何も知らない子供だからですよ」
また子供扱いして! とロキシーは腹が立った。
「あなたは二十歳だっけ?」
「正確に言うと、今日で二十歳です」
「え!? 今日が誕生日だったの!?」
一年で一番大切なその日が、上司の娘の世話焼きで終わるなんて、なんと哀れなんだろう。
「ごめんなさい。知らなかったの。恋人や家族と一緒にいる日なのに」
「どちらもいませんからね。こんな素敵なお嬢さんと一緒でむしろ嬉しいですよ」
彼がまたくしゃみをしたので、手を引いて布団の中に入れてやる。ぎこちないながらも、抵抗することなく隣に横になった。
「お母様とルーカスともよくこうして一緒に寝たわ」
「仲がよろしかったのですね」
「うん、すごく」
答えながらレットの方を向くと、彼もこちらに体を向けていて、思った以上に顔が近く、ロキシーはたまらず目をそらした。さっき大胆にも抱きついたのに、その度胸はいまどこかへ隠れてしまっている。
「……先ほどはすみませんでした。ロクサーナ様のお気持ちを無視して怒鳴ってしまいました」
「いいのよ、あなたの言うとおり、わたしが子供だったんだわ」
「弟さんを愛しているんですね」
「うん。何よりも大切な人よ」
だからもしルーカスが死んでいたら。
そうしたら、ルーカスのいない世界でロキシーだけが生きていることは不思議だと思う。
「……ルーカスが死んでいたら、わたしの生きる意味はないわ」
「ルーカス君はあなたの生きる楔なんですね」
「くさび?」
耳慣れない言葉を思わず聞き返す。
「この世に留まらせる、支えのようなものですよ」
そうかもしれない、と思った。ルーカスはロキシーにとって拠り所そのものだったから。
「お母様の遺言は、自分以外誰も信じるなってことだったんだけど、ルーカスだけは、違うわ。この世界で唯一、何があっても、信じてる」
「素敵なお姉さんで、ルーカス君も嬉しいでしょう」
ロキシーは素直に頷く。
弟との間にある絆を疑ったことはない。ロキシーがルーカスを大切に思っているように、ルーカスもロキシーをそう思ってくれている。
レットは目を細めた。それがどこか懐かしげで、されど悲しげで、目が離せなかった。
「妹とも、よくこうして並んで眠りました」
「妹さんがいるの?」――それも知らなかった。
だが彼は首を横に振る。
「もういません。死にました」
思いがけず深い傷に触れてしまう。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ――」
今日は彼にひどい仕打ちをし続けている。悲しかったし、いたたまれなかった。