それはジャスミンの思い出
社会人1年目。
北九州小倉北区のとある喫茶店で。
わたしは生まれて初めてジャスミンティーなるオシャレな飲み物を注文していた。
その喫茶店はキッシュやケーキなども置いている、お茶の銘柄も複数あるような胸ときめくお店で、沖縄から出てきた生粋の田舎者であるわたしには心躍るばかりの小さな、けれど居心地の良いお店だった。
今はもうその店はない。
ある理由からつい足が遠のいてしまったのだが、数年後、ひさしぶりに思い切って立ち寄ってみたらもう店自体がなくなってしまっていた。
その喫茶店での思い出を、ここに語っておきたい。
わたしがその店で初めて注文したのはジャスミンティーだった。
一緒に注文したのは、記憶にないが多分チーズケーキだろう。
チーズケーキ好きのわたしは、どこへ行ってもとりあえず最初はチーズケーキを頼むクセがある。
ジャスミンティーを頼んだ理由は、なんかオシャレだったからだ。
ハーブティー、フルーツティー、ローズヒップティー、ハイビスカスティー、なんだかどれも美しくてオシャレな雰囲気がないだろうか。
当時18才。
沖縄の那覇で時々だが喫茶店を巡る趣味のあったわたしは、小倉の大きな商店街とその近辺の繁華街に浮かれまくっていた。
そして見つけたのが、その小さなイングリッシュカントリーの匂いのする喫茶店だった。
浮かれるままにわたしは席につき、注文をした。
お茶の種類がたくさんある。
最高に嬉しかった。
沖縄でも探せばあったのかもしれないが、わたしが入ったことのあるのはコーヒー店ばかりだった。
いやそれでも素晴らしかったわけだが。
とにかくわたしはジャスミンティーを注文した。
それがテーブルに届いたとき、これから先のわたしのオシャレな人生を象徴しているかのようで、小説をチラチラ読みながらわたしは幸せに浸っていた。
そして、ひと口。
ジャスミンティーを飲んで。
……覚えがある。
と、一瞬固まった。
脳裏に浮かんだのは沖縄の実家だった。
田舎から出て自由を得たはずの今、なぜ。
ジャスミンティー、その味にわたしは確かに覚えがあった。
いやいやいや、そんなバカなと思うがはっきり言おう。
それは沖縄の実家で祖母と一緒にいつも飲むお茶の味だった。
なぜだ、どういう事だ。
軽くパニックを起こすわたしの脳内で、記憶が答えを引っ張り出してきた。
祖母の飲むお茶のお茶缶、あの黄色い缶にはこう書いてあった。
『茉莉花茶』
茉莉花。
それはジャスミンの花の中国名だ。
わたしはそれを知っている。
なぜなら、子供の頃に読んだ名香智子の「パートナー」というコミックの主人公が『茉莉花』という名前であり、「ジャスミンの花」の事なのだと言っていたからだ。
わたしはあの黄色い缶に記載されている「茉莉花茶」という文字を、ただ「まつりかちゃ」と読んでいた。
それとジャスミンティーをつなげることはなかった。
だが18才の終わりも近いあの日。
わたしの脳内でジャスミンティーと茉莉花茶がしっかりと1つになった。
それは、オシャレなイングリッシュカントリー風喫茶店が沖縄の自宅と一緒になった日でもあった。
それ以来、わたしはなんとなくその店へ行く事がなかった。
なんか実家を思い出すのだ。
そうして足が向かないままでいるうち、気がついたらその店は閉店してしまっていた。
日々、物事は変わっていく。
先日、関東でのことだが30年ぶりくらいで訪れた町で、まだ営業していた食事処で当時頼んでいた雉焼き丼を頼んでみた。
新しかった店内は少しばかり古さを感じさせるものになっていた。
客たちは常連客なのだろうか、年配者が多かった。
店主ばかりでなく店員も、それなりに歳を重ねていた。
もちろん、わたしも。
みんなみんな、歳を取っていく。
ここ最近のわたしにとってのジャスミンは、近所で毎年咲いて香るジャスミンの花だ。
今年も、美しく咲いて誇らしげに香っている。
中国では烏龍茶を飲む地域や緑茶を飲む地域、茉莉花茶を飲む地域と分かれているのだと習った。
沖縄では貿易の影響だろうか、茉莉花茶が飲まれるようだ。
ジャスミンのお茶をそうとは知らず、毎日飲んでいた祖母はもう何年も前に亡くなった。
わたしが求めたオシャレは、オシャレじゃない形でいつもそばにあった。
時代が、オシャレになっただけ。
いや、祖母もオシャレだったという事なのだろうか。
気づかないだけで、欲しいと思うものは本当はいつも近くにあるのかもしれない。
ジャスミンの花を見ると、いつもあの日の事を思い出す。
小さな喫茶店と、祖母のいる懐かしい部屋を。
そしてそこで飲んだお茶の味を。
ジャスミン。
それは白い花が呼ぶ記憶。
わたしの愛しい思い出。