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夜の女神と姫君と……

作者: 瀬嵐しるん

 貧乏絵描きは、今夜も屋根裏部屋でせっせと夜空を描いていた。今宵は三日月。空は快晴で星が煌めく。彼は夜を愛していた。



 田舎で生まれた彼は、美しい自然に囲まれて育った。瑞々しい花々、風が翻す緑の葉。生命は絶えず輝いていた。


 ある日、領主が気まぐれで使いかけの画材を彼に与えた。趣味を転々とする領主は新しい物好きで飽きっぽく、それでも金に余裕があるので、次々いろんなものに飛びつく。


 少年は使い方について簡単な説明を受けただけで、驚くほどの絵を描き上げた。領主に新しい玩具を売りつけるために王都から来ていた道具屋が、その絵を見て、王都で勉強することを勧めた。


 素直に勧めに従った少年だが、何事も修行だ。紹介された著名な画家は、少年の絵を見て言った。


「教えることは何もないが、君の絵は美しいだけで、溢れるような思いを感じない」


 だが、何かとの出会いもあるだろう、と看板描きの職を紹介し屋根裏部屋を無料で貸してくれた。


 王都にも自然はあるが、それより屋根裏の天窓から見上げる夜空が美しい。少年は時間が許す限り、夜空を、星を、月を夢中で描いた。




 この世界には夜の女神がいる。夜の女神は夜を支配し、夜空を支配した。夜の女神の命令なしには、月は昇らず、星は瞬かない。


 今宵は三日月。三日月は幼く、放っておくとフラフラとどこかへ行ってしまうので、夜空に昇る時には付き添いが必要だった。今日の当番は女神の三十二番目の娘だ。


 娘は三日月に結び付けた銀のリボンの端をしっかり持ち「お母様、行ってまいります」と淑やかに挨拶した。


「いってらっしゃい、気を付けるのよ」


 送り出しながら、女神は少し心配だった。三十二番目の娘は夢見がちで、少しばかり忘れっぽい所がある。



 三日月と女神の娘は、東の空を少しずつ昇って行った。空をかける靴は油断すると速度が出すぎる。慎重に慎重に。


 三日月はまだ明るいうちに昼の空の後ろを通って行く。空の一番高い所を通る頃は、まだまだ明るく、西に向かうにつれてやっと少しずつ暗くなっていくのだ。


 もう少しで西の麓に届く頃、娘は一つの窓の明かりに気付いた。気になって近づいてみると、そこは屋根裏部屋で、たくさんの夜空の景色が絵になっている。


「きれい」


 娘は、窓の外から夜の絵を眺めた。その絵は暗い夜の絵のはずなのに、どこか温かい。生命を守るような、育てるような、そんな雰囲気が伝わって来る。


 途中で青年が部屋に入ってきて、中央のキャンバスの絵を仕上げ始めた。三日月の浮かんだ絵だ。まるで自分が描かれているようで、娘は嬉しくなった。


 すっかり青年の描く絵に魅入られた娘は、避雷針に銀のリボンを結び付けたまま、夜明けまでそこにいた。朝陽が射してきて、初めて仕事を思い出す。


「いけない、早く帰らないと」


 絵を描きながら転寝をしてしまった青年を起こしてあげたかったけれど、時間がない。後ろ髪を引かれる思いで、娘は母女神の元へ帰った。


 母女神はカンカンに怒っている。


「貴女は何をしたかわかっているの?

 月の満ち欠けは運命を運ぶのですよ。

 きちんと月が昇り、そして沈まなければ、運命は結ばれません。

 真実の愛は迷子になり、生まれるはずの子が生まれない。

 もしその子が英雄ならば、国が亡びることさえあるのです。


 罰を与えます。しばらく地上に降りて反省なさい」


 娘は地上に降りても行く当てがない。屋根の上に座って、街並みを眺めるばかりだった。



「ねえ、君。

 君は夜の女神の姫君だろう?」


 屋根裏の窓から、青年が語りかけた。


「良かったら、お茶でもどう?

 硬いビスケットしかないけどさ」


 娘は喜んで中に入れてもらい、夜空の絵に囲まれてビスケットを齧った。


「貴方の絵は素敵ね。夜の優しさを知っているみたい」


「嬉しいな。でも、僕の絵はお金にはならないんだ」


 王都で持てはやされるのは、もっと派手で華やかな絵だ。彼には、そういう絵は描けなかった。


「だから、そろそろ田舎に帰ろうと思って」


「ここから、居なくなってしまうの?」


「うん」


「寂しいわ」


「君は昨夜、三日月を連れて、僕の絵を見に来てくれたね」


「ええ、とっても幸せな時間を過ごしていたら仕事を忘れてしまって。

しばらく反省しなさいって、お母様に追い出されてしまったの」


「じゃあ、一緒に僕の田舎に行く?」


「いいの?」


「僕の絵を好きでいてくれる君となら、楽しくやれそうだ」


「一緒に行くわ」



 それから満月の日を十五過ぎた頃、そろそろ反省した頃合いかと女神は地上で娘を探した。


 娘は田舎の小さな家で、幸福そうに暮らしていた。生まれたばかりの赤子をあやしながら、慣れた手付きでスープの鍋を混ぜている。


「おやまあ、呆れた」


 すっかり地上に馴染んでしまい、夜空に未練はなさそうだ。


「ただいま」


「おかえりなさい」


 畑仕事から帰って来た青年は、愛する妻と子に挨拶のキスをした。


 青年は生命に満ちた田舎に帰り、畑を耕し家畜を飼って自給自足の暮らしをしていた。


 相変わらず絵は描いている。田舎の穏やかな風を運ぶ小さな絵は、王都の貴族の愛好家を得た。領主のところに出入りする道具屋が良い値で買い取って行く。



「真実の愛ならば仕方ないわ」


 女神は一家に祝福を送り、そっと空へと帰って行った。



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