閑話.利休の野望。
千利休こと、田中与四郎が熱田に来たのは天文21年 (1552年)『萱津の戦い』の直後で10年前になる。
「初めまして、魚屋の与四郎と申します」
「呼び出してすまなかった」
「いいえ、神童と呼ばれておられる魯坊丸様にお会いできて嬉しく思います」
「そうか」
「さて、呼び出しの御用は何でございましょうか」
魚屋の者が熱田に買い付けに来るようになったのは神酒と呼ばれた清酒を帝に献上した天文18年 (1549年)より後だ。
俺が3歳の時だ。
これは魚屋に限らない。
今井-宗久、当時はまだ今井-兼員を名乗っていた彼も直接に買い付けに来て、父上 (故信秀)と交渉した。
他にも天王寺屋の津田-助五郎(後の宗及)も来た。
魚屋が来たのは遅かった方だ。
父上 (故信秀)が死んで兄上 (信長)が継いだ後だ。
後進でありながら那古野の兄上 (信長)との謁見を巧く取り付け、取引をまとめたのでやはり有能だと思った。
もしかすると、熱田や津島で造る清酒の生産量が整うのを待っていたのかもしれない。
2度目に訪問した時に大爺 (大喜五郎丸)に茶会を開かせて魚屋を呼んで見定めた。
図体は大きく武蔵坊弁慶のようだった。
そのくせ、熊のような体格からは想像できない繊細さで茶を嗜み、信光叔父上のような鋭い眼光を持つ。
商人と言うより武人に思えた。
俺の護衛として仕えていた千代女が、魚屋はまったく隙がなく、一撃で仕留めるのは難しいと言った。
幸運で手にいれた千代女は意外と物知りで何かと重宝した。
そして、オマケも良かった。
千代女に付いて来た馬鹿三人衆は俺の手足としてこき使えた。
この三人は尾行に気付かれて、あいさつの手紙を預かって帰って来た。
情けない。
「あの者は何者ですか?」
「お前らが未熟なだけだ」
「魯坊丸様、我らは商人如きに気づかれるほど未熟じゃないです」
「では、商人ではないのだろう」
「山伏ですか?」
「さぁ~、判らん」
さくら達が愚痴を言っていた。
商人らは清酒と常滑焼の茶器を多く買って帰った。
魚屋も例外ではない。
唯、熱田の刀に注目したのは魚屋だけであった。
目聡いと思った。
いつか良い鍛冶師を得て尾張にも名刀と呼ばれる品が欲しいと思っているが、残念ながらまだ打てる者はいない。
だから、商人で刀を買って行く者は少ない。
手頃の値段ではあるが、送り物として質が悪く、大量に仕入れるには値が張った。
それなりの数を買ったのは魚屋のみだった。
何故、同じ作の刀を大量に買ったのか?
尾張の職人が多いのかを知る為だ。
では、尾張で多くの鍛冶師を抱えている事を知った先に何があるのだろうか?
国友や根来なども多くの鍛冶職人を抱えている。
つまり、織田家は鉄を精製する技術があるという事実だ。
魚屋は織田家で鉄砲を造っている事に勘付いたと思った。
俺も魚屋が大量に買ってくれたと喜んでいる熱田衆の話を聞いてから気が付いた。
シマッタと思って、さくら達に調べさせると勘付かれるという失態を演じた。
ならば、味方に引き入れようと呼び出した訳だ。
王道な堺商人は今井-宗久の納屋だ。
足取りが軽く、目利きが良いのが津田-助五郎の天王寺屋だ。
交渉が巧く、何者か判らないのが田中与四郎の魚屋だった。
商人と言えば、織田家は堺の豪商だった今井-宗久を中心に取引を広げて行く。
俺も色々と買いたいモノがあり、人伝ではない堺商人のツテが欲しかった。
そこで熱田に何度も足を運んでは値踏みをしている天王寺屋に声を掛けた。
天王寺屋は面白い奴だった。
南蛮人が持つ商材の買い付けを頼むと目を輝かせた。
高値の舶来品を欲しがるのは上客だ。
当然だが、大喜屋を通して他の商人にも頼んでいた。
どこも喜んで引き受けてくれた。
どんな商材が欲しいのかと特徴を詳しく聞きたがる者は多かったが、その商材の使い道を聞いたのは天王寺屋だけだった。
「ただでは教えられん」
「いくら払えば、教えて頂けますか?」
「銭ではない。俺の、俺個人の御用商人に為れ。もちろん、俺から聞いた事は他言無用だ。その条件ならば教えてやらん事もない」
「判りました」
「即断か」
「勘が告げております。ここを逃してはいかんと」
天王寺屋は目をあらん限りに見開いて、こめかみをトントンと叩きながら答えた。
才気あふれる商人だった。
チーズ料理やスパゲティーなどの西洋料理を俺が語ると涎を垂らし、葡萄酒に合うと言うとごくりとその唾を飲み込んだ。
葡萄酒は知っていたようだ。
それを「どこで知ったか」と聞かれると『夢の中』と答えた。
呆れずに納得するから変わり者だ。
一方、商人かどうかを見極める必要があったのが魚屋であった。
魚屋が3度目に熱田に来た時に熱田神社に呼び出した。
軽い挨拶、食事を振る舞ってから様々な商談を行った。
商談は魚屋の二つ返事で決まった。
「所で魚屋。俺の為に働く気はないか?」
「魯坊丸様。それは商談ではなく…………天王寺屋のように召し抱えるという意味ですか?」
「その通りだ」
「そのように言って頂けて嬉しい限りでございます」
「ふっ、目が笑っておらんぞ」
魚屋は自尊心の高い奴だと見た。
天王寺屋は即答したが、魚屋は言葉を濁した。
それでいて目が鋭くギラついたように見えた。
どちらも儲けの匂いを嗅ぎ取る嗅覚を持っているのは間違いない。
子供だからと言って舐めていなかった。
真剣だ。
犬のように尾を振るのが天王寺屋とすると、狼のように値踏みをするのが魚屋だった。
俺から言わせると天王寺屋は交渉下手だ。
商才が溢れ過ぎる。
儲け話に目が眩んで、俺と手切れをするという選択ができない。
要求すれば、どんな無理も聞く。
投資資金を天王寺屋から搾り取れるだけ搾り取ろうと思い、実際に搾り取った。
特に造船所の増築だ。
熱田、津島、伊勢、堺から出させたが足りない。
他の商人らは300石級、1,000石級に出してくれるが、3,000石級、5,000石級、10,000石級となると投資してくれない。
完成品が無い上に、そもそもそんな大型船が停泊する埠頭がない。
困った時の天王寺屋だ。
その投資額は天王寺屋が三代も続けて滅びるほど出させた。
倉がいくつも空になったと嘆いたが俺は知らない。
蓄えた財はすべて吐き出させ、倉の商品を売り飛ばし、趣味の茶器も処分したと言う。
借財ではなく、投資だ。
織田家が転べば、天王寺屋もすべて失う。
無いと思うが、戦国時代だ。
あり得ない事も起こる。
そんな危ない橋を渡ってくれた。
今は他の投資で儲けた銭を預かって、外洋の小型船舶 (連絡船)の補償金として貸して南海の海に乗り出している。
天王寺屋が所有する造船所で造った船は、試行船『日本丸』を除いて稼働していない。
あっ、その船も炎上したな。
つまり、あの投資が返ってくるのは先の話だ。
御爺や加藤-延隆に並ぶ、俺の初期からのパトロンの一人だ。
天王寺屋、感謝しているぞ。
一方、魚屋は店を畳むかもしれない話には乗らない。
俺の意図を汲むのが巧い。
交渉も巧い。
長々と話して理解した。
不利と思えば、俺を切り捨てる胆力を持ち合わせている。
あの『本能寺の変』の黒幕の一人という先入観がなければ、危うく信じてしまいそうになる。
因みに、もう一人の黒幕と疑われる秀吉にも常に監視を付けている。
今では輝ノ介とお市の子守りも付けたので、悪事を考えるだけで二人に切られそうだ。
理屈ではなく、直感で動くから読めない。
光秀もそれを嫌って、わざと牢に入るように仕向けた。
後になって気が付いた。
さて、俺は魚屋に比叡山や興福寺との交渉を任せる事にした。
俺の代理人ではなく、織田家の御用達でもない。
熱田から清酒を買って魚屋として比叡山や興福寺に売り付ける。
比叡山や興福寺に清酒を納めれば、敵対心が減る。
織田家にとって損はない。
そんな感じで俺が魚屋に言葉巧みに騙された事にした。
これで織田家が比叡山や興福寺に頭を下げる必要もない。
魚屋は俺を唆して熱田商人らから清酒を調達し、比叡山や興福寺に売り付けて恩を売る。
比叡山や興福寺はその酒を京や大和に売って儲ける。
織田家を金蔓と思わせる策だ。
「魯坊丸様のご命令に従って、比叡山や興福寺に酒を卸して参りました」
「ご苦労であった」
「これでよろしかったのですか?」
「何か文句があったのか?」
「いいえ、私めが織田家の使者として赴けば、誓詞の1つも交わせたと思います。織田家にとって良い条件が引き出せたと思われます」
「そんな事をして見ろ。宗派同士がいがみ合って要求が増してゆくわ」
「なるほど」
「目が笑っておらん。俺を試すな」
「申し訳ございません」
意地悪を回避すると魚屋は口元を綻ばせる。
試すのではなく、単なる悪戯が好きな奴だと判った。
武将として召し抱えても名将になれる器だ。
清酒の運搬は魚屋自身で運び込まず、他の商家に依頼して運ばせていた。
表立たない事で危険も回避している。
天王寺屋は浄土宗なので大坂御坊・長島の交渉を任せた。
こちらは堂々と魯坊丸御用達として清酒を売った。
互いに争わないという誓詞を交わした。
儲けも天王寺屋の一人占めだ。
堺衆から不満と妬みを一心に集めた。
風当たりが強く、俺が初めて上洛した頃は堺衆からかなり叩かれ、天王寺屋と会う度に顔色が悪くなって行くのが手に取るように判った。
俺の庇護を求めた。
天王寺屋は俺なしでは生きて行けない商家へと変貌した。
一方、魚屋に求めたのは敵・味方に関係なく武器や商材を売り、中立の立場で敵方の情報を集める事だ。
敵方から直接に情報を仕入れるのが魚屋の役目だ。
俺の間者としても働いて貰った。
魚屋には、それだけの交渉力があった。
魚屋としての旨みが大きい。
織田家の商品を自由に買え、売り込み先は自らの才覚で開拓できた。
特に敵国だ。
熱田や津島の商人、天王寺屋が売れない相手にも売る事ができる。
美味しい所取りであった。
この頃の天王寺屋を見て、儲けに走った憐れな末路と魚屋は薄ら笑みを零していたに違いない。
◇◇◇
永禄2年(1559年)10月、『永禄の変』を境に魚屋は焦りを覚え始めた。
あの『萱津の戦い』(天文21年 (1552年))からわずか7年で織田家の手が天下に届いた。
あり得ない早さであった。
足利家の天下が続く限り、織田家は一大名に過ぎない。
そう思っていたのだろう。
敵対する大名は増えて、魚屋の価値は上がって行った。
大いに儲かった。
だがしかし、関東が平定されると笑えなくなって来た。
いずれは敵が減り、儲けも減る。
焦りが生まれてきた矢先にちゃぶ台返し大事件が起こり、魚屋の予想を裏切りられた。
俺の予定も狂って慌てた。
織田家の壁であった義輝が消え、義昭政権が誕生する。
不安しかない。
正月に『管領御成敗』が起こり、織田家の力が急激に増す。
魚屋は奥州から九州まで大忙しとなる。
在庫処分の鉄砲はバカ売れだ。
さらに、お茶などで南蛮人が新たな大口の取引先となった。
熊野海賊が織田-信実叔父上の後ろ盾を得て坊津まで茶を運んだ。
その一方で魚屋は土佐一条家の久礼湊を経由して、豊後の府内に茶を運んだ。
堺一の豪商にのし上がった。
だが、魚屋の顔に笑みはない。
この九州の争乱が終わる。
戦国時代が終わる。
終わった後に『死の商人』である魚屋の居場所はない。
魚屋は焦っていた。
そこに死神が声を掛けた。
義昭の幕府で頭角を現した惟任日向守(明智-光秀)と親密になった。
これは必然だ。
織田派でない堺の豪商となれば、魚屋しかいない。
義昭にとって織田家御用達の納屋(今井-宗久)と俺御用達の天王寺屋(津田-宗及)など排除の対象だ。
俺は魚屋に光秀の監視を頼んだ。
この頃になると、田中与四郎は法名の千宗易を名乗るようになっていた。
「日向守様。そう遠くない内に魚屋は無用となりますな」
「義昭様には申し訳ないが、織田家と争えば負けるのは必定。足利幕府もこれまででございます」
「そのような事を言ってよろしいのですか」
「公方様にも言っておる」
「次は織田家の天下ですか」
「すでに織田家の天下です。それがお判りにならない」
「義輝様がご存命ならば、たとえ織田家が重宝されようとも敵は消えず。どこまでもくすぶり続けると思っておったが…………」
魚屋はそこで言葉を閉じた。
光秀は魚屋が俺の間者とは知らない。
だが、同時に取引相手と承知していた。
そして、義昭が負けた後に織田政権で進言するつもりの“茶道の作法”を 厳格化する意見を聞いた。
魚屋はそれを聞いて目を光らせたと言う。
だが、具体的な話をする間もなく光秀は堺から京に戻ると、兵を向けられて京を去る事になった。
兄上 (信長)が京に入ると義昭に追放された者を呼び戻した。
その一人が光秀であった。
光秀は丹波、丹後、若狭の騒動を瞬く間に治めてしまう。
これを評価しない訳もいかず、幕府を再建した後に3万5,000石の所領を約束した。
この時点では織田幕府にするか、建武の新政のような朝廷が政権を建てるかが決まっていなかった。
だが、俺が甲斐に侵攻すると知ると、公家達が慌てて俺を征夷大将軍に指名して織田幕府ができる事が決定した。
武田家と戦う直前に織田幕府の構想をどうするかという手紙が来た。
そんなこと知るか。
兄上 (信長)を執権とする。
後は在京している右筆と相談してくれと丸投げだ。
すべてが終わって京に上がると骨子が出来ていた。
魚屋は茶官位などを提案していたらしいが、光秀は採用しなかった。
代わりに兄上 (信長)の権威付けに禁中茶会を提案し、兄上 (信長)を師事する茶人として推薦された。
順番から言えば、今井-宗久が師事すべきだったが、光秀の推薦で一度会うと兄上 (信長)が気に入った。
格式を重んじる宗久より、無駄を削って行く宗易に自らの目指す茶道と思ったらしい。
魚屋は兄上 (信長)に賭けた。
兄上 (信長)を実質の天下人として、自らはその茶道の師匠という地位を得る事を願った。
茶で天下を取ると兄上 (信長)の側近に吹聴しているのも魚屋であった。
魚屋は兄上 (信長)を天下人にする為に尽力した。
魚屋は俺が知恵者の光秀を必要以上に警戒しているのを知っている。
切れ者の光秀が気づかない訳がない。
俺に忠誠を誓う姿は擬態であり、兄上 (信長)と魚屋を結び付けた事からも内心は信長政権の樹立を望んでいると思ったようだ。
知恵者の光秀を仲間に引き入れる事で信長政権の樹立は夢で無くなった。
九州に光秀が左遷されても連絡を取り合う。
光秀は自分を監視している者を誑し込み、現状を憂う愚連隊の相談役になっていた。
同じ者を長く監視に使った俺の失態だ。
報告すべき者が隠蔽の張本人なのだから、光秀が魚屋と連絡を付けられた訳だ。
だが、光秀の目的は『暗殺』、魚屋の目的は『政権の確立』と真逆なのだ。
知恵の鏡も曇るとはこの事だ。
誰の鏡かって、もちろん俺と魚屋の両方だ。
兄上 (信長)がやたらと西院小泉御所の政務で質素で無駄を省きたがるようになったのは魚屋の影響だろう。
30日の昼から京と堺の豪商らが集められ、兄上 (信長)が集めた茶器を披露してから茶会が始まった。
宗久らの茶人には兄上 (信長)が直接に茶を注ぎ、他の客には魚屋が注いだ。
兄上 (信長)は見事に茶会を終えて、『天下一の茶人』として認められた。
「利休。感謝するぞ」
「いいえ、信長様の技量が勝ったのでございます」
「これで明日の発表に“否”と申す者も居なくなったな」
「はい。信長様の“天下一の茶人”でございます。その者に意見できる者などおりません」
天王寺屋は忙し過ぎて京に来る暇もない。
納屋(宗久)は気付いていたが、非の打ちどころがない茶会を開かれて脱帽した。
魚屋は“堺一の豪商”と“天下一の茶人の師匠”という称号を手に入れた。
夢まで後一歩だ。
次は、新公方と兄上 (信長)の嫡男奇妙丸の師匠ともなり、天王寺屋のみに許されている小型船舶の貸し出しを受けて南海や蝦夷に乗り出す。
その為にも魚屋は兄上 (信長)を支えるつもりだった。
本能寺を後にして、京にある魚屋の店に戻ると夜半に扉を叩く音がした。
光秀の使者と名乗る者がやって来た。
『織田-信長が謀反。太閤様に刺客を送られました。太閤様はお怒りになられ、信長を誅殺せよとのご命令でございます。千利休殿が謀反に加担していないならば、手勢を連れて光秀様の軍に合流せよとのご命令でございます。日和見などすれば、謀反人として処分される事を努々お忘れなきように。これが光秀様からの手紙でございます』
光秀の使者は“敵は本能寺にあり”と言い残して去って行った。
魚屋は急いで手紙を開く。
“太閤様、水死”
思わず声を上げそうになったが、その言葉を呑み込んだと言う。
“23日、琉球に向かった船団の横にイスパニアの艦隊が襲い掛かって、太閤様の船が沈んだ。
名護屋府は太閤様を探しているが見つからない。
荒れた海であり、お亡くなりになったに相違ない。
名護屋府はそれを隠しているがいずれは知れるであろう。
これで千利休殿が太閤様を毒殺する必要もなくなった。
このまま織田-信長を亡き者とし、返す刀で報告と偽って新公方も撃ち果たす。山城、摂津、和泉の調略に協力を願う。
千利休殿の兼ねてからの願いはすべて認めますので、ご尽力をよろしくお頼み申す”
兵士とはまったく違う内容が書かれており、魚屋はその手紙を握り潰した。
騙されていた。
“儂とした事が!?”
すべては儚い夢の如しであった。
魚屋は光秀の為に兵も出さないし、その後も協力もする気もない。
だが、留まっていれば殺されると思って堺に逃げた。
すべて遅かったのだ。
俺も騙されたが光秀は魚屋も騙し、始めからどう転んでも始末するつもりでいたのだ。
恐ろしい奴だ。




