44.魯坊丸、懲らしめてやりなさい。
(天文22年 (1553年)7月12日)
時の鳥が鳴くより早く、さくら達が俺の寝所に乱入してくる。
「おはようございます」
さくらの底無しに元気な声を無視して、まどろみの中の俺は掛けた着物を巻き込んで背中を向けた。
もういいや、足も痛いのでもうここで合流しよう。
予定変更だ。
「若様、今日の夕刻には(六角)義賢様との密会を組んだのを忘れていませんか」
「忘れていないが忘れよう」
「千代女様に私達が怒られます」
「俺の代わりに怒られてくれ」
「嫌です」
さくらは強引に布団代わりの着物を剥ぎ取った。
更に寝着も毟り取られて生まれた姿にさせられる。
他の侍女ならばぐだぐだと半刻ほど粘る事ができるのにさくらだけは容赦ない。
鬼のさくらだ。
こうして俺はすっぽんぽんだ。
そうこうしている内に亀がお湯を入れた桶を持って入って来た。
そして、鶴と茜が甲斐甲斐しく俺の体を拭いてくれる。
恥ずかしがっていたら中根南城の次期城主なんてできない。
もう沓掛城主ですけどね。
生まれてから複数の侍女らに隅々まで拭かれ続けました。
恥ずかしいったらありゃしない。
もう慣れました。
「千代は?」
「今日の配置を指示しております」
「ちゃんと寝ているのか?」
「大丈夫です。若様と一緒の頃に床に入られました」
「で、いつ起き出した?」
「存知あげません。私達より早いのは確かです」
寝ずの番は他の者らしく、鶴は知らないと言う。
護衛50人の忍びの指揮を千代女が取っている。
事前に放っている草や自身のコネから入ってくる情報を精査して旅の安全を確保してくれている。
俺を襲撃しようなどと思えば、喜んで加藤らの独立愚連隊の120人が強襲する事になる。
加藤らは好き勝手に動いている。
加藤自身は連絡を取る為に行商人を装って俺の一行の少し前を歩いているが、基本的に定位置はない。
そう言えば、いつの間にか20人も増えていた。
三河で随分といい使い手を仲間にしたらしい。
いずれ見定めてから紹介してくれるそうだ。
俺の世話はさくらを始め、中根城の侍女26人で行っている。
俺が無理を言ってお忍びにしたのでこんな事になっている。
さくら達は喜んでくれている。
その指揮は何見姉さんと乙子姉さんが取り、旅人などに扮して活動している。
先行して食材などを求める者から本隊の連絡する者などと多岐に渡る。
昨日は急に温泉行きを決めたので、後で何見姉さんと乙子姉さんから叱られた。
何事も臨機応変だ。
直接的な世話は尼に扮するさくら、楓、紅葉、鶴、亀、茜の6人の仕事だ。
「若様、いいですか」
「好きにしろ」
紅葉と楓が特殊メイクの箱を持って入って来た。
俺の透き通るような白い肌をパウダーで小麦色にして、綺麗な鼻筋に天然樹脂粘土を肌色に染めて鼻の上にコブを乗せる。
本当はこぶ取り爺のようなデキモノを頬に張りたかったのだが、乾いてくると剥がれてしまう。
結局、落ちない鼻の横に乗せるだけになった。
代わりに紅葉が筆で一生懸命にデキモノの跡を書いてくれる。
昨日は温泉に入って時間も無かったのでノーメイクだった。
笠を深く被っていたので問題ない。
だが、今日は観音寺城の城下町に入るのでメイクが必要だった。
「眉毛は太めに書いておきますが、顔を洗うときは気を付けて下さい」
「判った。自分では拭かないようにする」
「絶対です」
「絶対だ」
汗も自分で拭えないのが、このメイクの欠点だ。
夏にするものじゃない。
◇◇◇
甲津畑の速水-勘解由宅を出ると当主自ら随行してくれた。
甲津畑(信長の駒つなぎ松)から観音寺城まで5里(20km)しかない。
昼には到着できるだろう。
夕刻に義賢殿と密会だ。
場所は以前と一緒だ。
さて、本隊は今日中に山を降りて永源寺に入り、明日には観音寺城の城下に入る。
そして、14日に観音寺城で登城し、15日に船で高島に渡る。
公方様と再会するのは16日となる。
多分。
そして17日か、18日の六角・浅井の講和会議に同席する。
稲刈りを急ぐようにお達しがあったので、20日くらいには講和会議が打ち切られる。
俺が朝食を食べていると千代女が部屋に入って来た。
「おはようございます」
「おはよう」
「若様、今日の予定ですが義賢様とお会いになる前に得珍保(保内商人)との会見が付きました」
「良くやった」
「これで兵糧の現地調達に目途が立ちました」
米を尾張や伊勢から運ぶと経費が馬鹿にならない。
六角家が用意するのが礼儀だが、戦が始まってから兵糧が届かないなど在ってはならない。
こちらでもある程度用意しておく方がいい。
飯を食べ終えると出発だ。
◇◇◇
日差しに耐えながら昨日よりゆっくりした歩みで進んでゆく。
予定通り、昼に観音寺城の城下町に入る事ができた。
六角家もあちらこちらに市が立って騒がしい。
賑わいでは熱田に負けていない。
「人も多いな」
「景気も良さそうです」
「これは」
「若様、突然に動かないで下さい」
「判った」
だが、並べられた商品に目がいってしまう。
珍しい商品を探してしまう。
その都度に千代女に袖を引っ張られた。
賑わいは一緒だが熱田とは目線の高さが違う。
熱田では台座を組んで商品を並べさせている。
その方が衛生的だ。
地べたに並んだ物はどうしても見難い。
しかも土煙が掛かってしまう。
骨董品なら問題ないが食品は問題だ。
『魯坊丸!』
慶次が慌てて俺の名を呼ぶ。
千代女が「慶次、若様と呼んで下さい」と慶次を嗜めるが聞いていない。
「悪いがあれを買ってくれ!」
「馬ですか?」
「金なら後で返す。頼む」
慶次が慌てている。
あの慶次が取り乱して慌てている。
それほど立派な馬だった。
俺が乗る馬より一回り大きな馬であり、この大型馬は武将の憧れだ。
「主人、よいか?」
「はい、何でございましょう」
「その馬が欲しい。いくらだ」
「お目が高い」
馬商人が目を輝かせた。
馬の値段は一頭で2貫文から3貫文はする。
しかし、一回り大きな大型馬になると値段が飛び跳ねるのだ。
それこそ青天井で上がってゆく。
馬商人がこちらの様子を見て値踏みする。
そして、指を三本立てた。
「30貫文か?」
「中々の御身なり。他の馬をいい値で買って頂けるならば、大安値でお譲り致しましょう」
「ほぉ、他の馬も買えと申すのか」
馬商人は他に12頭の馬も売っていた。
戦が近いと嗅ぎ取っているのか、目がギラついている。
急いで売らないと供出という形で奪われ兼ねない。
だが、急ぎ過ぎて安値で売るようでは商人失格だ。
「他はいくらだ」
「一頭2貫700文で如何でしょう」
「安くはないな」
「お高くもないと思います」
「いいだろう」
「ありがとうございます」
手を揉んで馬商人が喜んだ。
俺は商人の子供の格好をしているが、護衛に侍が二人も付いている。
それなりに銭を持っているとも見られたようだ。
「待った。待った。待った」
人ごみをかき分けて俺の前に割ってきた。
どこかの家臣らしく、商人にこの馬に唾を付けていたらしい。
だが、口約束で売るのを待つほど商人は気が長くない。
それ所か、他の12頭が捌けたのだ。
「33貫文、言われた通りに持ってきたぞ」
おや、この侍には33貫文と言っていたらしい。
他の馬を安くして売るつもりだったのか?
そういう売り方もあるのか。
「申し訳ございません。只今、売れてしまいました」
「約束したではないか?」
「もう刻限の昼は過ぎております」
「これでも急いで戻ってきたのだ」
「どうでしょう。こちらのお坊ちゃまに相談されては?」
おい、こっちに振るのか?
侍がその場で膝を付いて頭を下げた。
土下座ではないが初対面の小僧にそこまでするか。
いや、俺が小さいので膝を付いただけか。
「この通りでございます。どうかこの馬を譲って頂きたい」
「どうして必要なのですか?」
「殿の大切な馬が足を折ってしまい。急ぎ、殿に相応しい馬が必要でございます。お願い致します」
「そうですね。安くない買い物でした。40貫文ならば、お譲りしましょう」
馬商人が顎髭を弾いてにやにやとしながら笑った。
馬商人は俺を値踏みしている。
そして、俺もその侍にとっての馬の価値を値踏みしていた。
慶次が欲しがった馬だ。
簡単に引き下がる訳にはいかない。
「10貫文もふっかけますか」
「それだけあれば、他の馬も割安で買えた事になります」
「中々に商売がお上手ですな」
「こちらへふる貴方程ではありません」
侍が悩んでいた。
「すまない。我が赤田家には余裕がない。いずれは何かの形で補填させて頂く。どうか33貫文で譲って欲しい」
赤田家か。
犬上郡豊郷の城を持っていたな。
「若様」
「判っている」
浅井家との決戦場へ向かう中間地点になる。
兵糧を預けて置くならば悪くない場所だ。
「いいでしょう。お譲り致しましょう」
「忝い」
「慶次、今回は譲ってくれ」
「判ったよ」
「すまない」
赤田の家臣が慶次に頭を下げた。
いつの間にか俺と赤田の家臣の様子を窺う人だかりが出来ていた。
その間から侍に連れられた子供が抜け出してくる。
「おい」
偉そうに腕を組んで声を掛けてくる。
随分と偉そうにしている子供だ。
身なりからしてかなりの御曹司なのはすぐに判る。
「赤田の者とか言ったな。この馬は俺が貰う。いいな」
「お待ち下さい。この馬は我が家に必要な馬でございます」
「俺が気に入った。俺が貰う」
赤田の家来が頭を下げているので六角家嫡男の四朗か、次男の次郎のいずれかだろう。
「おい、そこのお前」
「俺ですか?」
「そうだ。そこの不細工。お前が買った馬も俺に献上を許す」
献上を許すときたか。
高飛車だな。
馬を用意して褒めて貰うつもりか?
下らない。
「どなたでございますか?」
「名乗らずに名を聞くとは無礼な奴だ」
「これはすみません。熱田の商人の息子、旗屋-金田と申します」
「熱田の商人か。よかったな」
「何がでしょうか?
「聞いて驚け、俺は六角四朗だ。馬を連れて城に上がる事を許そう」
ふんすと胸を張って鼻を鳴らして顔を上げた。
如何にも俺は偉いぞという感じだ。
その名を聞いて周りの人も膝を折って頭を下げる。
確かに織田弾正忠家は斯波家の被官であり、尾張守護代の奉行職に過ぎない。
出自も怪しい。
対する六角家は近江守護で由緒正しい名家様だ。
でも、偉いのは父親であって、踏ん反り返っているこいつではない。
こいつが未来の同盟者か?
ロクでもないな。
俺は芝居でもこいつに頭を下げるのが嫌になって来た。
「はて、六角家の嫡男が僅かな供しか連れず、こんな町中にいるハズがございません。然すれば、六角四朗様の名を騙る偽者ですか?」
「俺を侮辱するか?」
「では、1つお聞きしましょう。この馬を赤田の家臣から奪うのは一度献上させてから下賜させるおつもりでしたか?」
俺がそう言うと赤田の家臣がぱっと明るい顔になった。
四朗様に頂いた馬となれば、むしろ名誉だ。
俺なりの優しさだ。
四朗に逃げ道を作ってやった。
「馬鹿か、俺が欲しいから献上させるのだ。それを与えては意味が無いだろう」
はぁっと俺は溜息を付いた。
馬鹿はお前だよ。
町中で家臣から物を奪うと言っている。
そんな主君に誰が付いてゆくのか。
おい、誰か止めろよ。
後ろの付き添う家臣も低能な奴ばかりだ。
「何の溜息だ!」
「偽者に用はありません。さっさと帰って下さい。六角四朗様の名に泥を塗るような真似は控えた方がよろしいですな」
ぐわぁっと四朗が俺を睨み付けた。
偽者と言われて怒ったらしい。
6人の家臣に「この無礼者の首を取れ!」と叫んだ。
あぁ、下らない。
「彦右衛門、慶次、懲らしめてやりなさい」
「やるのですか?」
「その言葉、待っていたぜ」
慶次がぱっと飛び出した。
二対六だが何とかするだろう。
というか、大丈夫そうだ。
刀を抜いている相手を彦右衛門は手刀と蹴りで敵を捌き、慶次は鉄の煙管を取り出して、2・3人の敵の侍の首元に止めてからかっている。
敵の一人がこのままでは拙いと思ったのか?
一人が俺を狙って突っ込んでくれば、千代女が懐に飛び込んだと思うと背負い投げで地面に叩き付け鳩尾に一撃を加えて黙らせた。
俺の前に千代女がおり、何見姉さんと乙子姉さんが旅芸人の格好で左右を護っている。
一人減ると彦右衛門の独断場だ。
膝蹴りで一人を潰し、裏拳でもう一人を黙らして、前蹴りで一人を吹き飛ばした。
最後に向かってくる刀を避けて顔面に拳骨を食らわす。
痛そう。
顔が半分までのめり込んだのではないかという一撃だ。
「慶次、いつまで遊んでいる」
「あいよ」
さっと後ろに回ると首筋の裏に一閃が入って意識を絶つ。
警護の6人があっと言う間に沈黙した。
おそらく6人が弱いのではない。
慶次にあの怪物の公方様を追わせているので、付き合わされた彦右衛門も強くなったのだ。
幸いな事に練習相手は事欠かない。
一瞬の事で(六角)四朗が狼狽する。
「お、お、俺に何かあれば、命があると思うな」
見ていた町人らがくすくすと笑っている。
偉そうにしていても大した事がないと言うそんな蔑む嘲笑だろうか?
それとも彦右衛門と慶次への賞賛だろうか?
いずれかは判らないが、四朗を不愉快にするには十分だった。
「それ以上近寄ってみろ。許さないぞ」
足を震わせて見栄を張る。
これだけ騒げば、誰か来るだろう。
その後は城に行くしかない。
そんな風に思っていると兵を連れて駆け付けて来たのが、京でお世話になった進藤-賢盛だった。
俺は変装していたが慶次は普段通りだ。
どうやら慶次を覚えており、すぐに気付かれてしまった。
賢盛が軽く頭を下げたので、俺も下げておく。
「四朗様、これはどういう事でございます」
「賢盛、丁度よい所に来た。この者達の首を刎ねよ」
「四朗様、お忍びで城を出るなとは申しません。ですが、騒ぎを起こさないで下さい」
「何を言っている。早くこの者達を始末せよ」
「皆の衆もお騒がせした。すぐに引き上げます」
「賢盛、俺の命令が聞けんのか?」
「四朗様、控えなさい。お忍びで騒ぎを起こすなど、嫡男としての御自覚が無いのですか」
逆に叱られて連れ攫われて去っていた。
お忍びで騒ぎを起こす。
あの台詞、俺に対しても怒っているよね。
反省、反省。
赤田の家来に改めて城に馬を献上するように言っておいた。
四朗様の面子を潰したと言って、馬一頭で赤田家が潰されるよりマシだろう。
この時代、面子の為に家を潰すからね。
肝を冷やした馬商人には詫びとして、言い値で持っている馬を全て買い上げると言っておいた。
仲間を含めて60頭の馬を持っているそうだ。
問題が起こらないように間に得珍保(保内商人)を挟んでおく。
得珍保(保内商人)は兵糧に含めて馬も加わって大喜びだ。
最後に(六角)義賢との密会に、(進藤)賢盛が顔を出していたので、俺は額が床に付くくらい頭を下げて騒ぎを起こした事を謝った。
「城下でお騒がせして申し訳ございませんでした」
「こちらも不手際であった。申し訳ない」
お互いに謝っておしまいとした。
少し後になるが、(六角)義賢は赤田家の家臣が献上した馬を再び当主の赤田-興に下賜した。
そのとき、義賢のお気に入りの一頭も加えて与えられたので、余った一頭は俺に戻って来た。
当然、俺は慶次に下賜した。
慶次はその馬を『松風』と名付けたと言う。
遅くなりました。
やっと完成。
黄門ごっこの最終話です。
まったく知らないで恨まれるのもありですが、一度くらいは合わせておこうと考えました。
このお話は細かい所でリアリティーに拘っていますが、大枠では『紙芝居』です。
◇◇◇
馬の値段
木曽馬の体高(肩までの高さ)は、4尺から4尺半 (125~135cm)の小柄で木曽馬の産地は武田の領地(甲
斐・信濃)です。
名将が乗る馬は少し大型であり、4尺7寸から4尺9寸(142~149cm)です。
前田慶次 松風4尺7寸(約142cm)。
本多忠勝 三国黒4尺9寸(約148cm)
武田信虎 鬼鹿毛4尺8寸(約145cm)
織田信長や上杉謙信などの馬は4尺7寸から5尺以上
山内一豊の愛馬は鏡栗毛は金額は金十両であり、文に換算すると33貫文(200万円)から66
貫文(400万円)となります。
秋田県の『明治二十八年 畜産事務報告書』によると、馬1頭は平均24円33銭3厘で米価換算だと米2石7斗に相
当します。(馬1頭は2貫700文)
(1石=1貫=6万円)
明治前期の高級馬だと150円~200円で米17石~22石(100~130万円)に相当します。
戦国時代の馬の数は、
馬5242頭、牛1万3082頭、領民人口10万4858人(元和8年(1622年)小倉藩)
馬8795頭、牛2万9449頭、領民人口20万4331人(寛文3年(1668年)長州藩)
馬1万5760頭、牛1986頭、領民人口37万5918人(寛文11年(1671年)尾張藩尾張国内)
馬2万9872頭、牛425頭、領民人口27万6926人(元禄10年(1697年)水戸藩)
という記録が残っております。
なお、『本朝食鑑』(元禄8年 1695)の巻之十一獣畜部牛の項に「大抵参州・遠州以東から奥州・夷
にかけては、馬が多く牛は少ない。それで、耕耘運転には皆馬を用いる。尾州・濃州以西より海辺にかけては、牛が
多く馬が少ない。それで耕運転には皆牛を用いる。就中、播州・備州は最も牛を産出するところで、盛んに蕃息(はん
しょく)する」とあります。
明治の調査で馬の飼育が盛んだった東北・北海道でヒト/ウマの比率が9.2(43万頭)、関東が26.6(24万頭)、甲
信北陸方面が28.9(16万頭)。
これに対して東海は62.9(7.6万頭)、関西が454.9(1.2万頭)。
牛の数は東海で5.1万頭。関西で18万頭に達します。
東西で牛文化圏と馬文化圏に分けることができます。
戦国時代の馬の数を比べてもその傾向が見てとれます。
(新しい発見です)
上杉家、武田家、北条家も動員した軍兵と馬上(騎乗兵)の比率は大凡10:1の比率です。
天正三年(1575年)の上杉家軍役状で約五千の兵の内、馬上と記された騎乗兵は五百人に近い数です。
豊臣秀吉による北条征伐のおりには駿河に集積された兵粮を運ぶ馬が不足して、輸送が滞ってしまった。
堀秀政は馬の代わりに牛を調達して、兵粮を関東に運び入れています。
さて、作中ですが、
大型の軍馬(4尺7寸から5尺以上)は17貫文以上とし、松風4尺7寸(約142cm)は33貫文
と設定します。
ただし、馬〔木曽馬サイズ、4尺から4尺半 (125~135cm)〕は馬1頭2貫700文程度としました。




