閑話.六角義弼の誕生。
観音寺城は山を1つの城にした雄大な城であった。
その建物は京風で雅な造りになっており、武家の無骨さを隠す上品さが残されていた。
六角-定頼はその周りに石垣を組み、強固な城に変えると共に石階段を作って便利さも追求した。
尾張や美濃より20年も早くから山城の原型を作っていたのは驚きである。
更に家臣団を城下に住まわせるなど斬新な取り組みは戦国大名の先駆けと言っても過言ではなかった。
定頼の後を息子の義賢が継いで盤石のように思えた六角家であったが、天文21年 (1552年)1月2日に定頼が亡くなると、三好-長慶を頼って浅井-久政が寝返った。
義賢は六角当主として試される事になった。
戦国時代の家督相続は実に面倒だ。
(浅井)久政は六角方の今井-定清に手紙を頻繁に送った。
今井家は元々京極家に仕えており、主家筋である京極-高広の手紙の返書を何度も書く事になる。
そこに(今井)定清が浅井家に寝返ったという噂が流れた。
「定清殿、浅井は何と言ってきた?」
「(京極)高広様が他愛もない昔話だけでございます」
「それにしては頻度が多すぎる」
「本当でございます」
次に定清が裏切ったので観音寺に呼び出して謀殺しようと言う噂が流れると、登城命令に従う勇気が定清に無かった。
こうなると義賢は家臣の手前もあって厳しい処分を取る必要になった。
つまり、三歳の人質を殺害するしかなかったのだ。
見事、久政の策謀『離間の計』に引っ掛かったのだ。
こうして東山道(中山道)の今井家が浅井家に寝返ると菖蒲嶽城と言う障害が無くなった。
すると速攻で街道を通り、磯野-員昌を先鋒とする浅井家の兵が強襲して佐和山城を奪取された。
余りの早さに六角家が後手を踏んだ。
義賢は(浅井)久政に一杯喰わされた訳だ。
佐和山城を奪った事で浅井家は東国から西国へ向かう間道の入口に睨みをきかせる事が出来るようになった。
気が付いた時は後の祭りだ。
勿論、そこで黙っている義賢ではない。
浅井家の背後に位置する斎藤家と連絡を取り、和議を結んで浅井家を挟撃する体制を取った。
六角家も三好家と浅井家で挟撃されている。
だが、地力の差が違う。
六角家は2万5千兵を用意でき、兵を二つに分けても浅井家を凌駕できた。
そこに斎藤家が背後を突く。
浅井家は無理をしても1万2千兵しか用意できない。
六角家も半分に兵を割るが、浅井家も兵を半分に割らなければならない。
義賢は倍の兵力を段取りする事に成功したのだ。
しかし、風雲急を告げた。
これは義賢にとって幸いした。
織田魯坊丸が三好2万5千人の兵を壊滅させたのだ。
しかも実質700人の僅かな兵でだ。
(浅井)久政にとって『青天の霹靂』だった。
予想しろと言うのが無理な話だ。
三好家から援軍が期待できなくなり、勝敗は戦う前から決したと言ってもいい。
だが、天は浅井家を見放さなかった。
朝倉家が2万人の援軍を送ると言って来た。
これによって、浅井家は北に兵を残さず、1万2千人の全軍を投入できる。
朝倉の兵が加わって3万2千人に膨れ上がった。
劣勢である事に違いはないが、地形を利用すれば互角以上の戦いをできるようになったのだ。
もちろん義賢は慌てる事もない。
朝倉の兵はどうせ後詰しかしない。
前面で戦うのは浅井の1万2千兵のみだ。
さらに鬼手の織田家の援軍も得た。
もう六角家の家臣団に義賢の手腕を疑う者はいなくなっていた。
義賢は六角家をまとめる事に成功した。
やっと一息だ。
そう思っていると、赤神山成願寺に現れた魯坊丸から開口一番に謝罪されて気が付いた。
「馬鹿息子が申し訳ない事をした」
見落としていた。
我が息子はどうなっているのだ?
義賢の苦悩はまだまだ続くようであった。
◇◇◇
義賢の嫡男である四朗は守役として種村-道成、建部-頼昌、蒲生-定秀が据えられていた。
「四朗様、そのようなへっぴり腰では武家の棟梁として恥ずかしいですぞ」
「爺ぃ、もう一本だ」
「きなされ!」
道成の種村家は近江佐々木氏の流れを汲み、代々六角氏の後見職を務めてきた名家である。
道成は四朗を厳しく育てた。
四朗もそれに応えて武家の棟梁としての自覚を持って育っていった。
「四朗様、六角家は名家でございます。下賤の者に舐められてはなりません」
「舐められぬようにするにはどうすればよいか?」
「常に威厳を持ちなさい。時としては横暴に振る舞っても構いません」
「そうか、胸を張れと言う事だな」
「その通りでございます」
(建部)頼昌は建部頼用の子となっているが、実は六角氏12代当主である高頼の子ではないかと言われている。
つまり、四朗の祖父である定頼の弟になる。
定頼は守護代伊庭氏を追放した。
強引な手法で皆を黙らせ、嫌がる領主を無視して観音寺城の城下で住む事を強制した。
逆らう者を全て薙ぎ払った。
そんな定頼に憧れた頼昌は四朗もそのように育てたいと思っていた。
また、(建部)頼昌は『六角氏の両藤』などと持てはやされている後藤-賢豊と進藤 賢盛を嫌っていた。
これ以上、家老の力が増すのを防ぎたいと思っていたのだ。
特に建部家の建部城は八風街道と千草(千種)街道の合流地点である八日市の近くにあり、両街道の支配を目論む後藤家を苦々しく思っていたのだ。
「(後藤)賢豊は獅子身中の虫でございます。家老と言っても安心してはなりません」
「そうなのか?」
「力を持たせ過ぎれば、六角家を乗っ取るに違いありません。定頼様が苦労して追放した守護代伊庭氏を蘇らせてはならないのです」
「肝に銘じよう」
(建部)頼昌は後藤家を追い落として成り代わるつもりであった。
どこの血筋か判らない後藤家より準一門である建部家がのし上がるのが六角家の為になると疑っていなかった。
このように気位が高く、傲慢な性格はこの二人の守役によって作られたに違いない。
「四朗様、皆の話を聞いてあげて下さい」
「(蒲生)定秀、それでは俺の威厳が薄れるではないか?」
「そのような事はありません」
「黙れ。三河爺ぃ(種村道成)が俺に嘘を付いたと言うのか?」
「そうは申しませんが…………」
「もうよい。俺は町に行く」
「お忍びもお控え下さい」
「黙れと言った」
蒲生家は近江国蒲生郡に勢力があった豪族に過ぎない。
血統主義の種村道成と建部頼昌から見れば、劣等家である。
同じ守役でも一段格下と見られていた。
「父上、あまり真剣に怒るとお命に関わります。お控え下さい」
「藤太郎(蒲生-賢秀)、そんなことを言っていては六角家が危なくなる」
「いいえ、その前に蒲生家が取り潰されてしまいます。三河守(種村道成)と日向守(建部頼昌)に対抗する為に後藤様に近付き、お館様より嗜めて頂く方が良いと思われます」
「それでは何の為の守役か?」
「父上、面子を捨てて蒲生家を残す事をお考え下さい」
四朗が遅れる護衛の藤太郎を呼んだ。
付き合うのも面倒だと思いながら藤太郎は御屋形(観音寺城のお館様の住居)を出た。
眼下に城下町が広がり、正面に箕作山が見える。
右手に景色を見れば、大津の湊の方角に山々の輪郭が浮かんでいた。
あの山々の向こうに京がある。
御屋形は公家様をお迎えして恥じる事もない京風の造りであった。
京造りであるが、その周辺は大きな石垣で囲われて強固な城となっていた。
日ノ本一の山城と藤太郎は思う。
四朗様はこの城に合った御当主となられるのだろうか?
そんな事を考えながら石階段を降りて城下に降ってゆく。
四朗は視察と言っているが、柿やあけびなどの果実や面白い物を見つけると献上させる。
市を開いている者からすれば、一方的な搾取だった。
だが、逆らえば命はない。
もう町の者は諦めていた。
威張る事が威厳だと教えられている四朗はそれを悪い事と思っていない。
人だかりが出来ていたので四朗が近付いて行くと、どうやら馬の売り買いで揉めているらしい。
その侍が赤田と名乗った。
止せばいいのに、四朗はその騒動に首を突っ込んだ。
藤太郎は馬鹿な四朗に付き合わないといけない事を呪った。
藤太郎は舌を打ちながら前に出る。
四朗様の無用な不興は買うつもりもない。
そして、飛び出してきた若侍に刀を向けた。
「悪いが上意だ。手加減はできない」
「気にするな。手加減はしてやる」
「口の減らない奴め」
藤太郎はまずは相手の腕を狙う。
さっと避けられると上段から鉄の煙管が当てられる。
コツン。
まるで赤ん坊を撫でるような衝撃が走った。
カッ、舐めおって!
藤太郎の血が沸き上がった。
振り降ろした刀を斜めに斬り上げるが、すっと躱されると後の二人に頬に一撃、腕の一撃を与えた。
それも撫でるような一撃だ。
まったく相手にされていない?
卑怯と判りつつも後から背中を切る。
切ったと思ったが手応えが無い。
体を前に倒して刃を避けたのだ。
そして、振り向き様に煙管が喉元に突き付けられる。
今度はさっと血の気が引く。
「慶次、いつまで遊んでいる」
「あいよ」
仲間の片割れがそう叫ぶと乱入して来た。
他の2人は既に倒されており、もう一人は女子に倒された。
そして、相方が飛び込んで来たと思うと一人は前蹴りを食らわせ、もう一人を拳骨が黙らせた。
次の瞬間、藤太郎の意識が刈り取られていた。
「ここは?」
藤太郎は目を覚ましたのは侍所の詰所であった。
四朗から「何の為の護衛か」と散々な罵倒を受ける。
罵倒を受けているのは付き添いの護衛だけではない。
見回り組の忍び衆も一緒であった。
「何故、俺を助けに来ない」
「申し訳ございません。織田家の忍びと睨み合っておりました」
「さっさと始末して助けにくればよいであろう」
「我々と睨み合っていたのは、三雲-定持様のご子息のお一人です」
「三雲家は六角家の家臣であろう?」
「いいえ、ご子息様は織田魯坊丸様の家臣になっております」
「魯坊丸だと?」
「更に加えますれば、魯坊丸様をお守りしていた千代女様は望月-出雲守様の御息女であり、『望月の鬼姫』でございます。とても我らの敵う相手ではございません」
その話を聞いて藤太郎も目を丸くする。
あの商人の子供が噂の魯坊丸だと気付いたからだ。
道理で護衛も一流な訳だ。
同じように四朗もあれが魯坊丸と気付いた。
「あははは、あの不細工が魯坊丸だと」
笑うのも当然かもしれない。
京から聞こえてくる魯坊丸の噂は今光源氏の呼び名が高い。
成長すれば、源氏物語の光源氏のような若者になると言う意味だ。
噂は当てにならない。
何故か、四朗が納得したようだった。
◇◇◇
翌日、四朗は義賢に叱られた。
そして、お忍びで城下に行く事を禁じられた。
守役の3人も厳重に注意を受けた。
しかし、種村道成、建部頼昌の二人は反省する様子もなく、義賢に反論する。
「我らを叱る前に織田家に厳重注意を申し上げるべきでございます」
「このまま四朗様を蔑ろにされては面目が潰れます」
「黙れ、面目を潰しておるのは誰か」
「お館様、我ら一門衆を織田家の為にお切りになるつもりか?」
「臆病風に吹かれましたか。定頼様が草場の影で泣いておりますぞ」
「状況が見えておらんのか?」
一門衆とは厄介な存在だ。
最大の味方であるが、同時に当主に逆らう事ができる唯一の味方であった。
義賢も例外に漏れず、種村家の後見人を持っていた。
だが、その指針役が間違った事を言うと始末が置けない。
否、正確には間違っていない。
室町の常識で言えば正しい。
面目を重んじる室町武将は自らの行いが正しいか間違っているかは問題にしない。
四朗が笑い者にされた事が問題だった。
当然、種村道成、建部頼昌の二人は護衛に手を出した3人の首を取って来いと言っている。
当然、織田家も抵抗する。
すると、藤太郎を含む6人も切腹させられて首を差し出す。
藤太郎からすれば堪ったものじゃない。
だが、これが室町の『喧嘩両成敗』だ。
それで六角家の面目も立つ。
ないないない!
義賢からすれば、それはあり得ない。
望月千代女、滝川-一益、前田-利益は魯坊丸のお気に入りだ。
平井-定武の娘で魯坊丸の嫁として中根南城に行っている豊良方の報告によると千代女は魯坊丸の左腕であり、織田家中で絶大な人望も有していると言う。
その三人の首を差し出せと言うのは織田家との同盟を絶つに等しい。
それを承知しているから、会見で魯坊丸が床に付くくらい頭を下げて謝罪したのだ。
義賢もその謝罪を受け入れた。
それを反故にしては織田家の援軍が取り止めになり、公方様からお叱りを受ける。
「高々500人の手勢」
「亡き者にすればよろしい」
阿呆か!
義賢が心の中で叫んだ。
種村道成、建部頼昌の二人は状況が見えていない。
そんな簡単に討ち取れる相手ならば三好家が負ける訳がない。
場合によって望月家、三雲家、平井家が敵に回るかもしない。
さらに、魯坊丸を買っている進藤家が寝返れば、六角家はひっくり返る。
そんな危険な賭けを犯せる訳もない。
仮に巧く討ち取れたとしても家老や重臣らが不安を覚え、いずれは六角家も京極家の家臣団のように分裂する。
長い目で見ても分の悪い賭けであった。
面目の為に六角家を危うくする訳にいかない。
結局、四朗を反省させる所まで行けずに、魯坊丸が登城する日を迎えた。
大広間に登場した魯坊丸はまるで絵草子から飛び出してきた貴公子であった。
四朗は驚きを隠せない。
「あの不細工が?」
四朗は口をぽかんと開けたままで見ていた。
更に宴会になると、魯坊丸の周りに家臣が群れを為す。
幼く美しい無敗の名将。
このまま天に駆け上がるのでないかと期待しているのが手に取るように判る。
「四朗様、あの者は危険でございますぞ」
「決して気を許してはなりません」
「爺ぃ、俺も判っている」
宴会が終わった翌日。
四朗は種村道成、建部頼昌の二人を連れて義賢に頼んだ。
「次の浅井家との戦にて初陣をお許し下さい」
まだ、8歳の四朗には元服は早い。
だが、その年下の魯坊丸が活躍しているので焦っているのが手に取るように判った。
「よいか、戦場で勝手な振る舞いは許さんぞ」
「承知しております」
「命令違反は廃嫡と思え」
「肝に銘じます」
「ならば、元服を許そう」
「ありがたき幸せ」
四朗は純粋に喜んだ。
魯坊丸だけを活躍させないと心に誓った。
「見ておれ、魯坊丸」
その願いは叶うのだろうか?
魯坊丸が公方様(足利-義藤、後の義輝)と一緒に戻って来た。
四朗の元服を聞いた公方様は気前よく言ったのだ。
「ならば、余が烏帽子親になってやろう。名も一字与えよう」
「ありがたき幸せ。四朗、お礼を申し上げろ」
「身に余る光栄でございます」
見届け人どころか、烏帽子親だ。
予想以上の成果を手に入れた。
四朗は有頂天だ。
但し、儀式は簡略化された。
こうして公方様から烏帽子親を頂いて『六角-義弼』が誕生した。
もしかすると公方様が烏帽子親になったのは六角定頼への返礼だったのかもしれない。
あるいは幕府を支える若人への期待かもしれない。
義弼は種村道成、建部頼昌の二人の兵を率いて見事な初陣を飾ったのであった。




