18.信長との不仲説。
天文二十二年(1553年)二月十日
俺は舟の上で節を付けて詠む。
「那古野から水行1日、千余里を舟で津島に向かう……」
唐の歴史書『魏志倭人伝』の邪馬台国の一節を引用した。
この尾張国は無数の川が流れており、那古野の北にある船付き場を出発し、土岐川(庄内川)を下り、中海に出て再び天王川を通って津島に至った。
本好き仲間の紅葉が肩を震わせていた。
「若様、大袈裟な表現でございますね」
「そんなにおかしいか?」
「大袈裟と思います」
「短里を知らんのか」
「存知上げますが、それでも大袈裟です」
「その分は、俺の気分で割増している」
クスクス、紅葉が手を立てて口元を押さえたが、笑いが堪え切れなかったようだ。
千余里と言ったが、津島まで四里(20km)もない。
確かに大袈裟な表現だね。
まぁ、どうでもいい話だけどね。
宿泊地は酒造所が併設されている勝幡城でもよかったのだが、信実叔父上が朝まで語り合おうとか、言い出し兼ねないのでスルーすることにし、くら姉上が嫁いだ大橋重長のたっての願いで大橋邸に宿泊する。
「ようこそ、おいで下さいました」
「いつもお世話になっております」
「こちらこそ、儲けさせて頂いております」
「それはお互い様です」
津島衆が集まってきて大歓迎を受けた。
津島に来るたびにこうなる。
接待役を千代女に譲って、俺は寝床に入った。
今日の寝ず番は紅葉だ。
「千代には迷惑を掛けるな」
「千代女様なら問題ございません。若様の毒味の一杯目以外は、空の器とすり替えて飲んでいる振りをされているだけです」
「交渉も任せっぱなしだ」
「それも問題ございません。連れてきた右筆白井胤治に任せるとおっしゃっておりました」
「あぁ、それで右筆見習いの岡本良勝らを連れてきていたのか」
「千代女様、私、楓ちゃん、さくらちゃん、今後の内政は右筆に振ってゆこうという結論になっております。我々は若様の護衛が本分ですから」
「宜しく頼む。しかし、行きたくない」
明日は、天王川を上って佐屋川に合流し、遡って墨俣、長良川温泉の十八楼に至る。
俺が稲葉山城(岐阜城)の長良川を隔てた北側に領地を借りたと聞くと、親父(織田信秀)が十八本の桜を寄進したことから『十八楼』と名付けられた。
確か、芭蕉が名付けた筈だから、歴史の改編だ。
ただ、源泉である三田洞神仏温泉は平安に開湯しており、ここから木で湯を引いて、長良川河川付近に温泉宿を作らせてみた。
追い炊きで湯を温める露天風呂を売り物にした温泉宿だ。
斎藤家の負傷兵の慰安地になっている。
その礼に斎藤利政は熱田から分社して『岐阜神社』を勧請して貰った。
明日の夜は、温泉に入れることだけが救いになるのではないだろうか。
翌朝、朝食の席でくら姉様が家族を紹介してくれた。
「嫡男の長将、次男の勘七郎、娘のお豪、お香でございます」
「お初にお目にかかります。魯坊丸でございます」
「叔父上様、これからもよろしくお願いします」
「年も近いので、魯坊丸とお呼び下さい。」
「しかし、それではご無礼にあたり」
「俺は中根を継ぐ身、格式で言えば、大橋様の方が上でございます。くら姉様からも言ってやって下さい」
「魯坊丸がそうして欲しいと言っております。そうしなさい」
「はい、母上様」
長将がそう答えると弟と妹達も同じように答えた。
「魯坊丸、お豪姉様と私とどちらが気に入りました?」
「何のことです」
「私は年の頃が同じなのです。魯坊丸とお似合いだと思いませんか」
突然、質問に言葉が詰まった。
「ごめんなさいね。旦那様は熱田衆に何度もしてやられているから、羨ましいのです。なんとしても魯坊丸と縁を深めたいと焦っているのよ」
「母上、私はとても気に入りました。是非、縁談の話を進めて下さいませ」
「そんなことを言うと旦那様が飛び上がってよろこぶわよ」
「魯坊丸、どうか私をご指名下さい」
あははは、叔父と姪のお香は俺と婚姻することに積極的だった。
嫡男の長将は前妻の子で、次男の勘七郎がくら姉様の子だそうだ。
家督は弟が継ぐのだろう。
そして、くら姉様が生んだ娘なら正室でも問題ないと、重長は考えている。
「魯坊丸は私に決めるといいですわ。尽くさせて頂きます」
「それはありがとうございます」
「では、宜しいのですね」
「返事は後日にさせて頂きます」
「そんな」
お香がしゅんとなった。
顔は父親似ながら愛嬌があり、面倒見がよさそうな気がする。
ただ、おしゃべりが止まらない。
一方、姉のお豪は大人しく、お香を止めるが、お香はまったく止まらない。
痺れを切らした長将が制止した。
「お香、しばらく黙っておれ」
「兄上、私は父上に言われました。なんとしても魯坊丸と仲良くなるようにと。兄上も協力しろと言われたではありませんか」
「先ほどからおまえしかしゃべっていないだろう。魯坊丸様も呆れているぞ」
「えっ、そうなのですか? おしゃべりな女子はお嫌いですか?」
「俺は気にしていません。むしろ、元気でいい感じと思っております」
「よかった。兄上が脅すから、びっくりしたではありませんか」
今度は兄妹喧嘩になってきた。
大橋家も和気藹々としていい感じだ。
くら姉様はさきほどから笑ってばかりだ。
「魯坊丸も見合いの話が多くて困っているでしょう」
「俺は困っていませんが、養父(中根忠良)が困っているようです」
「そうね、父上(故信秀)が生きていれば、話はすべてそちらに行くのでしょうが、官位を頂くことになった魯坊丸は、信長様、信勝様、どちらも勝手に決められないようになってしまったわね」
「信長兄ぃは俺と津島がより強く結ばれるのを喜ばないでしょう」
「立場上、そう簡単には喜べないでしょうね」
ふふふ、くら姉様が笑って誤魔化した。
津島衆は俺と深く結び付き、津島から多くの商品を売り出したい。
今の所、お爺(大喜嘉平)が独占している。
そこに津島衆も加わりたい。
お豪がすっと口を開いて俺に問い掛けた。
「信長様は元気ですか?」
「元気過ぎて、毎日のように虐められております」
「あの優しい信長様が?」
「優しいでしょうか?」
「はい、よくして貰っております」
「俺に仕事を押し付けて、自分は楽をしようとするのですよ」
「信長様はそんな方ではございませんよ」
なんと、お豪が信長兄ぃを庇った。
しかもかなり大きな声だ。
それを恥ずかしく思ったのか、顔をサクランボのように真っ赤に染めて俯いてしまう。
そのまま黙ってしまった。
「お豪姉様は、信長様に『ほ』の字なのです」
「違います。恐れ多い」
「信長様が訪ねてくると、率先してお茶を運ぶのです」
「お香、こんなところでバラさないで」
「本当のことじゃない」
そこでタイムアップ、出発の時間だ。
この寒空に天王祭の500個余りの提灯をまとった、あの巻藁舟を川に浮かべて、津島笛の音が鳴り響き、津島衆が総出で俺の出発を見送るつもりのようだ。
「重長殿、これは大袈裟な見送りですな」
「いいえ、ささやかなものです」
「ありがとうございます」
「ご無事を祈っております。そして、最後に宜しいでしょうか」
「何でございます」
「何があろうと我が津島四家十五党は魯坊丸様に忠誠を誓うことを宣言させて頂きます」
重長がここで改めて宣言した。
俺は津島衆の焦りが理解できず、首を捻った。
そこで気付いた千代女が近づき、俺の耳元で囁いた。
「申し訳ございません。報告が抜けておりました」
「何かあったか」
「斎藤利政が堀田道空に『魯坊丸を召し抱えたい。召し抱えられるなら十万石を出してもよい。何としても取り込め』と命じたそうです」
「道空?」
「はい、道空が本家を頼ったと報告を受けておりました」
美濃の斎藤利政の腹心を自称する堀田道空は、津島の堀田家の縁故である。
俺が十万石くらいで鞍替えしないことは、帰蝶義姉上を通じて利政が一番知っていそうな気がする。
何故、道空にそんな無茶な命令をした?
「あっ、そういうことか」
「若様と津島衆の距離感を確かめる為に仕組んだ悪戯です。津島衆が動くと思わなかったので忘れておりました」
「俺は意外と信用されていなかったのか」
「いいえ、若様を信用しているのでしょうが、信長様との不仲説を疑っているのです。よくお考え下さい。熱田衆の幹部は若様のことを良く知っておりますが、津島衆の幹部は若様が切れ者と知っている程度でございます」
そう言えば、津島衆の会合に出たことがない。
そして、俺と信長兄ぃが不仲……は事実だ。
利害が一致しているので喧嘩している訳ではない。
ただ、価値観がぶつかってしまう。
最近なら、上洛を延期したい俺に対して、公方様との役儀を反故にできないと「上洛を決行する」と言い切る信長兄ぃと言い合いにもなった。
「先日も若様と信長様は大広間で睨み合いとなりました」
「なったな」
「津島衆は織田弾正忠家に早くから仕えており、那古野には津島出身の家臣も多くいます。縁故の者から情報を得るのは基本ではございませんか」
あっ、利政の悪戯の狙いが見えた。
俺が気付いていないささやかな失敗を、蝮殿から教えられたようなものだ。
やってくれる。
俺はジロリと津島衆を睨み付けた。
津島衆は俺に睨まれただけで動揺している。
「よいか、下らない噂に踊らされるな」
「下らないですか」
「信長兄ぃの妻、帰蝶義姉上の父君である斎藤利政が信長兄ぃより俺の後ろ盾になると言っているのに動揺しておるのであろう」
「…………いえ、決してそんな訳ではありません」
「俺は公方様と三好が揉めている京に上洛するのは反対だ。しかし、公方様との約束を反故にしてよいとも考えておらん。時期を見極めたいという俺の意見と、定めた時期を変えるべきではないという信長兄ぃの意見は対立しておる。だが、その程度で織田弾正忠家を二つに割るつもりはない」
「では、信長様と対立するおつもりはないのですな」
「そう申しておる。津島商人は相手が思い通りに動かなければ、相手を叩き切るか」
「そんなことは致しません」
「であろう。『損して得を取れ』、一時の損くらいで、尾張を二つに割って誰が得をする。俺がそれすらもわからん愚か者に見えるか」
「その通りでございます。魯坊丸様がそのような『大損』を見過ごす訳がございませんでした」
「安心して織田弾正忠家に付いて参れ。決して『損』はさせん」
蝮殿は俺の足元がぐらついていることを教えてくれた。
しかも蝮殿らしい嫌らしいやり方でだ。
津島衆に見送られ、俺は船付き場を後にした。
そして、俺は千代女の隣に腰掛けた。
「千代、悪いが俺と信長兄ぃの不仲説を信じる馬鹿共、敵味方を隔てず探ってくれ」
「畏まりました」
「蝮殿には、また借りを作ってしまったな」
「若様が気付かなければ、尾張を二分する大仕掛けが動き出したことでしょう」
「食えない親父だ」
俺は美濃で戦をせずに石高を上げる肥料『蝮土』以外にも、銭を生み出す産業となる木工品、美濃和紙などに人材を派遣している。
その技術を盗むまでは、俺と繋がっておきたい。
俺に助け舟を出しながら、あわよくば織田弾正忠家の力を削いでおきたい。
そんな思惑が透けて見えた。
毒入り饅頭がどこに入っているかわからない蝮殿だ。
やっぱり、美濃に行きたくない。




