87.長崎沖の海戦(3)〔海戦の合図〕
(永禄5年 (1562年)3月26日)
敵艦見ゆ。
虫の報せか? あるいは、最近の日課の所為か?
お市は昼寝をし、日が暮れると早々寝て、鳥の音が聞こえない月夜に起きた。
もう夜行性と言ってもいい。
夜中に起き出すとお市は戦艦『伊勢』のマストの先に上がったらしい。
向かい風を切り上がっている船は大きく傾き、波を越える度にバウンドするので非常に危ない。
寝ぼけ眼でふらふらと甲板に上がり、足を取られて海に落ちそうになった奴を何人も見ている。
今回はもう降ろしたけど…………さ。
マストの先はそんな比ではない。
緩い追い風で船体が安定している時に遠目で見たマスト上の曲芸でもハラハラしたくらいだ。
安全帯も付けず、見張り台のさらに上に昇るお市を見ていたならば、俺はいつ落ちるかと恐怖から震えていただろう。
俺の心臓がもたない。
千代女にもできるらしいが、やらないように言っておいた。
さくらは…………落ちるな。
絶対に。
こうして戦艦『伊勢』のマストの上でお市が敵艦を見つけた。
「敵艦なのじゃ」
暗闇の中に敵艦の帆船のマストの先が水平線の先から竹の子のようなちょこんと出た膨らみが見えるそうだ。
距離にして10里 (40km)から8里 (33km)だ。
地球は丸い。
だから、浜辺から見える水平線は意外に近く5kmほどしかない。
マストの高さは30mから50mくらいであり、互いのマストが見える距離が割り出せる。
海水温が高いので屈折率を加味しても10里を越える事はない。
これを利用して西の空に見えている雲で明日の天気を当てる。
雲の高さを5,000mとすると、雲の位置は260kmほど先になる。
夕方に西の空が晴れていれば、翌日も晴れると予想できる。
(※ 普通の雲の速さは時速40kmくらいなので、翌朝まで雨が降らないと判ります)
しかし、大海原で米粒ほどのマストの先を見つけるのは難しい。
俺には無理だ。
しかも真っ暗な夜中に?
意味が判らん。
俄かに『伊勢』の甲板が騒ぎ出し、ランプ通信で各船に連絡を入れる。
戦艦『尾張』のマストに船長の九鬼-嘉隆が自ら上がって確かめた。
確認されると俺にも伝わり、手すりをしっかり持って落ちないように気を付けて、眠い目を擦りながら艦橋に上がった。
俺は艦橋と呼んでいるが、後部の甲板にとって付けたような矢避けの屋根を付けただけの部屋だ。
後ろにあの丸い操舵輪があるのでそう呼んだ。
俺は海図を見て頭を抱える。
『何故、ここにいる?』
俺の予想では少なくとも5里 (20km)先を走っているハズだった。
10里 (40km)先に居ても不思議に思わない。
我が船団は黒潮に乗って、切り上げ目一杯で早朝の合流地点を目指した。
こちら帆船は切り上げを重視した縦帆を採用しており、南蛮船は横帆だ。
より向かい風ではこちらの方が速い。
今は理想的な向かい風だ。
しかし、十分に平戸の手前の五島灘までに追い付ける予定だった。
丸一日も進んだ船が半日の船に追い付かれるのか?
「若様、向こうは正確な海図を持っていないのでないでしょうか?」
「それはない。イスパニアは大金を掛けてポルトガル船から航海士を雇ったと聞いている。千代も聴いただろう」
「はい」
「琉球からまっすぐに北東に進めば、両列島を避けて長崎半島に着ける事は承知しているハズだ」
「いいえ、わたくしが言っているのは五島列島の先にある父島母島の位置、甑島列島の先にある宇治島、宇治群島、雀島、鮫島の位置を把握していないと言う意味です」
「あぁ、そういう事か」
美麗島(台湾)から平戸を目指す船は父島母島に近づく前に速度を落とす。
日が昇れば、山がはっきりする。
無理をして夜中に五島列島を通る馬鹿はいない。
敵の進路は五島列島に掛かる事はないが、風にどれだけ流されたのか、黒潮の影響でどれだけ予定より早く進んでいるかまでは読めない。
実際、今は五島列島と父島母島などで焚火がされているので近づけば気が付く。
座礁する危険が低くなっている。
もしも可能ならば、昨日の時点で五島列島と父島母島の焚火を中止させたかったくらいだ。
敵に塩を送っているようなモノだからだ。
だが、そんな心配は無用だった。
ポルトガル船に乗っていた航海士は、五島列島と甑島列島を越えるラインを早朝に超えるように調整したのだ。
無理をしない優秀な航海士だ。
えぇ~い、巧くいかない。
「これでは平戸に向かった艦隊の背後を襲う作戦が台無しだ」
「しかし、合流地点で敵の位置を把握しなければ、背後を襲う時期が見定められません。夕方まで待てば、平戸の守備を任された長将への負担が大き過ぎます」
長将は大橋-重長の子で、くら姉上の子ではない。
俺と血は繋がっていないが、織田一門並だ。
何かあれば、士気に関わる。
率いる水夫は熱田と津島の者だ。
熱田・津島の者は300石船を購入して国外とも交易するようになり、そこから多くの水夫を育てた。
そして、織田水軍を結成する事になると、熱田・津島衆から選抜されて織田水軍に組み込んだ熱田・津島水軍衆となった。
当然だが敵が来れば、五島灘に引き込んで抵抗する。
しかし、小型の帆船5隻でイスパニア艦隊の全軍を半日以上も引き受けるのは苦労しそうだった。
「長将には無理をせず、基本的に離れて戦えと申しているが、それを守るとは限らん」
「五島灘も難所が多いので、敵を引き込んで戦いたいと思うでしょう」
「こんな事ならば、坊津と同じように敵を避けて平戸に通せと言っておくべきだったな」
「それでも全軍が大人しく入ってくれるとは思えません」
「だな…………」
椅子に腰かけ、手すりに体を預けて考える。
連絡船を囮に敵を分散させて各個撃破する構想が沸いては消えていった。
すべての艦長に指示を出せれば…………と考えて首を振る。
そもそも無線がない。
阿吽の呼吸で艦長らが手足のように動かない。
しかも風が一定に吹き続けるという前提が間違っている。
海の上は風の気まぐれだ。
風が止まって固定砲台となった時は最悪だ。
大砲の数では圧倒的に負けている。
こちらの強みを生かさないと思わぬ落とし穴に落ちないとも限らない。
俺は京からハンニバル半包囲の再現や日露海戦の丁字戦法の練習を指示して、その練習の結果に満足し、黒田-官兵衛や山中-長俊から送られてくる絶賛の手紙に手応えを感じていた。
しかし、実際にはどうだ。
奇襲を掛けようと計画して、こんな事態を招いた。
『不レ知レ彼而知レ己、一勝一負』
(敵を知らず、己を知っていれば、勝ったり負けたりするだろう)
孫子の兵法の一節の通りになっている。
智将は智将らしく、無理をせずに戦えという事か。
俺が謙信のような蛮勇を奮っても100戦100勝とはいかないらしい。
これが『成功体験が失敗を招く』と言う奴だ。
成功者が必ず一度は経験するという失敗だ。
成功した故に、その思考に囚われて最悪の結果を生む。
“俺はこうやって成功した”
馬鹿みたいにそう言う奴が多い。
しかし、それは大抵が違う。
要するに運が良かった。
“努力すれば、成功する。成功しない奴は努力が足りない”
そんな馬鹿な事を言う奴もいるがあり得ない。
そもそも全員が成功する事はない。
全国の高校球児に素晴らしい指導者と施設とトレーニングを与えて、可能な限りの努力をしても3,602校が手を繋いで優勝するか?
レベルが上がっても甲子園で優勝するのは一校だ。
努力すれば、必ず報われるなどと言うのは馬鹿な奴だ。
上がるのはレベルだけで成功は保障されない。
俺は運が良かった。
自惚れれば失敗し、注意を怠れば足を掬われる。
勝ちに目が眩めば、死を迎える。
勝って、勝って、勝って、勝って、最後に負けた馬鹿にならないように気を付けないといけない。
「では、ここままやり過ごして敵を通しますか?」
「その方が圧勝できそうだが、五島灘の味方を見殺しにしたと言われては堪らない」
「熱田と津島の者は若様を神のように崇めております。今後、色々と支障がでてきます」
「判っているならば、敢えて聞くな」
「申し訳ございません」
進路そのままで敵の艦隊との差を詰めた。
一刻 (2時間)ほどで空が明るくなり、双眼鏡で敵の位置が判ってきた。
敵は前衛、中堅、後続に分かれ、その他にキャラック船が付いていた。
敵もこちらを見つけたらしく、キャラック船7隻を反対側に配置したので戦闘員が少なく、食糧などを多く積んでいる補給船として使っていると判る。
前衛が大型ガレオン船3隻とガレオン船12隻の計15隻、
中堅も大型ガレオン船5隻とガレオン船10隻の15隻、
後続が大型ガレオン船2隻とガレオン船8隻の10隻、
イスパニア艦隊の総数40隻だ。
ガレオン船の片面には大砲が20門も並び、大型ガレオン船など50門もあった。
大砲400門が一斉に火を噴いた光景は壮観だろうと思う。
織田水軍の小型帆船は1隻に3門しかない。
5隻船団で15門だ。
敵のガレオン船1隻にも及ばない。
「我が戦力は圧倒的だ…………と思っているのでしょう」
「千代、数で劣っているのは事実だ。油断すれば、一瞬で食われかねない」
「はい。離れて命中精度で勝負致しましょう」
「そうしよう」
風は東から吹いており、帆船の常套手段として敵は風上を取りに動く。
敵がゆっくりと東に進路を変え始めた。
ならば、俺は敵を大陸に追い込む意味で風下を敢えて選ぶ。
『信号旗を上げよ』
十分に近づいた所で転進の信号旗を上げさせる。
船長の九鬼-嘉隆が声を上げた。
『取り舵いっぱい』
その声に合わせて、操舵士が操舵輪を勢いよく回した。
帆の上に上っている水夫が一瞬で角度を変えて、風下に向けて行き足が付いて船が加速する。
敵の背後を取って艦砲射撃で風上に追いやってゆくぞ。
「戦艦『伊勢』、信号旗に『我に続け』を上げ、風上に切り上がっております」
艦橋の外で見張りの水夫が声を上げた。
俺は立ち上がって艦橋を出ると横に回った。
お市を乗せた戦艦『伊勢』が反対側へ遠ざかっていた。
「千代、どう思う?」
「敵をさらに陸地近くまで誘う囮役をする気ではないでしょうか?」
「筑紫海(有明海)!?」
「閉じ込める事ができれば、40隻以上の船を拿捕できる可能性があります」
「小早で襲わせる気か?」
確かに波の浅い筑紫海(有明海)ならば、九州には命知らずの馬鹿も多い。
大量の小早で取り囲めば奪える可能性が高い。
そして、乗り込んで白兵戦に持ち込む気か…………違うぞ。
それはない。
「輝ノ介もいる。他に手柄をくれてやるような奴ではない」
「では………まさか!?」
「そうだ。接舷して海賊戦をするつもりだ」
「接舷すれば、敵も大砲は撃てない。包囲して止まっている敵艦はこちらの良い的になる」
「次々と接舷を繰り返して敵艦を奪うつもりとでも言うのですか? 無茶です」
「あぁ、無茶だ!」
あの二人はその無茶が普通なのだ。
敵は5隻単位で密集陣形を組んでおり、船団同士は互いに距離を空けている。
1つの船団に憑り付けばいい。
ならば、憑り付くのは先頭の船団に限る。
完全に風上を取った上で急接近をするつもりか?
「嘉隆。さらに取り舵いっぱいだ。反転してお市を追い駆ける。加藤隊は佐治の指揮下に引き継ぐ」
「お待ち下さい。忠誠心と操舵の技術は加藤隊の方が上でございます」
俺の麾下で水軍大将の一人である加藤-資景が声を張り上げた。
こんな時に身内贔屓をするな。
自分の家臣を近くに置きたい気持ちは判るが状況を読め。
案の定、船長の嘉隆が嫌な顔をする。
まったく。
九鬼隊は九鬼配下の元伊勢水軍と熊野水軍の混成軍なので操舵の技術はともかく、連携に不安がある。
実際、九鬼水軍の九鬼-嘉隆と熊野水軍の堀内-氏虎の仲も悪い。
それと同じくらい佐治水軍とも仲が悪い。
操舵の先生でも、「負けたくないのは負けたくない」と嘉隆が言い切る。
海の男の矜恃とか、知らん。
戦艦『近江』を預かる水軍大将佐治-信方の指揮下で大人しく従うか?
無理だ。
出し抜こうと動く気がする。
織田家の重鎮である加藤家や一門衆の大橋家の下には付けるが、佐治水軍、伊勢水軍、熊野水軍は互いに意地を張り合う仲だ。
ライバル心が向上心に繋がっているが、どちらかの下に付くなどあり得ない。
佐治の下に九鬼を置けないならば、加藤隊を送るしかないだろう。
資景、空気を読め。
俺は声に上げないで睨んだ。
既に、嘉隆は命令の直後に信号旗を上げさせていた。
「資景。気にする事はありません。若様が加藤家を見限った訳ではありません」
「しかし…………」
「延隆への恩は『七つの海』を巡るより広いと、若様はいつも申しております」
「そうでした。太閤様と父上は共に『七つの海』を巡ると約束した仲でした」
おぃ、巡らないぞ。
豪華客船を用意できればという話だ。
今の時代、大砲なしの船で世界一周などできない。
水は当然、食事が乏しい旅行など嫌だ。
途中で補充できない事を考慮すると、戦艦『大和』クラスの豪華客船を用意しないと駄目だ。
100年後は知らんが、50年ではできないだろう。
資景が笑みを浮かべている。
空気が読めないのは、親父の加藤-延隆譲りか。
軍艦『尾張』は下手回し (ジャイビング、ウエアリング)で船体を反転させると再び風上に向かって昇り始めた。
■イスパニア艦隊
司令官:ジャナンドレア・ドーリア(討伐軍司令官)
副官兼参謀:ミゲル・ロペス・デ・レガスピ
上陸部隊の大隊長:ドン・アロンソ・デリバ
先発隊の提督:アンドレス・デ・ウルダネータ
提督:ペドロ・メネンデス・デ・アビレス
その他の某
・大型ガレオン艦10隻
・ガレオン艦30隻
・ナオ艦 (キャラック艦)10隻 (内、3隻は琉球那覇で監視に残っている)
討伐軍の編成 (合計50隻)〔大型ガレオン船10隻体制〕 述べ17,500人
●ウルダネータ先発隊 〔15隻5隻編成で先行〕
・総提督アンドレス・デ・ウルダネータ
・提督ペドロ・メネンデス・デ・アビレス
・提督 某
提督用の大型ガレオン艦3隻
船長のガレオン艦12隻
●ドーリア本隊および上陸部隊 〔15隻5隻編成〕
・司令官ジャナンドレア・ドーリア
・副官兼参謀ミゲル・ロペス・デ・レガスピ
・上陸部隊の大隊長ドン・アロンソ・デリバ
・護衛提督 某他4人
司令官の大型ガレオン艦1隻
護衛の大型ガレオン艦4隻
船長のガレオン艦10隻
・提督 某
●後続隊〔10隻5隻編成〕
・総提督 某
・提督 某
提督用の大型ガレオン艦2隻
船長のガレオン艦8隻
●補給隊〔7隻、平戸への救援物資〕
・提督 某
補給船ナオ艦 (キャラック艦)7隻
■幕府軍〔夜襲・奇襲部隊〕
◎幕府水軍 (織田水軍)4,500名
尾張級戦艦3隻:1隻300人 計900人
300石級戦艦20隻 :内、5隻は平戸方面の警戒の為に残している。1隻150人計3,000人
連絡船40隻:1隻15人 計600人
・先行の秀吉隊
大将:佐柴-秀吉
客将:足田-輝ノ介
客将:織田-お市
切り込み隊長兼副官:前田-利家
帆船の仮船長:島津-義弘
副将:相良-為続
船長:村上-武吉
船長:里見-義堯
旗艦『伊勢』1隻
佐柴隊の帆船3隻(渥美・熱田・里見・村上・島津混成隊)
・本隊の信照隊
総大将:織田-信照
大将:加藤-資景(延隆の嫡男)
大将代兼砲術指南:橋本-一巴
旗艦船長:九鬼-嘉隆
切り込み隊長:可児-才蔵
加藤一番艦の船長:加藤-元隆(延隆の次男)
九鬼一番艦の船長:堀内-氏虎
旗艦『尾張』1隻
加藤隊の帆船5隻
九鬼隊の帆船5隻(元伊勢九鬼衆2隻と熊野水軍2隻の混成)
・後詰めの信方隊
大将佐治-信方
佐治隊の帆船5隻
・予備戦力の坊津守備隊(秀吉傘下だったが離脱)
帆船2隻
■平戸留守隊(熱田・津島衆)
大将:大橋-長将(大橋 重長の庶子)
一番艦の船長:平野-長治
■諸将連合軍〔琉球占領部隊〕
総勢2万5,200人
帆船3隻(大砲あり)
関船42隻(大砲なしの織田帆船の模造船、大砲の代わりに櫂推進もあり)
300石船56隻(織田家300石船か、その模造船、バラスト機能が高い)
小早180隻(40人乗りの櫂船、追い風のみ帆を張って推進できる)
※小早で琉球弧を渡る事はできるが風任せになるので、今回はその他の船に曳航させて連れて行く。
◎北条伊豆水軍 4,800名 (別途の輸送部隊に1,200人を動員)
総大将:北条-氏康(相模守護)
副将:北条-宗哲
帆船2隻: 1隻150人 計300人
関船30隻: 1隻150人計4,500人
その他:食糧輸送の為の1,000石船と300石船を堺と坊津を往復運航中。
◎北畠・織田伊勢水軍 3,400名
総大将:北畠-具教(参議・伊勢守護)
副将:織田-信実(伊勢守護代)
帆船1隻: 1隻150人 計150人
関船5隻: 1隻200人計1,000人 (新型の関船は帆船の性能が高い。漕ぎ手200人が兵に変わる)
300石船15隻:1隻150人計2,250人
◎山名隠岐水軍 3,000名
総大将:山名-棟豊(管領山名-祐豊の嫡男)
副将:奈佐-日本之介(元隠岐海賊の棟梁)
300石船10隻 (20隻):1隻300人計3,000人
〔船の少なさを兵で補った為に兵站で問題があり、堺の商人から追加で10隻を貸し出して貰った〕
◎畿内連合 (熊野・村上等水軍) 5,500名
総大将:林-秀貞(信長配下の織田家重鎮)
副将:佐久間-信盛(信長配下の織田家重鎮)
副将:曾我-助乗(奉公衆)
副将:蒲生-賢秀(近江小守護代の代表)
副将:朽木-元綱(若狭・丹波・丹後の代表、初陣なので叔父の藤綱も同行)
関船5隻:1隻200人 計1,000人 (新型の関船は帆船の性能が高い。漕ぎ手200人が兵に変わる)
300石船30隻:1隻150人 計4,500人
〔数に入っていないが、堺と熱田なのから1000石船を徴集して、食糧等の運搬を行っている〕
◎島津連合 (島津・肝付・相良等水軍) 8,500名
総大将:島津-貴久(薩摩守護)
副将:肝付-兼続
副将:相良-為続
関船2隻:1隻200人 計400人 (新型の関船は帆船の性能が高い。漕ぎ手200人が兵に変わる)
300石船6隻:1隻150人 計900人
小早180隻:1隻40名 計7,200人




