表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
137/137

後編 嘆き悔い報われた、彼の話

レットの話です。

後半は、レットとロキシーが二人で暮らしていた頃の話です。

 露天で売っていた安物の指輪をレットが見かけたのは、女王ロクサーナの婚約者だった頃の話だ。軍部に顔を出し城に戻る道中でのことだった。


「あんた、不幸になるよ」


 突如としてそう声を掛けてきたのは道端で物を売る露天商で、普段なら無視するところを、なぜだか立ち止まってしまった。商売の機会を得たとでも思ったのか、露天商は畳み掛ける。


「兄さん、暗黒の相が出ている。ここに売っているのは魔除けやまじないの品だ。どれでも買っていくといい、破格にしておくから。これなどどうだい? 願いを叶える指輪だよ。純金だ」


 どう見ても金メッキのそれを純金と言ってのける商魂には敬服するが、買うつもりなどさらさらない。


「あいにく、私は幸せですから」


 そう言って、立ち去った。



 

 ロクサーナの顔色は、このところ良くはない。夕食後にレットが持ち寄った酒と薬を暗い瞳で見つめていた。


「その薬は良くないって、モニカが言うわ」


 一瞬だけ驚いたが、モニカが彼女に会うはずがない。麻薬の見せた幻だろう。


「モニカはもう、随分とあなたに会っていませんよ」

 

「会ったわ。いつだって会うのよ、わたしたち、姉妹だもの」


「共に育っただけで、血の繋がりはありませんよ。さあ、飲んでください。気分が良くなりますよ」


 陰鬱とした空気が彼女に付き纏っていた。

 忠告を告げる幻影が、モニカであるとはなんという皮肉だろう。彼女は真実の女王として、反乱軍に掲げられている。

 既にレットはロクサーナを処刑させ、モニカを女王に即位させる算段をつけていた。


(この娘も潮時だ。中々使える娘だったが、美貌も心も、見る影もない)


 ロクサーナとモニカがレットに好意を抱いていることは知っていた。モニカとロクサーナの、どちらかが王女であるということも、レットは知っていた。

 モニカよりもロクサーナの方が、扱いやすかった。だから彼女を選んだのだ。

 モニカが彼女を憎んでいると囁き、味方はレットだけだと信じさせることに成功した。そうして彼女もモニカを憎み、姉妹の絆は破壊された。


「どうしてあの子はわたしに会いに来ないのよ! モニカ! わたしがこんなに苦しんでいるのに!」


「あなたを嫌っていますから、会いに来ませんよ。ロクサーナ様、あなたの味方は私だけです」


 会わせるわけにはいかなかった。会えばたちまち、姉妹は和解してしまうだろう。この王国を維持するためには、偽の女王ロクサーナは残虐無慈悲で孤独でなくてはならなかった。


「子供の頃は、本当に仲が良かったのよ。どうして別人に生まれてきたのか分からないくらい、あの子はわたし自身だった」


 彼女は目を伏せた。病んでいてもなお、その瞳を覆う濡羽色の睫毛は見事だ。こんな運命の中でなければ、普通以上の幸福を手に入れたであろう美貌だった。ぽつり、と彼女は言う。


「皆、わたしを嫌っているわ」


 彼女の悪評は、彼女の耳には入れないようにしていたが、いずこからか入ったのだろう。レットは黙って彼女を見ていた。


「ねえレット。あなたは、わたしを愛している?」


「ええ、もちろんですよ」


「じゃあ、証が欲しいわ。なんでもいいから、信じさせて」


 そう言って、彼女は酒を煽った。




 頭に浮かんだのは、先日の露天のことだった。

 後日ふらりと立ち寄ると、その指輪はまだそこにある。質にしては高い値を払い、包み紙もない剥き出しのまま、ロクサーナに渡した。


「願いが叶う指輪です。純金だそうですよ」


 指輪は男物だった。彼女の細い指の、どれにも馴染まない。

 しばしの間、ロクサーナは指輪を凝視していた。子供じみたまじないを、信じているわけではないだろう。純金ではないことも、分かりきっていることだった。


「ありがとう。毎日願いを込めるわ」


 静かに彼女はそう言うと、このところ見せなかった明確な意思の宿る瞳で、レットを見つめる。


「ねえレット。あなたは幸せなの?」


 その時、なんと答えたのか、レットは覚えていなかった。



 ロクサーナはその指輪を、自室の机の一番上の引き出しに入れていた。彼女の死後、レットはそれを、自分でも分からぬ理由故に身につけた。

 指輪はモニカに手渡され、そうして彼女もまた死んだ。

 モニカの遺体に固く握られていたこの指輪を、レットは再び手に入れた。だが以前のように指に通すことはない。



 そんなことを、死の間際になって思い出した。

 牢の中では、様々思いを巡らせた。どこで間違ったのか、何がいけなかったのか。

 だが処刑台に固定され、死の迫る今にあって思うのは、たった一人のことだけだった。


(ロクサーナ……)


 幼い彼女の屈託のない笑みを思い出す。好意を告げた時の驚いた表情を思い出す。口づけをした時の、揺れる瞳を思い出す。妹に会いたいと嘆いた悲しい顔を思い出す。処刑の際の、憎悪と無念の眼差しを、思い出す。

 レットの心は空洞だった。大切なものは、随分前に失ったのだと、ようやく思い至る。過去の亡霊に囚われて、衝動のまま、愛する人を、手にかけた。愚かな男だ。馬鹿な男だ。


 処刑の執行を宣言するフィン・オースティンの声が空に吸い込まれていく。

 正常な思考は既に失われていたのかもしれない。ロクサーナの、幸せそうな笑い声だけが、呪いのように反芻される。だが幸せな、呪いだった。

 レット気づけば願っていた。


(もう一度やり直せるのなら、今度こそ――)


 首から下げていた鎖が、刃に当たり切れた。指輪が、ルーカス・ブラッドレイの足元に転がる。彼はそれを拾い上げ、遥か先へと放り投げ、民衆の狭間に消えていく。


 かくして願いは遂げられる。



 ◇◆◇



「――ねえ、ねえってば、レット?」


 はっと、レットは我に返った。すぐ隣でロキシーが、心配そうに見上げている。


「大丈夫?」


「ええ、大丈夫ですよ。……なんの話でしたっけ」


 もう、とロキシーは少し怒ったようだ。その表情さえ可愛らしいとレットは思う。 


「だから、もういただけないって言ったの。ドレスも帽子も靴も、部屋に使い切れないほどあるんだもの。もらってばかりで、何も返せないもの」


「すでに十分すぎるほど、あなたからもらっています」


「何かあげたかしら?」


 計り知れないほどもらっていた。ロキシーは、レットが見つめていた先を見る。 


「何を見ていたの? 露天商?」

 

 二人で大通りを歩いている時に、ふと目に入ったその宝飾店で、何かを彼女に贈ろうと思い申し出た矢先のことだった。宝飾店の真ん前に陣取るように、厚かましくその露天が出ていたのだ。


「兄さん、嬢ちゃん。あんた方、暗黒の相が出ている。不幸になるよ。この願いを叶える指輪などどうだい」


「願いが叶うの?」


 興味を惹かれたのかロキシーは露天に近づき、不思議そうに首を傾げた。


「わたし、これを見たことがある気がするわ。どこだっけ……モニカと遊んだときかしら」


 ぞっとして、レットは尋ねる。


「ロキシー様、以前の記憶をどこまで思い出しているのですか?」


 瞬間、ロキシーの顔は曇った。

 

「途切れ、途切れ……全部じゃなくって……わたし、皆に酷いことを、して。あなたにも……。でも、死ぬ前のことは、あんまり覚えていなくって……」


 ――良かった、とレットは思った。

 露天で買った粗悪品を彼女に渡すなど、以前の自分は一体何を考えていたのだろうか? それを彼女が知らなくて、良かった。


 同時に嫌悪が襲う。良かったなど、なんと自分勝手な感情だ。レットの仕打ちを、忘れていることが嬉しいなどと。

 だがこれ以上、彼女に失望されたくはない。この先、彼女の信頼は裏切ることになろうとも、今はまだ、隣を歩く幸福を、失いたくはなかった。


 恐らくはレットの方がより強く、過去の世界を覚えている。思い出も愛情も、深い、後悔も。

 思うに、モニカの過ごした無限の世界は、ロクサーナを巻き込んだ彼女の心の投影で、真実存在しているのは、初めの世界と、そうしてこの、最後の世界だけなのではないのだろうか。


 彼女の艷のある黒髪の一房に触れ口付けをすると、驚いたように彼女は目を見張る。


「私も似たようなものです。断片的にしか、覚えていません」


 嘘だったが、そう言った。

 まだ指輪を気にするロキシーの肩を抱き、首を横に振ってみせる。


「指輪など必要ありませんよ。あなたの願いは、私が全て叶えますから」


 冗談のつもりはなかったが、そう受け取ったのか彼女は少し笑った。


「代わりに花は? お好きでしょう?」


「ええ、好きよ。でも、先週も花束をくれたわ――」


「あげたいんです。一本だけでもだめですか?」


 なおも食い下がると、困ったように彼女は眉を下げる。


「そう……そうね一本なら。でも代わりに今度、何かお礼をするわ」


「ではまた、一緒に買い物に付き合ってください。カーテンでも新調しようかと思っているところだったので」


 でまかせだったが、彼女の心は晴れたらしく、ほっとしたように頷いた。


 露天の前を立ち去り、花売りから一番美しい薔薇を買い、彼女に渡すと、はにかむように笑った。その笑みから、目が離せなかった。彼女という存在を、余す所なく隅々までこの目と心に焼き付けておきたい。


 恐るべき娘だ。生きるべき娘だ。美しい娘だ。

 もう二度と、彼女を失うわけにはいかない。この命に代えてでも、抗えない時代のうねりの中から彼女を守り、生かすのだ。彼女の生きる礎になって死ぬことができるのなら、なんと幸福なことだろう。

 近くレットはロクサーナの側を離れ、モニカの元へと行き、そうして王ごと心中するつもりだ。

 己の死を恐れてはいなかった。

 この美しい娘が、レットの死を悼み、そうして時折思いを馳せてくれるのならば、それこそが、己の生きた意味に代わるのだ。彼女の心の痛みとともに、彼女の死まで生き続けることができるのなら、腐敗した己の魂も、果てでは報われることだろう。

 これから先の長い生の中で、彼女が笑い、彼女が歌い、彼女が踊り、彼女が幸福に辿り着く。それこそが、彼女への償いになる。それこそが――……。


(それこそが、この俺が生きた理由だ)

 

 だがその時までせめて、ただただひたすら、彼女に尽くして生きていきたい。

 

「ありがとう。すごく綺麗。いい匂い」


 薔薇の匂いをかぎながら、そう言って彼女は笑う。


「よくお似合いですよ」

 

 微笑みかけると、彼女はほのかに頬を赤く染めた。


 ――ねえレット。あなたは幸せ?


 彼女がいつか囁いた言葉が、亡霊のように耳に響いた。

 過去の幻想に、心の中で返事をする。


(ああ、幸せだよ、ロクサーナ。本当に、幸せだ)

 

 心の底から、そう思った。

 彼女はあの指輪に、どんな願いを吹き込んだのだろうか。その願いは、この世界で叶えられたのだろうか。遂にそれは、分からない。


 ロキシーの手を取ると、微かに彼女も握り返した。そのまま二人、何も言わずに帰路につく。

 夕闇が街を包む中、得も言われぬ最上の幸福を、レットは感じ続けていた。



〈おしまい〉






番外編終わりです!

断頭台のロクサーナで一番書きたかったのが姉妹の愛憎だったので、恋愛的帰着は結構適当というか、あまり考えていなかったため、ラストにめちゃくちゃ迷う羽目になり、二つの終わり方を書いてしまいました。

作者は強めのルーカス派なのですが、この物語全体の締めとしてはどちらかというと……うーん。などと、まだ迷っています。でも両方の終わり方はどちらも好きなので、このままにしておこうかなと思います。

ではでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ