最終話 悪役令息、拾いました
真っ白な光の中で、ずっと誰かの声が聞こえていた。
時には声が増えたり、居なくなったりもしたけど、ずっとその存在を感じることは出来た。
起きなきゃと思うのに身体を起こそうとしても動けない。
意識だけが存在して身体が機能していない、そんな感覚。
自分は、どうなったんだったか。
確かとてつもない何かと斬り合って、負けて、無我夢中で、勝って、
それで──どうしたんだろう。
大切なものがある。それはずっと聞こえる声と無関係ではなかった。
光だ。それは光であり声であり自分の中のすべてだった。
この光の為ならなんだって出来た。これが欠けたら自分が自分じゃなくなるほどの。
──ねぇ、起きて。
(……聞こえる)
──起きてよ。起きなさいよ。いつまで寝てるつもり。
(懐かしい声……いつも……聞いてた声)
──ジャック!
呼んでる。
(行かなきゃ)
急き立てられるような衝動。
水の底に沈んでいた意識が一気に覚醒し、真っ白な光の中に浮上する──
「……ぁ」
瞼を震わせる。息を吸う。つんとした薬品の匂い。
全身の節々が痛んだ。まるで戦場で気絶から目覚めたときのような。
見知らぬ天井だった。
装飾が凝らされた板張りの天井は貴族屋敷によく見られるそれ。
どうやら寝かせられているらしいが、ここがどこなのかまるで分からなかった。
「生き、てる?」
「──ジャック?」
黒髪の女が顔を覗き込んでくる。
目元に隈を作った緋色の輝き──それは彼の運命そのものだった。
「ラピス……?」
ぱああぁああ、とラピスの顔が輝いた。
「ジャ……!」と腰を浮かし、ハッ、と我に返ったように口を閉じる。
口を開いて、閉じて、それを繰り返して、瞳に涙を浮かべた彼女は目を逸らした。
「お、遅い」
「ぁ?」
「遅いのよ! この私をどれだけ待たせるつもり?」
「……」
「本当に、死んだかと思って……」
声が震えている。
泣くのを我慢しているのか、瞼が痙攣していた。
普段の強気な態度が消えたラピスにジャックはおろおろと戸惑ってしまう。
「て、テメー、なんて顔してんだ馬鹿。おい、誰に泣かされた?」
「お前に決まってるでしょこの馬鹿!」
「俺……? いや、なんでテメーが俺のために泣くんだよ……」
「ぁ」
ラピスは「ぁ」とか「ぅ」とか言葉にならない言葉を呟いて目を彷徨わせる。
じっと見つめていると、彼女の顔が下から上にだんだん赤くなっていく。
「わ、私は」
「んだよ。いつもみたいに言いたいことはハッキリ言えよ」
「~~~~~~っ、この馬鹿、人の気も知らずに……!」
ラピスは拳を握り、ビシっ、とジャックを指差した。
「大体、お前が一人突っ走ったのが悪いんでしょ!? なによ、一人で全部片をつけるとかカッコつけてるつもり!? そんなことで私はきゅんとしたりしないし、かっこいいとも思わないし、男らしいと思ったりもしてないんだから!」
「あぁ、そうかよ」
「えぇそうよ、次からは絶対に、私に相談すること。分かった?」
「……次」
ジャックは目を見開いた。
ラピスと喧嘩別れした時、もう二度と会わないと思った。
もうあの場所を手放したと思っていたし、ラピスにも完全に嫌われたと思っていた。
「戻っても、いいのか?」
「お前が一人で突っ走ったことを謝るならね」
ジャックは自分がやったことを後悔してはいない。
あの時、あの瞬間、確かにそれがいいと思って行動したのだ。
けれど自分の行動がラピスを泣かせていることを知って、思うところがないわけがない。
「…………悪かったよ」
ジャックが頭を下げると、ラピスは傲然と腕を組んで言った。
「やだ。許さない」
「……」
「絶対、許さないから……」
顔をあげると、声を震わせたラピスの瞳に涙が溜まっていた。
緋色の双眸がジャックの顔を捉え、突然、抱きしめられた。
「んぐ……お、オイ!」
「うるさい。こっち見たら許さないわよ」
「だからって」
胸に頭を挟まれて健全な男子は黙っていられない。
慌てて抗議しようとすると、頭に温かいものが落ちた。
髪の毛を湿らせたそれにジャックは目を見開く。
「……ラピス」
「よかった……」
ぎゅうう、とラピスはジャックの身体を抱きしめる。
もう離してなるなるものかと、その手から伝わってくる。
「生きててよかった……起きてよかった……本当に……」
「……」
「お前は絶級の馬鹿よ。世界で一番馬鹿。大陸一の馬鹿。世界で一番の大馬鹿よ」
「……馬鹿馬鹿言い過ぎだろ。馬鹿って言ったほうが馬鹿だぞ」
「その発言が既に馬鹿なのよ」
──いいのだろうか。
──抱きしめても、いいのだろうか。
おそるおそる背中に手を回すと、ラピスも応えてくれる。
「見ちゃだめだからね……」
「……うん」
「絶対こっち見ないで。ぐす。見たら毒を飲ませるから」
「今度はどんな毒だよ」
「二度と私から離れられない毒」
「あぁ、そりゃ……悪くねぇかもな」
「…………ほんと馬鹿」
拭っても拭っても零れる涙を拭きながらラピスは嗚咽をこぼす。
やがて声をあげて泣き始めた。
やがてラピスの泣き声を聞いた家族がやってきても──
薬屋で働くサシャたちがやってきて抱き着いても──子供のように泣き続けた。
涙が枯れるまで、ずっと。
◆◇◆◇
──二日後。
心地よい日差しが降り注ぎ、朝の風がカーテンを揺らしている。
慣れ親しんだ薬屋のベッドは狼の敷布団のおかげで暖かい。
無限の睡魔に襲われた私は遠慮なくその温もりを甘受していた。
していた、のだけど──
「おい起きろ! いつまで寝てんだ!」
早起きの悪魔がかんかんとフライパンを鳴らして私を叩き起こす。
さすがにうるさすぎて目を覚ましちゃうけど、身体を起こす気にはなれなかった。
「まだ寝たい……あと五時間……」
「長ぇよ! 昼飯終わっちまうだろ!」
「あと一時間……」
「長ぇ……くもねぇか。いやなげぇだろ。朝飯出来てんだよ、早く起きろ!」
「うーん……」
くぁあ、と欠伸をすると、無理やり布団を剥がされた。
私の天国が……仕方なく薄眼を開けると、ジャックが目の前に立っていた。
「早く起きろ、馬鹿。サシャとリリが待ってんぞ」
「うぅううん……ん」
両手を広げると、ジャックは「ったく」と悪態をつきながら起こしてくれる。
完全に目が覚めた私は身体を伸ばして、ふ、とひと息。
「おはよ」
「あぁ。おはようさん。ずいぶん遅い目覚めだな」
「朝は寝ていたいタイプなの」
「そうかい。じゃあさっさと起きることだな」
サ、とカーテンを開いて日差しを完全に取り込むジャック。
ベッドまで明るくなって二度寝の機会が完全に奪われてしまった。
精悍な後ろ姿をじっと見ていると、ジャックが振り返って眉を顰めた。
「どした。着替えねぇのか」
「お前が出て行ってから着替えるわ」
「は? いやいつも着替えてたじゃねぇか。どした急に」
その一言で、かぁああ、と顔が熱くなった。私は咄嗟に枕を投げ飛ばす。
「う、うるさい! 馬鹿! 変態! 覗き魔! あっち行きなさい!」
「んだよ……意味わかんね。ほんっとテメェは変わらねぇな……ん?」
ジャックは私に近付いて、
「どした。顔赤いけど。熱でもあんのか」
「ひゃ!」
ごつごつとした冷たい手が額に触れる。
蒼天色の瞳が閉じられ、鼻先が触れそうな距離にジャックの顔があった。
「やっぱ熱いな。体調悪いのか?」
「ち、ちが……違うわよ! いいから早くあっち行って! お前のせいなんだから!」
「俺のせい?」
「なんでそういうところは鈍いのよこの馬鹿! ほんと馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!」
「馬鹿以外の語彙失くしたのかよ……まぁいいけど。じゃ、早く来いよな」
「ぁ」
ジャックが離れて、扉が閉められた。
静かになった部屋が妙に寂しい。
さっきまで触れられていた額はまだ熱を持っていて、思わず額に触れた。
(近かった……キスしちゃうところだった……)
心臓がうるさい。
頭がゆだってどうにかなってしまいそう。
ごくりと唾を呑んで、私は大きなため息を吐いた。
「初心すぎるでしょ、私……ほんと馬鹿……」
食事後、一階ではサシャとリリが店の準備をして待っていた。
「ラピス様! おはようございます!」
「おはよーございます、だぜ!」
「えぇ、おはよう。二人とも」
ジャックを完治してから戻って来たけど、この三週間で二人ともすごくたくましくなった。
サシャは薬師見習いの資格を取ったし、リリは無邪気な性格から店の看板娘同然の扱いだ。
客たちも、年若い二人の娘を目的に買いに来ている節がある。
「ラピス様、今日はあれとこれと、それが足らないです」
「了解。補充しておくわ」
「今日は店に出られるんですか?」
「んー。悪いけど、薬を補充したら出かけなきゃ。また任せていい? お兄様に護衛はつけてもらうから安心して」
「はい、もちろん構いませんけど……どちらに?」
「ちょっとツァーリ公爵領まで行ってくる」
「あ? マジかよ聞いてねーぞ」
ジャックが言った。
私はじと目で言い返す。
「だって言ってないもの」
「道中の旅はどうすんだよ。二人で行くつもりか?」
「えぇ、それとも護衛を雇う?」
「馬鹿」
ジャックは鼻を鳴らした。
「俺以外の男近づけんな。男はみんな狼なんだぞ」
「お前は狼じゃないの?」
この男は私と一つ屋根の下にいる癖に手も出そうとしない。
心配してるときとかは気安く触れてくる癖にその違いはなんなのか。
じと目で見ると、ジャックは胸を張って自慢した。
「俺はちゃんと理性を保てるからな。なにせ十年選手だ」
「十年?」
「……こっちの話だ」
「ふぅん」
目を逸らし、呟く。
「……私のこと好きだって言った癖に」
「あ? なんだって?」
私はじと目でジャックを見やる。
「……もう一度聞くけど。お前、ダリウスを倒した後の記憶がないのよね?」
「しつけぇなボケ。ないっつってんだろ」
「気付いたら私に介抱されてた?」
「あぁ。まぁー、なんか夢見てた気もするが……」
「ふぅん」
あぁ、そう。
そういうことしちゃうんだ。ふーん。
「私に言いたいことはないわけ?」
「べ、別にねぇよ」
心なしか耳が赤くなったジャックだった。
このヘタレ、と思わず呟いてしまう。
ジャックはちらちらとこちらを伺いながら言った。
「どしたお前、なんか変だぞ」
「なんでもないわよ。お前がそのつもりなら、埋めるもの埋めさせてもらうから」
ジャックはドン引きしたように身体を引いた。
「今度は誰を埋めんだよ。せめて苦しませるなよ」
「大丈夫。真綿で首を締め付けるように優しく埋めてあげるから」
「怖すぎる!? 俺じゃないよな!?」
「さぁ、どうかしらね」
ふふ、と笑みがこぼれて、私はサシャたちを見た。
「そういうわけで、お昼頃に出るわ。店番よろしくね」
「はい。お任せてください!」
「リリ店番する!」
私はジャックに振り返る。
「お前も準備なさい。三日くらいかかるからそのつもりで」
「はぁ……まぁ別にいいけど、今さら何しに行くんだ。」
「決まってるでしょ。お爺様に報告するのよ」
私は清々しい気持ちで笑った。
「悪役令息、拾いましたってね」
Fin.