同じ少女を、わたしは助ける
数日間雨が降り、そして止んだ。
関係の壊滅は明らかだった。
モニカはロキシーの前にまるきり姿を見せなくなった。外出するときはフィンを呼び出し、彼に伴われ外に出る。
フィンはロキシーから隠れこそしなかったものの、顔を合わせると敵意のこもったまなざしで睨み付けてくる。もちろん会話などあるはずもなかった。
「ロクサーナ」
朝食中、父に名を呼ばれ顔を上げる。
だが父は口を開きかけ、ロキシーの瞳を数秒見つめた後で、
「……いや、やはり今は止めよう。帰ってきたら話がある。家にいなさい」
疑問に思いつつも、はい、と返事をした。
もしかしたら、遂に追い出されるのかしら、などとも思った。
ロキシーは孤立を深めていった。それでも父オリバーはロキシーに出て行けとは決して言ってはこなかった。
父に告げ口しても無駄だと分かったのか、あのくだらない被害者ぶる事件をモニカが起こさないだけでもましだった。
唯一の救いはルーカスからの手紙だった。弟から届くそれはロキシーにとっての支えだった。だが、もう二週間も返事が来ない。
(きっと農場が忙しいんだわ)
そう自分に言い聞かせて見るが、一方で恐ろしい予感がしていた。
女王ロクサーナを憎しみを持って見つめる、あのルーカスの瞳。
もし、ルーカスもロキシーのことが嫌いになってしまったら?
そうしたら、やはり処刑台送りにするのだろうか。たとえ今のロキシーに女王になる気がなくとも。
嫌だ、とロキシーは思う。たった一人、世界で一番信頼するルーカスに、あんな瞳で見られるなんて。
モニカに憎まれても屈しない心は、ルーカスに憎まれると考えただけで容易く砕けそうになる。
返事はなかったが、またロキシーが手紙を書いた。使用人に頼めば事は済むが、それでも街に自分で出るのはモニカと二人の家にいたくなかったという事情もある。
窓口で手紙を郵便局員へと渡すと、宛名を見て眉を顰められる。
書き間違いでもしたのだろうか。
「どうかされましたか?」
疑問を口にすると、局員はチラリとロキシーに目を向け、それから言いにくそうに答えられる。
「お嬢さん、何も知らないのかい?」
「何もって、何を?」
「今この地方への郵便は時間がかかるよ」
「どうして?」
その局員は疑問には答えずに、代わりにこう聞いてきた。
「届け先は友達かい?」
「いいえ弟よ。事情があって離れて暮らしているの」
局員の瞳がロキシー気遣わしげに見るが、最後には「そうかい」と頷いただけだった。
「じゃあ、預かるだけ預かっておくよ」
なぜ時間がかかるのか、謎は残ったままだったが後ろもつかえていたので「よろしくお願いします」とのみ伝え窓口を離れた。
怒号が聞こえてきたのは郵便局を出た丁度その時だった。
「金持ちだからって馬鹿にしやがって!」
驚いてそちらに目をやると、酔っ払った軍服姿の男が、自身より遙かに背の低い人物にしきりに絡んでいた。
「てめえの肩が、おれに当たったんだ!」
「ご、ごめんなさい……!」
絡まれている人物の顔はロキシーの場所からはよく見えないが、どうやら少女のようだった。着ている服を見るに、裕福そうではある。が、かわいそうに震え上がっていた。
道行く人は、まるでそれが見えていないかのように無関心だ。
(都会の人って、なんて冷たいのかしら!)
母ベアトリクスはいつも言っていた。――困っている人がいたら手を差し伸べなさい、と。だからロキシーがその二人に近づき、男にこう言ったのは当然のことだった。
「止めなさい! 少女を怒鳴りつけるなんて、恥ずかしいとは思わないの?」
二人の間に割って入るようにしてそう叫んだ。
「なんだ貴様? この娘のお仲間か?」
「ただの通りすがりよ」
「関係のない奴はすっこんでろ! これはおれとこのガキの問題だ」
男はすごむが、ロキシーはひるむことなく言った。
「あなた兵隊? 名はなんというの?」
「なぜ貴様に名乗らなければならんのだ」
「わたしの父はオリバー・ファフニール大佐よ」
その名を言った瞬間、男の顔色が変わるのが分かった。勝機を見いだし、たたみ掛けるように言う。
「もし彼女が悪いのなら、怒鳴りつけずにしかるべき話し合いをすべきよ。大声を出されたら、怖くて言いたいことも言えないもの。名を教えてくれたら、父に言って、必要な対処をとってもらうわ。
だけど……もしあなたが悪いなら、分かってるわね? それなりの事になるから」
父の権威を振りかざすなど褒められる行為ではなかったが、自分よりも遙かに力の強いこの男に勝つためにはいたしかたない。
男は血走った目でロキシーを見つめ、その顔に怒りを滲ませたが、一切目を逸らすことのないロキシーにやがては諦めたらしい。舌打ちをすると去って行った。
「ひと言ぐらい謝りなさいよ!」
その背に叫んだ後、今度は自分の背後から酷く遠慮気味の声が聞こえた。
「あ、ありがとうございます。ロクサーナ様」
名を呼ばれて驚いて振り返る。
男に言いがかりを付けられていた少女を改めて見ると、確かに会ったことがある。
ぽろぽろと涙を流すその栗色の瞳は、あの時の――。
「あなた、確か……」
「リーチェ! どうした!? 大丈夫か」
聞こえた声に、内心うんざりしながらそちらを見た。なんでここに。ああ、またお出かけか。
「お前、ロキシー! リーチェに何したんだ!?」
「フィン……」
それにモニカもいた。
フィンの腕に貼り付くように手を回し、日傘まで差して貰いながら、わざとらしく目を見開いている。
「ロキシー、リーチェさんにまで何かを言ったの? わたくしにいつも言うようなことを……」
「わたしが何をいつモニカに言ったって言うのよ」
やられっぱなしなのはロキシーの方なのに。
少女、そう、確かリーチェという名前だった。お茶会でモニカに紅茶を引っかけた少女だ。
そのリーチェはまだ恐怖が抜けないのか涙を流している。この場面だけ見ればロキシーがリーチェをいじめているように思えるのだろう、フィンは怒りの形相を隠すことなく浮かべていた。
リーチェが泣きながらフィンに目を向ける。
「お兄様……」
(お兄様って?)
ロキシーは驚いてフィンとリーチェを見た。確かに、瞳の色や顔立ちは似ている。
フィンに妹がいたとは知らなかった。幼い頃も、遊んだ記憶はない。
「リーチェ。ロキシーに何かされたのか?」
「い、いいえ! ロクサーナ様は……」
「フィン。ロキシーの前じゃ怖くて言えないんじゃないかしら?」
何事かを言いかけたリーチェをモニカが遮る。
「ねえ? そうでしょう? リーチェさん」
「あ、あたしは……」
「わたしはその子を助けたのよ」
リーチェはおろおろとロキシーを見て、モニカを見て、それからフィンを見た。
言葉を発したのはフィンだった。
「そんなわけないだろう、いい加減にしろ! 今すぐ目の前から消えろロキシー!」
別に、信じて貰わなくてもいい。それでも静かな失望が広がっていった。この街に、味方なんていない。分かりきってたことなのに。
言われなくても、モニカとフィンの前にこれ以上いたくない。くるり、ときびすを返すとその場を後にした。